内海

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第214話 『咸臨丸とハリスの江戸出府』

安政四年八月六日(1857/9/23) 江戸城 「なりませぬ! なりませぬぞ! それだけは絶対になりませぬ!」  大声でまくし立てるのは海防参与の水戸藩主、徳川斉昭である。アメリカの大使(日本領事予定)が艦隊を率いて再び下田へ入港したという...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第18話 『兵士と先生と弥馬壱国と壱与』

正元二年十一月二日(255/12/2⇔2024年6月16日13:00) 已百支いはき国 宮田邑むら   その時、家の外から怒鳴り声のような音が聞こえた。  どうやら誰かが門番と言い争っているようだが、詳しくはわからない。すると長老ナシメが長...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第166話 『江戸城での弁明とプチャーチンの来航』

嘉永六年七月十八日(1853年8月22日) 江戸城 御用部屋 「して次郎左衛門、此度こたびの江戸参府ならびに登城におよんだ儀については、あえて言うことも無いかと思うが、つくづくと(じっくりと)話してもらうぞ」  次郎は呼び出され、江戸城御用...
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第165話 『公儀からの質し状と登城命令』

嘉永六年七月三日(1853年8月7日) 大村政庁 「また、でございますか」 「……まただ。次郎、お主がJantje(オランダ語のヤンチェ……やんちゃの語源とする説あり)をやらかすから、こうなったのだぞ」  純顕すみあきはいたずらっぽい顔をし...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第161話 『13日早まったペリー来航』

嘉永六年四月二十四日(1853年5月31日) 奄美大島 「重畳ちょうじょう重畳。予想通りだ。さすが薩摩隼人、よくやってくれた。これでペリーも強硬な態度は出来ないだろう。琉球でこうなのだから、わが国に対しては対応を和らげてくるはずだ」  就役...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第152話 『五島沖の事故。嘉永五年との別段和蘭風説書』

嘉永五年七月二十三日(1852/9/6) 五島沖  平戸、壱岐対馬、天草、五島と何度も試験航海を曙丸は繰り返していた。 「主機は順調にございます! スクリューも滞りなく動いておりまする」 「艦橋了解」  機関長からの報告である。  試作のス...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第694話 『新政府議員の諫早紀行』(1582/2/21)

天正十一年一月二十九日(1582/2/21) 堺 「純正め、また面妖な船を造りおって」  信長は聞こえない程度の小さな声で呟いた。  多くの商人や労働者で賑わう堺の湊には、見たこともない形をした新造船を見ようという見物人が大勢集っている。 ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第86話 『局所麻酔薬コカイン製造現場からはじまる村田蔵六の大村見学記』(1847/11/18)

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 玖島くしま城  本年度収支報告(見込み含む)  ※歳入  石けん・椎茸しいたけ販売利益……140,016両 石炭……33,516両 塩……3,996両 鯨……37,068両 真珠……780両  合...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第60話 『塩の製造とミニエー銃とドライゼ銃』(1844/4/29)

天保十五年三月十二日(1844/4/29) 玖島くしま城下 <次郎左衛門>  俺は大砲と同時進行で、小銃の開発製造を進めていた。2年前の天保十二年に管打ち式のゲベール銃が完成した後、すぐにミニエー銃の開発に移っていたのだ。  しかし、原理は...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第51話 『開明塾の授業と3度目の参勤交代』(1842/9/15) 

天保十三年八月十一日(1842/9/15) 大村藩 開明塾 「いや、だいたいって言っても、みんな10代で元服するだろ? 寺子屋はざっくり12~3歳で卒業するから、その後は仕事をしながら勉強って形にならないか?」  次郎は当然そうだろうと考え...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第561話 和睦交渉を左右する所口湊の海戦と七尾城の戦い

天正元年 四月六日 巳の一つ刻(0900) 「なんぞ(何だ)あれは? 如何いか様にも(どうみても)兵船ではないか! 然しかも、上杉の兵船、船手衆ではないか!」  来島通総と得居通幸が、七尾湾に停泊する三百艘の上杉水軍の軍船を発見したのだ。 ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第559話 立花道雪の包囲vs.上杉謙信の包囲

天正元年 四月五日 午三つ刻(1200) 能登 輪島沖 「兄上、然れど昨日の三国湊は妙でしたね。煙が上がってました。君子危うきに近寄らずで、通り越して塩屋湊に寄りましたが、なにかあったんでしょうか」 「助兵衛(来島通総)よ、いや殿。いい加減...
緊迫の極東と、より東へ

第505話 明との冊封か小佐々との安保条約か。琉球は岐路にたつ

天正元年(元亀三年・1572年) 二月十五日 琉球 首里城  皇帝勅諭琉球王国中山王尚元  奉天承運皇帝制曰  琉球与明朝的関係併不新鮮很久以前洪武五年就開始進貢二百年来一直以諸侯的名義進貢祭祀正朔  這不僅是以皇帝的名義出兵更是在琉球危難...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第471話 五畿七道から五畿八道へ。蝦夷地開拓事始め。

遡って元亀二年 七月十九日 蝦夷国 松前 「夏だというのに……まったく暑くありませんね。旦那様」 「そうだな、藤兵衛。まあ、これだけ北に来ればそうなるのだろうな。私にとってもここまで北に来るのは初めてなのだ」  九州の肥前から蝦夷地の松前に...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第460話 海軍再建計画と山陰山陽大街道計画

元亀二年 五月二十四日 姫路城  純正は五月十二日には塩置城に入り、赤松義祐と三木道有の仕置をした。  すでに毛利・小早川・三村の連合軍は、播磨北部の国人を制圧して城下に集まっており、宇喜多・陸軍連合軍も沿岸の城を制圧して集結していた。 「...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第425話 小早川隆景、伊予から豊後、そして肥前へ。小佐々純正という男③

元亀元年 十月十四日  小会議室に案内された隆景は、様々な調度品に驚く。  壁には見たこともない絵が掛けられ、テーブルの上には何やら球体の置物がある。そして上座の席の奥には大きな振り子時計があった。 「さ、どうぞお座りくだされ。普通の茶と紅...
新たなる戦乱の幕開け

第410話 専守防衛?第二次尼子再興運動と対毛利、そして信長を考える①

元亀元年 九月一日 諫早城  例のごとく戦略会議室のメンバーが集まって、一通の書状を囲んで考え込んでいる。  正四位下近衛中将小佐々様  突然の書状をお許し賜りたく、伏して願い上げ候。  それがし尼子勝久様が家臣、山中鹿之助幸盛と申し候。 ...
新たなる戦乱の幕開け

第404話 正四位下近衛中将源朝臣小佐々平九郎純正となる、のか?

元亀元年 六月十日 諫早城 小佐々純正  いや、近衛中将って、俺は検非違使もやってるんだよ?  え? 兼任? いいよ、別に。肥前から動かないから。どうせまた叔父上から嫌み言われるんでしょ? いやだよ。  そもそも近衛大将とか中将って誰かやっ...
新たなる戦乱の幕開け

第393話 織田信長、第一次包囲網なるのか?

元亀元年 二月 諫早城  一月の末に進発した浅井軍一万は、若狭の粟屋勝久と呼応して、またたくまに若狭を制圧した。長政は、決断したようだ。  父の久政を幽閉し、見張りをつけ、外界との接触を禁じたのだ。  驚くほどの抵抗はなかった。事前の磯野員...
新たなる戦乱の幕開け

第384話 来島通総兄弟と瀬戸内の緊張

永禄十二年 十二月 五日 来島城 「兄上、もう半年になりますね」 「そうだな、もう半年になる」  伊予来島の村上(来島)通総は九歳である。  二年前に父である村上通康が死に、元服して家督をついだ。兄がいたのだが、母親が主君筋の河野弾正少弼通...
北九州を二分する 二つの二虎競食の計

第158話 宗義調と吉岡長増

同年十一月 対馬 金石城 吉岡長増 「お初に御意をえまする。吉岡左衛門大夫長増にございます」。  目の前には対馬と壱岐七万石を治める宗讃岐守義調様がいる。今回は小佐々との関係を探り、離間の計が能うかどうか見極めにきたのだ。 「面をあげよ。吉...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第72話 674石から11,536石へ 針尾三郎左衛門 

月が変わって、  同年 五月 沢森城 沢森政忠  叔父上たちの首は、丁寧に、本当に細心の注意を払って、小佐々城に送った。  本来は俺も一緒に行きたかった。俺は一生分の涙を流した気がした。一生分の叫びをし、慟哭した。  佐世保湾海戦では風が味...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第64話 激突! 佐世保湾海戦①

黒口湊 深沢義太夫 「いそげいそげ急げ! 休暇中の者も全員叩き起こして集合させろ」 「弾は満載しろ! 食料は……三日分のみでよい!」  激励する。準備ができた艦から順次出港だ。二週間の演習を終えたばかりなのに気の毒だが、敵は待ってくれない。...
横瀬浦開港 敵が味方 味方が敵に

第63話 死闘!葛ノ峠の戦い①

永禄六年二月 小佐々城 小佐々純勝 「申し上げます! 宮村城の大村純種様、ご謀反にございます!」 「なに?」  おそらく、単独ではない。背後に後藤か松浦が控えているのであろう。  いずれにしてもこちらも出なければ、南風崎はえのさきの砦があぶ...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第43話 山内二十六ヶ山の総領 神代勝利

肥前国 波佐見 内海城 神代勝利 「お初に御意を得まする。沢森平九郎政忠にございます。」  若いな、息子長良より一回り下位か。  内海殿と私は同時に挨拶をし、まずは内海殿がこの若い彼杵の領主に話しかけた。 「堅苦しい挨拶は良い。先だってから...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第42話 永禄四年末評定 十年戦略策定と短期目標

永禄四年十二月 沢森城 沢森政忠  年末を迎えるにあたって、家臣を一堂に集めて評定を行った。今後は定期的に行おう。  当主 沢森政忠  親族衆  筆頭 沢森政種(父)  親族衆 外交方 沢森政直(次男・政忠の叔父)  親族衆 殖産・技術方 ...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第41話 戦乱の足音 藤原千方の報告

「千方か、入れ」 「はは」  相手が千方だと無駄な話がない。性格が生真面目、ではなく、主従の関係がそうさせているのだろう。 「それで、どうであった?」  言葉少なに聞く。 「は、されば先日の曲者ですが、やはり針尾伊賀守の手の者に間違いござい...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第40話 製塩事業部、倒産?

忠右衛門の声に耳を疑った。だって、塩だよ塩。原価ゼロの。0だよ。そして専売商品で貴重で、瀬戸内海にはいくつも! 塩で財をなした豪商がいたはず。  そして何より、この当時の製塩法より生産量も人件費も、すべてにおいて優れているはずなんだ。コスト...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第32話 上松浦党の波多親

永禄四年(1561年) 六月 沢森城 「して、どうであった?」  俺は利三郎の報告を受けた。ひと月ほど前から粘土の調達と外交をまかせていた件だ。 「は、内海、福田とも感触は良好でござった」  利三郎は上機嫌だ。良い内容なのだろう。 「両家と...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第29話 利三郎と忠右衛門

永禄四年(1561年) 五月 岳の城 沢森利三郎政直  どたどたどたどたどた!    忠右衛門と二人で主殿に向かう。なんでまた、いきなりなんだ? 「殿!」 「殿!」  主殿の下座には先日家督を相続したばかりのわが殿、平九郎様がいらっしゃった...
二島五ヶ村の領主 無双≠生き延び スタート

第28話 神ばあ②(←手抜きタイトル!)

さあ、だんだん具体的になってきた。  菜種油と灰汁のせっけんは城内でまず作って、うまくできたら量産しよう。量と種類でどう変わるのか? 多分、菜種以外にえごま油、イワシ油、鯨油、牛脂……。  種類を変えたら性能も変わった気がする。あとは、香り...
歴史改変は悪だけど、死ぬのはいやです。

第2話 謎の転生〜永禄の変と消えた村、運命の軌跡〜

独り言のつもりだった。つもりだったのが、しっかりがっつり聞こえていたみたいだ。 「? ? 何をおっしゃってるんですか。今は永禄四年に決まっています。ここは彼杵そのぎの沢森村で、あなた様はご当主様のご嫡男、武若丸様。元服して平九郎様ではありま...
年表・統治機構

1566年~1570年(忘備録)

1566年(永禄九年) 1月 小佐々領 人口十二万人 石高 十八万三千七百五十二石 波多家 十四箇条の定めにより保護国化 2月 沢森家 第三子 吉法師誕生 第四子 愛姫誕生 3月 海軍伝習所 第一期生卒業 計百二十八名(松浦郡十六名・彼杵郡...
年表・統治機構

1561年~1565年(忘備録)

1561年(永禄四年) 4月  転生 蠣浦の海戦 5月 石けんの製造・販売開始 鉛筆の研究製造開始 綿花増産計画(同時にふとん製造) 硝石製造の研究開始 「ナタ目」法による椎茸試験栽培 同「種駒」式栽培研究開始 切り干し大根の生産製造・研究...
人物紹介

人物紹介②(12話~50話)

( )内は転生時、永禄4年(1561年)時点での数え年齢です。基本的に架空・史実の両方記載しますが、史実の人物の生没年、内容、記載の有無は筆者の任意なのでご了承ください。※は史実人物(本作ストーリー上内容修正あり) 沢森吉野(32) 沢森平...