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天下百年の計?

第705話 『越後と残りの奥州』(小佐々家中会議)

天正十二年閏うるう一月十一日(1583/3/5) 肥前国庁舎   本当に小佐々が全部の金を出すのでいいのか?  何か良い方法はないのか?  純正は戦略会議室のメンバーを集めての会議の中で、想定問答を行った。  来るべき新政府の会議における、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第153話 『公儀からの質問状』

嘉永五年八月十八日(1852/10/30) 大村藩庁 「然さて次郎よ、この、ごほっ……長崎奉行の志摩守(牧義則)殿からの書状じゃが、どうにも公儀から問いただすようにとのお達しのようじゃ」 「殿、大事ございませぬか? 誰かおらぬか! 俊達先生...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第152話 『五島沖の事故。嘉永五年との別段和蘭風説書』

嘉永五年七月二十三日(1852/9/6) 五島沖  平戸、壱岐対馬、天草、五島と何度も試験航海を曙丸は繰り返していた。 「主機は順調にございます! スクリューも滞りなく動いておりまする」 「艦橋了解」  機関長からの報告である。  試作のス...
天下百年の計?

第703話 『南常陸・南下野・東上野・下総の統治』

天正十一年十二月二十六日(1583/1/19)  新政府暫定庁舎会議室  純正は北条と先の将軍義昭の悪巧みを公表し、その後始末として減封としたことを全議員(大名)に伝え、新政府内においては合議の上、一年間の参加資格の停止処分とした。  停止...
天下百年の計?

第702話 『公方の京都帰還と北条の減封、佐竹と宇都宮』

天正十一年十二月二日(1582/12/26)  小田原御所 「嫌じゃ嫌じゃ! 何ゆえ余が官を辞して上洛し、信長と純正に頭を垂れねばならぬのだ!」  新政府からの通達を聞いた義昭は、書状を破り捨て、激昂げきこうしている。  新政府の情報を探り...
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第149話 『浦賀と朝廷』(1852/4/20)

嘉永五年三月二日(1852/4/20) 浦賀湊みなと  シュッシュッシュッシュッ、ガシャンガシャンガシャンガシャン……。  幕府の命を受けて次郎たちは浦賀湊で停泊し、使者を待っている。湾内には幕府が建造した晨風しんぷう丸をはじめとした小型の...
天下百年の計?

第701話 『氏政と。久しぶりに?純久ぶち切れる』

天正十一年十月二十九日 夜 在京大使館(小佐々事務所)<純正> 「ささ、まずは一献」  俺は氏政に酒を勧め、叔父さんは氏規や家老の板部岡江雪斎に勧めている。 「忝かたじけのうございます。では、ご返杯を」  氏政も上機嫌で、俺に杯を返してくる...
天下百年の計?

第697話 『本能寺の変』(1582/6/21)

天正十一年六月二日(1582/6/21) 京都大使館   織田信長をはじめとした旧来の新政府の面々に加え、北条からの使者を諫早に迎える事が出来たのは大きかった。氏規も江雪斎も小佐々の国力と軍事力に度肝を抜かれ、すっかり新政府の一員としての考...
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第143話 『横瀬参号船渠と七ツ釜四号船渠並びに幕臣報告書』(1851/12/20) 

嘉永四年十一月二十八日(1851/12/20)   次郎は2号ドックが8月に完成した後、新たに予算を計上した。  ・横瀬村(横瀬浦)に3号ドック(長さ156.5m幅28.78m深さ8.4m工期4年)、七ツ釜村に4号ドック(長さ158.4m幅...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第695話 『花の大諫早』(1582/2/26)

天正十一年二月四日(1582/2/26) 豊後府内  翌日、一行は駅馬車に乗り、陸路で諫早に向かう事となった。 「真まことや(そう言えば)、お主が岐阜に来ることはあっても、わしが赴く事はなかったの。これが初めてではないか?」 「然様さように...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第141話 『蝦夷地開発の上書と小曽根乾堂』(1851/11/6) 

嘉永四年十月十三日(1851/11/6)  江戸城 「伊勢守殿(阿部正弘)、蝦夷の伊豆守殿(松前崇広)より上書が来たとか。随分と真剣なお顔でござるが、如何いかなる内容だったのでござろうか」  牧野忠雅は、険しい顔をしながら書類を見ている阿部...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第694話 『新政府議員の諫早紀行』(1582/2/21)

天正十一年一月二十九日(1582/2/21) 堺 「純正め、また面妖な船を造りおって」  信長は聞こえない程度の小さな声で呟いた。  多くの商人や労働者で賑わう堺の湊には、見たこともない形をした新造船を見ようという見物人が大勢集っている。 ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第693話 『天然痘ワクチンと北条氏規』(1582/1/29)

天正十一年一月六日(1582/1/29) 純アルメイダ大学内研究室  大学の研究室では様々な分野に分かれて研究がなされている。  医学の分野に限って言えば、新薬の開発やワクチンなどだ。純アルメイダ大学の第一期卒業生である楢林朔玄さくげんは、...
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第139話 『蒸気缶と工作機械。台場造成と海軍伝習所』(1851/9/19)

嘉永四年八月二十四日(1851/9/19)  この月の17日に、上野俊之丞が亡くなった。陽気で明るく、ムードメーカー的な存在で、年齢を感じさせない気さくな性格は、誰からも好かれていたのだ。  葬儀はしめやかに行われた。上野彦馬は14歳。五教...
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第138話 『造船計画』(1851/7/30)

嘉永四年七月三日(1851/7/30) <次郎左衛門>  「ああそれから、掘削の人夫は松代の領内の者を使っても良いが、蒸留は絶対に土地の者を雇ってはならぬぞ。絶対にじゃ。越後と出羽の油田も買いあされ」  俺は考えられうる油田を全部買いあさる...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第691話 『ヌルハチ』(1581/12/12)

天正十年十一月十七日(1581/12/12) 「そうか、ヌルハチが一統したか」 「は、今は足場固めをしているようですが、直に他の女直へも勢力を拡げようとするでしょう」 「うむ。張居正はいかがだ? 持ち直しそうか?」 「それは未だわかりません...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第137話 『松代藩と松前藩。ソルベイ法とアンモニア』(1851/7/3) 

嘉永四年六月十五日(1851/7/3)  松代城  松代藩領内の浅川油田では調査の結果、油井として産出が認められたのは十八カ所で、産出量の見込みは一つの油井で1日平均1石7斗3升との事であった。精製すれば約三分の一が灯油となる。  そのまま...
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第688話 『貨幣政策と度量衡、明の陰り』(1581/4/14) 

天正十年三月十一日(1581/4/14) 南近江 暫定新政府庁舎  庁舎の会議室は和室ではなく洋室である。  上座に純正が座り、官位の順に並んでいる。窓から差し込む光が重厚な木製のテーブルを照らし、各大名が座る中、財務大臣の太田屋弥市が立ち...
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第687話 『大阪城その後。東玄甫の健康診断と検疫システムの拡充』(1581/3/11) 

天正十年二月七日(1581/3/11) <純正>  困った……。重要な事。重大な事を思い出した。大阪城だ新政府だと言っていたが、4年後に近畿地方で大地震が発生するんだ。世に言う天正大地震。マグニチュード8以上の超大型地震。  地震が起きれば...
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第133話 『継電器と隼人と幕府と佐賀』(1851/3/5) 

嘉永四年二月三日(1851/3/5)  精|煉《れん》方 理化学・工学研究室  一昨年の三月に電信機の公開実験に成功し、新たに送信距離の限界という課題に直面したブルークと宇田川興斎は、その距離を延ばすための試行錯誤を繰り返していた。 「先生...
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第132話 『薩摩からの手紙。ゴムと隼人と産物方』(1851/2/3) 

嘉永四年一月三日(1851/2/3) 師走の候、丹後守殿(大村純顕)におかれましては益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。※下に超訳あり。  未だ見知らず(会った事もない)、また申し入れず(手紙のやり取りもない)候と雖いえども、先般、御家中が一...
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第685話 『大日本政府、初年度予算(負担金)と電池』(1581/1/4)

天正九年十一月二十九日(1581/1/4) 肥前国 純アルメイダ大学 医学部研究室  東玄甫は解剖台の上のカエルに向かって立っていた。手に持っているメスの1本は切断用、もう1本は固定用だ。カエルの足を慎重に切り開き、筋肉を露出させる。  人...
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第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3)

天正九年十月二十三日(1580/11/29)  工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。 「この金属板をしかと丸めることができ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第684話 『注射器の開発と北条・イスパニア・ポルトガル』(1580/11/29)

天正九年十月二十三日(1580/11/29)  工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。 「この金属板をしかと丸めることができ...
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第130話 『条件』(1850/12/2) 

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間 「なに? では何を望むのだ?」  正弘が聞く。 「御老中様、我が家中といたしましては蒸気船の技を供し、その代わりに『大船建造の禁』を廃して頂くことを求めております」  次郎...
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第683話 『柳とキナと百三十万二千九百貫』(1580/10/23)

天正九年九月十五日(1580/10/23) 「松庵先生、また一緒に研究を進めましょう」  東玄甫は診療所の裏庭で宇田川松庵に声をかけた。宇田川松庵は雷酸水銀を発見した化学者で、科学技術省の職員である。庭には何度も使用された柳の木がそびえてい...
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第682話 『上杉家の処遇と新しい政庁』(1580/11/18) 

天正九年九月十五日(1580/11/18)  大同盟合議所 「ああそれから大膳大夫殿、上杉はいかが相成りましたかな?」  純正は別に勝頼を弾劾するつもりもなく、上杉の去就など眼中になかった。奥州や関東の服属大名と同じだ。他の加盟国は小佐々の...
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第681話 『大日本政府樹立に向けての第二回会議』(1580/10/23)  

天正九年九月十五日(1580/10/23)  大同盟合議所 「内府殿。つかぬ事をお伺いするが、蝦夷地の蠣崎ならびに奥州の大浦と安東、常陸の佐竹に下野の宇都宮が、小佐々の御家中に服属を申し出て、それをお認めになったというのは誠にござろうか」 ...
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第127話 『造船所と新型帆船。一斗缶の開発と一年の空白をどう使う?』(1850/9/14)  

嘉永三年八月九日(1850/9/14)    一昨年に建造を開始した大規模造船ドックが完成した。しかし、来年の蒸気機関とそれを用いた工作機械が到着しなければ近代的な造船はできない。あと1年あるが、それまでこのドックは遊ぶ事になる。  造船ド...
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第680話 『紡績機の改良・発明。人類、空へ』(1580/9/15) 

天正九年八月七日(1580/9/15) <純正>  俺が今世に転生して19年がたった。  その間に技術革新が発生し、その分野は多岐にわたった。軍事技術や兵器ばっかりに目が行くけど、昔の日本の明治維新と同じで、忘れちゃならない物がある。  紡...
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第679話 『北条と奥州』(1580/8/7) 

天正九年六月二十七日(1580/8/7)  「内大臣である」  純正の前に三人の使者が、時を同じくして訪れていた。もちろんまったくの同時ではない。  渡島国おしまのくに(北海道・渡島半島)の蠣崎かきざき若狭守季広すえひろ、陸奥西部の大浦(津...
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第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形  メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 ...
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第123話 『吉田松陰と宮部鼎蔵の大村探訪記とスクリューと潤滑油とゴムの話』(1850/4/2) 

嘉永三年二月二十日(1850/4/2)  川棚 「な、なんじゃあこれは」 「石か? 石積みの家に、どこからかわからぬが、がしゃんがしゃんと音が聞こえる」  前日、平戸藩城下で一泊した後、紹介状を携えて二人は南へ向かい、そこで遭遇したのだ。 ...
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第676話 『中央政府構想の波紋』(1580/4/3)

天正九年三月十九日(1580/4/3) 南近江 大同盟合議所  「徳川殿。武田殿。此度こたびの所領の件については、大同盟加盟の際の約定の通り、これで仕舞いという事でよろしいな」 「異論ございませぬ」 「異論、……ございませぬ」  家康は満面...
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第674話 『御館の乱の終結と北条からの返事』(1579/10/8) 

天正八年九月十八日(1579/10/8)   徳川勢の奥三河侵攻によって北信より撤退を余儀なくされた武田軍であったが、奥三河がすでに家康の手中となり、奪還が不可能と判断した勝頼は、軍勢を再び北信へ戻す事となった。  景勝・景虎両陣営の和睦を...
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第118話 『そのころの幕府と薩長土肥と他の藩、次郎左衛門の川越来訪』(1849/11/11) 

嘉永二年九月二十七日(1849/11/11) 江戸城 <阿部正弘>  さてさて、いかがしたものか。かくも多くの障り(問題)があれば、なにを初めにやれば良いのかすら、わからぬようになってくるぞ。三月には長崎にメリケン船が来おったし、四月にはエ...
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第671話 『上洛要請のその後と景勝vs.景虎始まる』(1579/6/15)

天正八年五月二十一日(1579/6/15)  小田原城 「……! おのれ純正め! このわしに上洛せよだと? なにゆえわしが、成り上がり者の純正に頭を垂れに京まで出向かねばならぬのだ」  純正からの手紙を読んだ氏政は怒り心頭である。  上杉家...
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第670話 『氏政の考えと御館の乱。そしてようやく雷酸水銀』(1579/6/5) 

天正八年五月十一日(1579/6/5)  京都 大使館 「構いなし、か」  純久は純正からの通信を読んで一言つぶやいた。  要するに主眼が北条への上洛要請であり、上杉に関しては関知しないという事だが、この時点で付き合いはないので、どっちの味...
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第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)   越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。  が、今世は違った。  純正が信長と同じ立場で東に武田...
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第668話 『小田原城の北条氏政と椎津城と佐貫城』

天正八年四月五日(1579/5/1) 夕刻 小田原城  小田原城は天下の堅城。総構えの城は何重もの広大な堀に囲まれ、その中に街がある。史実では豊臣秀吉の小田原攻めを前に構築されたようだが、今世ではすでに出来上がっていた。 「こりゃあ大したも...
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第113話 『閏四月マリナー号、和蘭の自由化の影響を伝えわが国も!となるが・・・』(1849/5/29)

嘉永二年閏うるう四月八日(1849/5/29) <次郎左衛門>  やっべ……重大な事を思いだした。  あやうく国際的な信頼を失う所だったよ。そう考えれば、全部じゃないけど|辻褄《つじつま》があうんだ。何の事かって? あの膨大なお茶の輸出量の...
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第666話 『北条軍上総上陸! 義重軍防戦一方となる』(1579/4/30) 

天正八年四月五日(1579/4/30) 上総 椎津城  「申し上げます! 敵襲! 北条にございます!」 「なにい! ? 数は?」 「数は不明! まず先手として千葉の二千が国境を越えて向かって来ております!」 「急ぎ備えを固めよ! 久留里城に...
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第665話 『房総騒乱、義頼起つ』(1579/4/25)

天正八年三月三十日(1579/4/25) 久留里城 義弘没後 四十九日  義弘の四十九日の法要が終わった。  元服し里見義重となった梅王丸の前に立ち、一礼して去る一団があった。里見義尭たかの息子で義弘の弟であり、義重が生まれるまでは義弘の養...
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第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城 「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」  側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。 「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長...
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第663話 『日ノ本大同盟の今』織田と徳川と浅井(1579/2/12)

天正八年一月十七日(1579/2/12) 『日ノ本大同盟』  純正が天正元年に提唱し、小佐々・織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見の七家で結成した合議同盟の事である。  経済・技術の交流はあるが、主な目的は各国の軍事行動の可否を決定する事と、...
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第659話 『中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノとともにセバスティアン一世に謁見す』(1578/11/7)

天正七年十月二十二日(1578/11/7) ポルトガル リスボン王宮  王の臣下を先頭に、リスボンの荘厳な王宮の廊下を歩く一団の中に、四人の少年の姿があった。三年前の天正四年十二月十八日(1576/1/18)に長崎を出港した伊東マンショ、千...
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第658話 『税制の改革と払い下げ。省庁再編と新規の設備投資』(1578/10/22)

天正七年九月二十二日(1578/10/22) 諫早城 <純正>  終わった……。5~6年後と考えていたスペイン戦が終わって、南方の脅威は去ったな。明も、まあよっぽどの事がないと行動は起こさないだろう。いま単独で俺たちに攻めてくるメリットがな...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第104話 『高島秋帆、毅然とした態度で幕閣と相見え、後進に道を託す』(1848/10/22)

嘉永元年九月二十六日(1848/10/22) 江戸城  高島秋帆は幕閣からの求めにより江戸に参府し、登城していた。いつの世にも、権力者と言うものは下の者から見ると勝手なものだ。まるで何事もなかったかのように振る舞っている。 「高島秋帆、命に...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第657話 『落胆あれば喜びあり』(1578/9/13)

天正七年八月十二日(1578/9/13) 諫早城 「御屋形様! 急ぎお知らせしたき儀がございます!」  忠右衛門が興奮した面持ちで純正に目通りを願ってきた。傍らには一貫斎と源五郎政秀もいる。 「おお叔父上、いかがなされた。一貫斎に源五郎まで...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第655話 『凱旋と織田家』(1578/7/5)

天正七年六月一日(1578/7/5) サン・ペドロ要塞 「なんだ、これは。これがあのサン・ペドロ要塞なのか……」  城壁は全周囲で崩れ落ち、かろうじて陥落していないが、すでに風前の灯火であるのは誰の目にも明らかであった。艦砲射撃で無力化され...