商い

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第252話 『長井雅楽と航海遠略策。長州と斉彬に迫る影』

万延元年十月二十五日(1860/12/7)  「馬鹿馬鹿しい。然様な些末な事に頭を使うなら、もっと他に為すべき事も考えるべき事もあるでしょう」  小栗上野介は御大老安藤信正の問いに事もなげに答えた。 「ふっ……。些末な事か。相変わらず豊後守...
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第249話 『朝廷の和宮降嫁に対する意向とイギリスと薩摩の情勢』

万延元年七月二十日(1860/9/5) 京都御所 陣座  太閤鷹司政通、関白九条尚忠、正四位下右近衛権少将の三条実美、同じく正四位下右近衛権少将の岩倉具視の4人の重臣が集まっていた。  同じ官位官職ではあるが、実美は具視を格下に見ている。 ...
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第241話 『蝦夷地とロシア』

安政六年十一月十五日(1859/12/8) 大阪 「なんですと? 福井の殿様が蒸気船を?」  鴻池善右衛門は大阪で室屋(内田)宗右衛門よりその報を聞いた。 「それはまずい事になりましたな」 「ええ、そう思ったんで御用商人の筆頭である善右衛門...
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第240話 『土佐藩軍艦? 商船? 購入と佐賀と薩摩の教育改革』

~安政六年十月二十一日(1859/11/15)  「それで、荷船と申したか?」 「は、我が家中の意向としましては、まずは商い、つまり交易にございますが、これにて富を蓄えとうございます。しかるのちに軍艦を買う、もしくは……」 「自らつくる、と...
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第236話 『越前、土佐、宇和島、幕府、そして次郎』

安政六年七月五日(1859/8/3)   大村藩発の国産電信設備は、大村藩の領内はもちろんのこと、西国諸藩の領内にも敷設された。  まずはじめに佐賀藩と島原藩、平戸藩と五島藩、唐津藩といった近隣の藩に敷設され、徐々に九州全域へと広がっていっ...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第234話 『勘定奉行並びに外国奉行小栗上野介、彼を知り己を知れば百戦殆からず』

安政六年六月六日(1859/7/5) 江戸 一橋慶喜邸 『勅みことのりを以もって~中略~一橋刑部卿きょう慶喜、隠居の沙汰を取りやめるものとする』 「ふむ、これはまた、如何いかなる事か」  一橋慶喜は江戸の邸宅で読み上げられた沙汰を、再度頭の...
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第217話 『長崎亜墨利加商館と管理貿易』

安政四年十二月二十四日(1858/2/7)  「おい、そこの本棚はもう少し左だ。そう、角に台を置くからな。ああ、それそれ、その花瓶を台に置いてくれ。何もないと殺風景だからな。後で花を生ける」 「はい、かしこまりました」  1854年に長崎に...
天下百年の計?

第736話 『ペトロパブロフスク・カムチャツキーからオホーツクをへてウラジオストクへ』

天正十六年六月十七日(1587/7/22)沿海地方 沿海県 ニコラエフスク・ナ・アムーレ(北黒瀬浦)  純正は小樽を出港後、1か月半かけて北加伊道沿岸を回り、その後カムチャッカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー、オホーツクのオホーツク...
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第206話 『長崎の開港と居住権』

安政三年十月十三日(1856/11/10)  「さて、まず要求したいのは、長崎の開港と米国人の居住権である」  ハリスが口火を切ったこの議題については、イギリス・フランス共に要求に差異はなく、開港と居住権を求めるものであったが、しょっぱなか...
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第181話 『四賢侯、松平春嶽と伊達宗城』

嘉永七年七月二十九日(1854/8/20)  越前福井城 「左膳よ、左内からの上書じゃ」  越前福井藩主である松平慶永(春嶽)は改革派の家老岡部左膳に対して、帰郷していた橋本左内からの上書を見せた。  福井藩は慶永が藩主となる前は守旧派であ...
天下百年の計?

第725話 『奥羽越三州同盟』

天正十四年二月二十四日(1585/3/25) 出羽国 置賜郡 米沢城  場内は殺伐とした雰囲気でありながらも、一つの目的を持って|怱々《そうそう》たる面々が集まっている。  南部大膳大夫だいぜんのだいぶ信直、斯波民部大輔みんぶのたいふ詮直あ...
天下百年の計?

第724話 『会合衆の世界進出と九州五傑』

天正十四年一月十五日(1585/2/14) 堺 「そう、それが最も難し事なのだ」  会合衆の議論は連日続き、白熱していった。  千宗易(利休)の提案に多くの者が興味を示す一方で、実現に向けての課題も浮き彫りになっていた。  山上宗二は腕を組...
天下百年の計?

第723話 『肥前国(州)の貿易状況』

天正十三年十二月十五日(1585/1/15) 諫早城  大日本国と肥前国(州)とでは、経済規模がまるで違う。  厳密に言えば肥前国は小佐々州として大日本国の構成州となっている訳であるから、その肥前国の貿易収益の何パーセントかが大日本国の貿易...
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第169話 『次郎を呼べよ』

嘉永六年九月二十四日(1853年10月26日)  「それで讃岐様、琉球はいかなる仕儀に御座いましょうや」 「うむ、なんとか大村家中の御助力のお陰で面目を保つ事ができた。然れど以後如何いかが致すかは、よくよく考えねばならぬ」  讃岐とは島津家...
天下百年の計?

第712話 『大日本国銀行』

天正十二年十一月二日(1583/12/15) 肥前国庁舎  最上義光に送った質問状については、予想通りの回答がきた。要するに単なる軍事訓練であり、他領への侵攻の意図はまったくない、という事である。  真偽のほどは別として、純正は念のため、義...
天下百年の計?

第711話 『最上の馬揃えと商人の動き』

天正十二年九月十八日(1583/11/2) 新政府庁舎  武田州……清水湊8万貫 徳川州……大浜湊10万貫 浅井州……小浜湊7万貫 里見州……館山湊9万貫 畠山州……七尾湊8万貫 大宝寺州……酒井湊6万貫  各州から港湾整備の予算申請が出た...
天下百年の計?

第710話 『琉球国の処遇と港湾インフラ』

天正十二年八月三日(1583/9/18) 新政府庁舎 「さて方々、此度こたびの言問に入る前に、此この間あった琉球国との仕儀に付いてお知らせを致したく存ずる」  純正は先日行われた琉球国との交渉の顚末てんまつを報告した。事後報告ではあるが、情...
天下百年の計?

第703話 『南常陸・南下野・東上野・下総の統治』

天正十一年十二月二十六日(1583/1/19)  新政府暫定庁舎会議室  純正は北条と先の将軍義昭の悪巧みを公表し、その後始末として減封としたことを全議員(大名)に伝え、新政府内においては合議の上、一年間の参加資格の停止処分とした。  停止...
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第149話 『浦賀と朝廷』(1852/4/20)

嘉永五年三月二日(1852/4/20) 浦賀湊みなと  シュッシュッシュッシュッ、ガシャンガシャンガシャンガシャン……。  幕府の命を受けて次郎たちは浦賀湊で停泊し、使者を待っている。湾内には幕府が建造した晨風しんぷう丸をはじめとした小型の...
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第147話 『万次郎の帰国と大阪』(1852/2/29) 

嘉永五年二月十日(1852/2/29) <次郎左衛門>   万次郎さんは年末を待たずに、去年の11月に土佐に帰っていった。  商人同士のやり取りは、乾堂くんと慶ちゃんに任せてはいるんだけど、やっぱり面通しはやったほうがいいらしい。二人ともけ...
天下百年の計?

第699話 『経済格差と賭博場と競馬』

天正十一年七月十日 政府庁舎 「方々、此度こたびは日ノ本を如何いかにして栄えさせるか、以前より論じき題目の、つぶさなる策を論じたく存ずる。まずは国々の間に見受けられる、富の配分の隔たりを如何にして埋めるかにござる」  要するに、純正が治める...
天下百年の計?

第698話 『力による現状変更と海上保険と貿易会社』(1582/7/10)

天正十一年六月二十一日(1582/7/10) 新政府暫定庁舎  信長を襲った犯人は全部で47人。  純正の予想通り、犯人グループは朝倉・六角・松永・本願寺の残党であったが、首謀者はまだ見つかっていなかった。しいて首謀者としてあげるなら、六角...
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第145話 『その頃の幕府と各藩』(1852/1/31)

嘉永五年一月十一日(1852/1/31) 江戸城  この頃の幕府と言えば江戸湾の台場構築と、大村藩へ盛んに幕臣を派遣して、技術の吸収に邁進まいしんしているところであった。しかし肝心の財政再建は遅々として進まず、第七台場まで造成予定の台場は、...
天下百年の計?

第696話 『冷蔵と冷凍に関する話』(1582/5/18) 

天正十一年四月二十六日(1582/5/18)   ジエチルエーテルの気化による冷却で氷ができることがわかり、冷蔵庫の発明となった。これは手動で喞筒そくとう(ポンプ)を押し、その動力で氷を作って冷却するという物である。  現在の冷蔵庫に比べる...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第695話 『花の大諫早』(1582/2/26)

天正十一年二月四日(1582/2/26) 豊後府内  翌日、一行は駅馬車に乗り、陸路で諫早に向かう事となった。 「真まことや(そう言えば)、お主が岐阜に来ることはあっても、わしが赴く事はなかったの。これが初めてではないか?」 「然様さように...
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第141話 『蝦夷地開発の上書と小曽根乾堂』(1851/11/6) 

嘉永四年十月十三日(1851/11/6)  江戸城 「伊勢守殿(阿部正弘)、蝦夷の伊豆守殿(松前崇広)より上書が来たとか。随分と真剣なお顔でござるが、如何いかなる内容だったのでござろうか」  牧野忠雅は、険しい顔をしながら書類を見ている阿部...
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第139話 『蒸気缶と工作機械。台場造成と海軍伝習所』(1851/9/19)

嘉永四年八月二十四日(1851/9/19)  この月の17日に、上野俊之丞が亡くなった。陽気で明るく、ムードメーカー的な存在で、年齢を感じさせない気さくな性格は、誰からも好かれていたのだ。  葬儀はしめやかに行われた。上野彦馬は14歳。五教...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第688話 『貨幣政策と度量衡、明の陰り』(1581/4/14) 

天正十年三月十一日(1581/4/14) 南近江 暫定新政府庁舎  庁舎の会議室は和室ではなく洋室である。  上座に純正が座り、官位の順に並んでいる。窓から差し込む光が重厚な木製のテーブルを照らし、各大名が座る中、財務大臣の太田屋弥市が立ち...
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第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3)

天正九年十月二十三日(1580/11/29)  工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。 「この金属板をしかと丸めることができ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第684話 『注射器の開発と北条・イスパニア・ポルトガル』(1580/11/29)

天正九年十月二十三日(1580/11/29)  工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。 「この金属板をしかと丸めることができ...
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第128話 『江戸参府の儀と製茶』(1850/11/2)

遡って嘉永三年三月一日(1850/4/12) 大村政庁 「さて、此度こたび皆を呼んだのは、来る九月の江戸参府の儀にて、大いに諮らねばならぬ題目があっての事じゃ。次郎左衛門、よいか」  いつも柔和な純顕あきには珍しく、少し険しい顔をしている。...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形  メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第676話 『中央政府構想の波紋』(1580/4/3)

天正九年三月十九日(1580/4/3) 南近江 大同盟合議所  「徳川殿。武田殿。此度こたびの所領の件については、大同盟加盟の際の約定の通り、これで仕舞いという事でよろしいな」 「異論ございませぬ」 「異論、……ございませぬ」  家康は満面...
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第118話 『そのころの幕府と薩長土肥と他の藩、次郎左衛門の川越来訪』(1849/11/11) 

嘉永二年九月二十七日(1849/11/11) 江戸城 <阿部正弘>  さてさて、いかがしたものか。かくも多くの障り(問題)があれば、なにを初めにやれば良いのかすら、わからぬようになってくるぞ。三月には長崎にメリケン船が来おったし、四月にはエ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城 「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」  側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。 「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長...
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第663話 『日ノ本大同盟の今』織田と徳川と浅井(1579/2/12)

天正八年一月十七日(1579/2/12) 『日ノ本大同盟』  純正が天正元年に提唱し、小佐々・織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見の七家で結成した合議同盟の事である。  経済・技術の交流はあるが、主な目的は各国の軍事行動の可否を決定する事と、...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第661話 『腕木通信と通信距離の延長、鉄道馬車から鉄道へ』(1578/12/15)

天正七年十一月十七日(1578/12/15) 諫早城  純正は内政の拡充の一環として技術革新を推進していたが、科学技術省主導の最新技術ではなく、今できる新しい技術はないかと考えていた。  長年純正の頭を悩ませていた通信距離の延長、通信時間の...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第658話 『税制の改革と払い下げ。省庁再編と新規の設備投資』(1578/10/22)

天正七年九月二十二日(1578/10/22) 諫早城 <純正>  終わった……。5~6年後と考えていたスペイン戦が終わって、南方の脅威は去ったな。明も、まあよっぽどの事がないと行動は起こさないだろう。いま単独で俺たちに攻めてくるメリットがな...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第655話 『凱旋と織田家』(1578/7/5)

天正七年六月一日(1578/7/5) サン・ペドロ要塞 「なんだ、これは。これがあのサン・ペドロ要塞なのか……」  城壁は全周囲で崩れ落ち、かろうじて陥落していないが、すでに風前の灯火であるのは誰の目にも明らかであった。艦砲射撃で無力化され...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第98話 『豊前国宇佐郡の賀来惟熊と平戸・福江・大村・島原同盟?』(1848/4/13) 

弘化五年三月十日(1848/4/13) <次郎左衛門> 拝啓  弥生の候、兄上様におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。  さて、公儀にて藩の発展に資するべく人材招聘しょうへいの旅に出ており候処、豊前の国宇佐の地に行き着き候。 ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第634話 『織田水軍から織田海軍へ、イスパニア情報の収集』(1577/10/13)

天正六年九月二日(1577/10/13) 岐阜城 「何? 小佐々から参陣の求めが来ただと?」 「は、これよりイスパニアなる南蛮の国と戦をするゆえ、海軍の参陣を求めると。水軍とは呼ばず、海軍と。されど強いるものではなく、判は委ねるとのことで、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第632話 『開戦か交渉か』織田と同盟国と北条と(1577/8/16)

天正六年|閏《うるう》七月二十五日(1577/8/16) 諫早城 <純正>  転生して15年。ようやくなんとか平和になってきたと思ったのに、上杉に北条、そしてまたスペインって。なんでみんな、戦争しに出るかなあ。  攻められないようにするため...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第627話 『大同盟脱退に関する傾向と対策。対織田家戦略の見直し』(1576/10/25)

天正五年十月四日(1576/10/25) 諫早城 「そうか。織田からはそのような要望が」  純正は経産大臣の岡甚右衛門からの報告を聞いて、考え込む。 「皆、いかが思う? 織田は誠に同盟を抜けると思うか?」 「まずないでしょう」  そういうの...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第626話 『北緯42度条約と日ノ本大同盟会議』(1576/9/26) 

天正五年九月一日(1576/9/26) 小佐々海軍 探険艦隊 旗艦艦上 「小佐々家北方探検艦隊司令官、伊能三郎右衛門にござる」 「同じく副将、間宮清右衛門にございます」 「北条水軍大将、梶原備前守にござる」 「同じく、副将の清水太郎左衛門に...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第91話 後藤惟明の苦渋の決断

永禄七年 六月 武雄城 後藤惟明  父上が殺され、兄上も弟も幽閉されている。今の武雄後藤に、俺の居場所はない。養子の意味がないのだ。  ただでさえ疎んじられてきた。実子も問題なく成長している。このままではいずれ廃されるか、もしくは……。  ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第624話 『日ノ本大同盟内の経済格差と移住問題』(1576/2/9) 

天正五年一月十日(1576/2/9) 永禄四年四月(1561)に、沢森平九郎政忠として転生して15年がたっていた。 その治める版図は北は北海道の北西岸、南は鹿児島県のトカラ列島、東は静岡県の吉原湊(租借地)に、西は五島列島までに及んでいた。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第54話 『幕閣と御三家と四賢侯と、諸々を使って高野長英恩赦大作戦』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 水戸藩邸 「ふふふ。そう畏まらずとも良い。礼をわきまえ接する者は、貴賤きせんを問わずに話を聞き、よいと思えば取り入れる。それがわしの流儀であり、いまのこの世に要るものだと考えておる」 水...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第595話 織田家の技術革新と加賀・紀伊問題 

天正二年六月二十八日(1573/07/26) 志摩国答志郡とうしぐん 船津村 「ふふふ、壮観よの、嘉隆。あの一番大きな船はいかほどあるのだ?」 「は、大型の安宅船程はございましょうか。他の船は小早と関船の中ほどにございます。しめて十隻にあい...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓

天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城  二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。  蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。  まずは大首長チパパタインの...
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第28話 『坂本龍馬の支援者・小曽根乾堂の父、小曽根六左衛門』(1838/2/9)

天保九年一月十五日(1838/2/9) 長崎 「お慶よ、石けんじゃが、お前に聞くのもどうかと思うが、このまま商いを続けても大丈夫なのか?」  父の太平次はお慶の事を、九歳にして商いにおける神童と感じてはいたが、やはり長年営んできた油問屋に未...