太田和

技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第680話 『紡績機の改良・発明。人類、空へ』(1580/9/15) 

天正九年八月七日(1580/9/15) <純正>  俺が今世に転生して19年がたった。  その間に技術革新が発生し、その分野は多岐にわたった。軍事技術や兵器ばっかりに目が行くけど、昔の日本の明治維新と同じで、忘れちゃならない物がある。  紡...
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第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形  メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 ...
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第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館 「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」  純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第120話 『勝海舟と大村城下の下水道整備計画』(1850/1/8) 

嘉永二年十一月二十五日(1850/1/8) <次郎左衛門>  さて、確かこの頃の勝海舟は、どこだっけ?  本所から赤坂田町に移ってる頃だったかな。「御免候!」 「はいよ。どなたかな?」 「勝麟太郎殿にござろうか。それがし、肥前大村家中、家老...
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第119話 『次郎左衛門、武蔵国にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』(1849/11/25)

嘉永二年十月十一日(1849/11/25) <次郎左衛門>  お茶の件はどうにかなったし、川越に来る途中にいろいろ考えてきた事があった。それは現在進行形で、これから10年、いやそれ以上、俺も含めてみんなが頭の隅に置いておかなくちゃならないこ...
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第672話 『純正、惣無事令構想を打ち立てる。武田軍、信越国境より撤退す』(1579/7/19)

天正八年七月十九日(1579/7/19) 京都 大使館 「おわっ! だ、誰じゃ……て、平九郎? ごほん。御屋形様、いついらっしゃったのですか?」  不意に執務室で声をかけられた純久は、驚いて思わず名指しで呼んでしまった。 「あはは。さっき。...
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第114話 『適塾の5人と賀来親子4人、そして前原功山』(1849/7/6) 

嘉永二年五月十七日(1849/7/6) <次郎左衛門>  今日は定例(?)会議だ。議題はいろいろあるんだが……。  適塾から帰ってきた5人は、信之介の面接を受けて各部署に配属されていた。部署といっても明確に決まっているわけでもなく、総括を信...
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第109話 『島原藩主松平忠精と賀来惟熊、真田幸貫の書状にて大村藩の要請に応ず』(1849/2/28) 

嘉永二年二月六日(1849/2/28) 拝啓  立夏の候、主殿頭とのものかみ殿におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。  先日、大村丹後守殿(大村純顕)より書状を頂戴し、貴領内の宇佐郡佐田村に住まう賀来惟熊これたけ殿を招聘しょう...
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第108話 『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう……なに? 御公儀の目付井戸弘道殿じゃと?』

嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門> 「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」  俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考...
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第107話 『石炭の掘削費用と石油の上総掘り……&缶詰開発で儲かるか?』(1849/1/9)

嘉永元年十二月二十五日(1849/1/9) <次郎左衛門>  この月、幕府より鍋島直正に長崎港防備に関する最終回答が伝えられた。  直正は防備の重要性を四年前から説き、堡塁ほうるいの建設を上書していたのだ。しかしその返書の内容は、同じく長崎...
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第658話 『税制の改革と払い下げ。省庁再編と新規の設備投資』(1578/10/22)

天正七年九月二十二日(1578/10/22) 諫早城 <純正>  終わった……。5~6年後と考えていたスペイン戦が終わって、南方の脅威は去ったな。明も、まあよっぽどの事がないと行動は起こさないだろう。いま単独で俺たちに攻めてくるメリットがな...
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第101話 『国産か輸入か? 小規模から拡大するか、最大規模か?』(1848/9/28)

嘉永年九月二日(1848/9/28) <次郎左衛門> 「あなた様、もう登城の刻限にございますよ」  お静の声で目が覚めた。太田和からの単身赴任じゃなくてよかったよ。実際に登城する時間に余裕を持って起こしてくれた。顔を洗ったり朝ご飯を食べたり...
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第97話 『五教館大学設立と教授の選任、そして次郎の総括就任』(1848/3/25)

弘化五年二月二十一日(1848/3/25) <次郎左衛門>  よし、つくろう。  会議室(仮称)に集まった俺たちは、五教館大学の設立に向けてのミーティングを行った。すでに母体のようなものはできあがっているんだけど、明確なくくりがない。  組...
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第94話 『鷹司政通の歌道と遊学生続々大村へ』(1848/2/9)

弘化五年(嘉永元年)一月五日(1848/2/9) 京都 関白・鷹司政通邸 『春を待ち 朝廷の縁に 新しき 歳の始めの 冬麗らかな』  岩倉具視は関白・鷹司政通の前で丁寧に一礼をし、声を落ち着かせて歌を詠み上げた。 「ほほほ。よきかなよきかな...
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第93話 『佐久間象山、その後。純熈の側近と家督の行方』(1848/1/31)

弘化四年十二月二十六日(1848/1/31) <次郎左衛門>  この月、水戸の徳川斉昭が外国人追放に関する意見書を提出した。昨年謹慎を解除されてから、2回目の意見書である。精力的だと言うほかはない。  幕政に参加したいとの権力欲か? いやい...
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第92話 『隼人、長崎にて浅五郎を介し大島高任と手塚律蔵を知る』(1848/1/21)

弘化四年十二月十六日(1848/1/21) 玖島くしま城下 火術方  火術方は組織上精煉せいれん方の下部機関ではあるが、独立して洋式軍事調練を主とする部門である。  高島秋帆と立石昭三郎が中心となって訓練を行っており、ゲベール銃からミニエー...
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第90話 『儀右衛門、蒸気機関事始め。洪庵、長崎にて奥山静叔に会し、一之進への紹介を頼む』(1848/1/19)

弘化四年十二月十四日(1848/1/19) <次郎左衛門>  さて、誰がいるか? あれからずっと考えている。招聘しょうへいする技術者のリストは次の通りだ。  ・味田孫兵衛……現在地は美濃。堆朱ついしゅカメラと呼ばれる最初期のカメラの製造者。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第87話 『村田蔵六、次郎左衛門と会す。岩倉具視、次郎左衛門の勧めにて鷹司政道の歌道へ入門して頭角を現せり』(1847/11/18) 

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 夜 玖島くしま城下 「こ、これは……あれは何ですか?」  すでに夕方だったために、川棚から玖島城下へ向かい、登城するのは遅かった。そのため1泊して、翌朝登城しようというのだ。 「ああ、ガス灯ですね...
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第86話 『局所麻酔薬コカイン製造現場からはじまる村田蔵六の大村見学記』(1847/11/18)

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 玖島くしま城  本年度収支報告(見込み含む)  ※歳入  石けん・椎茸しいたけ販売利益……140,016両 石炭……33,516両 塩……3,996両 鯨……37,068両 真珠……780両  合...
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第81話 『なるほど、天才だね。だけど大村には君以上の者は3人居るし、君くらいの者は両手で足りないくらい、いるよ』(1847/1/1)

弘化三年十一月二十五日(1847/1/11) 信濃松代藩 産物会所 「おお、そうだ。これであれば遜色あるまい」  身長180cmはあろうかという一人の大男が、職人が持ってきたガラスの器を手に取り、満足そうにうなずいている。その男が傍らの机に...
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第78回 『捕鯨船の寄港と漁場問題』 (1846/8/26)

弘化三年七月五日(1846/8/26) 京都 <次郎左衛門>  今年初めに事業として展開を始めた捕鯨船団が帰ってきた。  8隻の65トン級の捕鯨船は船団を組み、玄界灘なだ・五島灘・角力灘すもうなだといった通常の漁場をはじめ、南シナ海や太平洋...
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第71話 『長崎台場と造船所。ガス灯の研究』(1846/1/26)

弘化二年十二月二十六日(1846/1/26) 玖島くしま城  弘化三年の、つまり来年の参勤交代であるが、純顕すみあきは老中首座の阿部正弘に、長崎湾と外海沿岸に台場の建設を建白する。  受理されるか却下されるかはわからないが、見積もりが必要で...
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第69話 『エーテルはもうできた。コカの葉からコカイン単離、局所麻酔薬をつくろう』(1845/8/21) 

弘化二年七月十九日(1845/8/21) 次郎邸 <次郎左衛門>  さて、製鉄のめどはたってきた。多分、あと2~3年でカノン砲が作れるだろう。その後はペクサン砲だな。それから後はいろいろあるが、元込め施条式が主流になる。  アームストロング...
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第68話 『炭素鋼ドリルによる切削と口径を統一した芯金による鍛造製造』(1845/8/6)

弘化二年七月四日(1845/8/6) 長崎  イギリス船サマラン号が長崎に寄港した。  警護にあたっていた佐賀藩は、幕命にしたがい薪と水を給与し食料を与え、直正は以下を命じた。  ・藩領である伊王島、香焼島・蔭かげノ尾島(現香焼町で陸続き)...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第624話 『日ノ本大同盟内の経済格差と移住問題』(1576/2/9) 

天正五年一月十日(1576/2/9) 永禄四年四月(1561)に、沢森平九郎政忠として転生して15年がたっていた。 その治める版図は北は北海道の北西岸、南は鹿児島県のトカラ列島、東は静岡県の吉原湊(租借地)に、西は五島列島までに及んでいた。...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第623話 『中浦ジュリアンの元服と洗礼。遣欧使節団?』(1576/1/18) 

天正四年十二月十八日(1576/1/18) 諫早城 寒く、それでも晴れ渡った天気のもと、数えで14歳になる中浦小佐々甚吾じんご(中浦ジュリアン)の元服式が行われた。 小佐々甚吾純吉である。 本来は純正の姉である幸の息子、幸若丸の元服式と同時...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第63話 『斉昭の蟄居が解かれ、秀才、大村に集う』(1845/1/4)

天保十五年十一月二十六日(1845/1/4) 玖島城下 「次郎殿、いや、失礼いたしました御家老様。これはまた、勇ましい限りにございますな」 「先生、どうか、どうか以前のように次郎とお呼びください」 「ははは。そうは言っても難しゅうござるな。...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第618話 対イスパニア戦、再び?(1575/2/20)

天正四年一月十日(1575/2/20) 諫早城 『フィリピン全土占領の大儀とそれに付随する戦略会議』が純正の主導で開催された。  開催というより議題に上った案件で、最重要課題の一つだったために、特別に時間を割いたのだ。 「フィリピン全土を占...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第616話 電気のその後のライデン瓶とジエチルエーテルの冷凍庫?(1575/1/30)

天正三年十二月十九日(1575/1/30) 諫早城 『磁気的現象と電気的現象についての考察:天正元年六月一日(注:ユリウス暦1572/7/10):太田和忠右衛門藤政』 天正元年(1572)六月一日に発表された論文なのだが、これは今まで忠右衛...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第56話 『佐久間象山に知己を得、大村に帰っては洋式帆走捕鯨船の完成』(1842/12/17~1843/5/16)

天保十三年十一月十六日(1842/12/17) 江戸 某所 「だからな、まずもってこの日本の沿岸部、主要な港に防衛のための砲台を据え置かねばならぬ」 「なるほど」  居酒屋の片隅で、数人の同僚なのか部下なのかわからない男達を前に語っている男...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第53話 『高野長英と徳川斉昭』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 <次郎左衛門>  9月26日に大村を出発して、俺たちが江戸についたのは11月11日だ。    俺の上京、じゃなかった江戸参府の同行には目的があった。それは長英さん(高野長英)の見舞いに行...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』(1842/10/31)

天保十三年九月二十八日(1842/10/31) <次郎左衛門>  俺は今回の江戸参府に同行したが、その前に、やるべきことがあった。 『根回し』だ。  史実では高島秋帆先生が今年の五月に告発され、十月には外国人との交友の罪で投獄された。それを...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第607話 連合艦隊司令長官 深沢勝行(1574/8/18)

天正三年八月二日(1574/8/18)小佐々城 新たに編成された第四、第五艦隊の陣容は以下のとおりである。 ■第4艦隊(呉) 連合艦隊司令長官 深沢勝行大将 第4艦隊司令長官 佐々清左衛門加雲中将 第41戦列戦隊(41bd) 74門戦列艦 ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17)

天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室  小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。  純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第602話 東西本願寺と加賀、紀伊の服属(1574/5/11)

天正三年四月二十一日(1574/5/11)  太田和利三郎(治部少輔)政直や日高甲斐守喜、伊集院掃部助忠棟をはじめとした小佐々家外務省の渉外担当官は、多くを語らず、ただ聞かれた事のみを答えた。  これは可、これは非という形の説明に終始したの...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第600話 戦争と平和(1574/2/17)

天正三年一月二十六日(1574/2/17) 摂津 石山本願寺 「なんと! そのような事できようはずがない」  本願寺顕如は七里頼周の報告を聞き、鼻で笑うかのように言い放った。 「されど従わねば、われらは小佐々の敵となりますぞ」 「わかってお...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第599話 加賀一向宗、騒乱の幕引き(1574/2/10)

天正三年一月十九日(1574/2/10) 加賀 「では三河守殿、どうあっても織田家との|諍《いさか》、弓を伏せて越前討ち入りを取りやめる気にはなりませぬか」  太田和利三郎政直はもう二刻(4時間)も話し込んでいる。それでも七里三河守|頼周《...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第598話 バッタ型脱進機と壱式時計の完成。加賀侵攻の是非に関する合議

天正二年九月十日(1573/10/5) 肥前諫早城 時計製作研究所 織田主導の真の平等合議同盟というべき条件を書き連ねた条約締結に向け、光秀と虎盛が各国を回っている頃、肥前諫早城下にある時計製作研究所では一人の男が奮闘していた。 3年前の元...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第37話 『鯨組の復活とペニシリン』(1839/11/26)

天保十年十月二一日(1839/11/26) 肥前彼杵そのぎ郡 江島村 『深澤』ではなく『益富』と掲げられた屋敷では、見かけでは20歳になるかならないかという男が、他の男衆に声をかけながら作業を行っていた。 「御免候、こちらに深澤太郎殿はおら...
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第36話 『唐津一揆の結末と捕鯨。深澤家鯨組の復活』(1839/11/03)

天保十年九月二八日(1839/11/03) 佐賀城 「その後、唐津の件はいかがあいなった?」 「は、やはり佐渡守様(唐津藩主小笠原長和ながよし)の説得には応じず、一揆勢は御公儀の沙汰を待つとの事でございます。しかして唐津藩は藩兵二百五十人余...
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第34話 『まじで何が売れるだろう? 高炉の件は鍛冶屋と波佐見の窯焼き職人&炭焼き職人に任せようかな』(1839/08/20)

天保十年七月十二日(1839/08/20) 玖島城下 次郎邸 <太田和次郎>  次郎邸、といっても新築ではない。  本邸と、お里用の小さな部屋(家)が隣同士になるような土地と屋敷を購入して、あくまで隣の女主人のような形にしたのだ。  同じ屋...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第594話 一貫四百五十匁(約12ポンド)一貫斎砲と五馬力蒸気機関

天正二年五月二十三日(1573/6/22) 肥前 川の近く 某所  ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……。  水車を動力とした大型切削機械が二つ並んでいる。  ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……...
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第33回 『藩政改革と新たな商品開発。精錬方も』(1839/06/12)

天保十年五月二日(1839/06/12) 肥前 玖島くしま城 次郎左衛門  断った。  ありがたく拝命いたします、と言った直後の居室での会合で、俺は即断った。 「殿、それがしはまだ家督も継いでおらぬ十七の若輩者。また、継いだとて郷村給人にご...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓

天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城  二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。  蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。  まずは大首長チパパタインの...
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第32回 『何がどう転んで御家老様に?』(1839/06/12)

天保十年五月二日(1839/06/12) 肥前 太田和村  約四ヶ月の江戸滞在期間中は、渡辺崋山や高野長英にも面会をして、江川英龍と同じような話をした。  しかし時既に遅しで、高野長英はすでに幕政を批判した『|戊戌《ぼじゅつ》夢物語』を出版...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第31話 『江川英龍の知己を得、鳥居耀蔵を排除しよう』

天正九年十一月十七日(1839/1/2)   ……と次郎左衛門は言ったものの、排除など簡単にできるはずがない。  鳥居耀蔵は今はまだその職にいない。  水野忠邦が重用した幕閣だからだ。そうなると、現実的にできることは、揚げ足を取られないよう...
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第30話 『人生初の参勤交代』(1838/12/29)

天正九年十一月十三日(1838/12/29) <次郎左衛門>  4月にいきなり参勤交代への同行を命じられた俺は、条件を出した。  臣下の身分で主君に条件など、というのが普通かもしれないが、こればかりは願い出るしかなかったのだ。  その条件と...
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第28話 『坂本龍馬の支援者・小曽根乾堂の父、小曽根六左衛門』(1838/2/9)

天保九年一月十五日(1838/2/9) 長崎 「お慶よ、石けんじゃが、お前に聞くのもどうかと思うが、このまま商いを続けても大丈夫なのか?」  父の太平次はお慶の事を、九歳にして商いにおける神童と感じてはいたが、やはり長年営んできた油問屋に未...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第27話 『高島秋帆の一番弟子、平山醇左衛門との出会い』(1838/1/10)

天保八年十二月十五日(1838/1/10)玖島くしま城 「佐賀武雄鍋島家が郎党、平山醇左衛門じょうざえもんと申します。このたびは謁見の栄誉を賜り恐悦至極に存じます」  長身である。  とは言ってもこの時代で考えればというくらいで、165cm...
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第26話 『佐賀藩、大村藩に遣いを送り、探りを入れる』(1837/11/12)

天保八年十月十五日(1837/11/12) 佐賀城  次郎左衛門が藩主大村純顕あきにゲベール銃の複製を申請し、硝石と火薬の藩内での大規模な製造を進言している頃、肥前一の大藩である佐賀藩、佐賀城で会見が行われていた。  会見、といっても仰仰し...