敬具

天下百年の計?

第722話 『フェリペ二世の焦りと欧州情勢』

天正十三年十一月十四日(1584/12/15) スペイン マドリード王宮  スペイン王フェリペ二世は苛立ちの極致であった。  6年前、1578年6月にヌエバエスパーニャ副王の艦隊が壊滅して以降、副王の更迭ならびに内政の拡充を行ってきた。海軍...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第133話 『継電器と隼人と幕府と佐賀』(1851/3/5) 

嘉永四年二月三日(1851/3/5)  精|煉《れん》方 理化学・工学研究室  一昨年の三月に電信機の公開実験に成功し、新たに送信距離の限界という課題に直面したブルークと宇田川興斎は、その距離を延ばすための試行錯誤を繰り返していた。 「先生...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第98話 『豊前国宇佐郡の賀来惟熊と平戸・福江・大村・島原同盟?』(1848/4/13) 

弘化五年三月十日(1848/4/13) <次郎左衛門> 拝啓  弥生の候、兄上様におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。  さて、公儀にて藩の発展に資するべく人材招聘しょうへいの旅に出ており候処、豊前の国宇佐の地に行き着き候。 ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第60話 『塩の製造とミニエー銃とドライゼ銃』(1844/4/29)

天保十五年三月十二日(1844/4/29) 玖島くしま城下 <次郎左衛門>  俺は大砲と同時進行で、小銃の開発製造を進めていた。2年前の天保十二年に管打ち式のゲベール銃が完成した後、すぐにミニエー銃の開発に移っていたのだ。  しかし、原理は...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第457話 二俣城の陥落と三方ヶ原の戦い

元亀二年 五月九日  武田高信への仕置を終えた後、純正は鳥取城へ向かう途中で山名豊国への謁見を許し、但馬へ入った。塩冶高清が治める桐山城、芦屋城、長高連が治める林甫城がある。 「初めてご尊顔を拝し奉りまする、長越前守高連にございます。近衛中...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第450話 雑賀党と太田党、そして西国では嵐の前の静けさ

元亀二年 三月二十一日 京都大使館 「さて、まったく変なやつだと昔から思っていたが、その変わったやつが、ここまで家中を大きくしたのだからな。こたびの差配も、考えたら的を得ている」  小佐々治部少丞純久は、純正の書状をみながら、つぶやく。  ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第448話 信玄、動く。

元亀二年 三月四日 諫早城  発 純久 宛 近衛中将  秘メ ◯二二六 信玄 甲府ヲ 発テリ 東美濃ヨリ 三河 ナラビニ 駿河ヨリ 遠江ヘ 二手ニ ワカレ 進ム模樣 コノ報セ 弾正忠様ニモ 送リケリ 秘メ ◯三◯一  京都大使館の純正から、...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第447話 西国の火種と東美濃の争乱。そして山家三方衆

元亀二年 二月二十五日  三ヶ月前の元亀元年十一月、新しい西国の枠組みが決まった。  一万石から三万石の国人の多くが純正の提案を受け入れ、知行地を大幅に減らし、俸祿にて仕えることを選んだのだ。  しかし、領民やその下の家臣たちも、たかだか三...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第446話 信長の越前攻め

元亀二年 二月八日 岐阜城 「時は来た。いざ越前へ攻め入るぞ」。  満を持した信長の号令の下、一次侵攻の時と同じように、浅井長政の一万とあわせて、合計六万の軍勢が越前に攻め入ったのだ。  浅井長政軍を主力とした一万五千の兵が敦賀口から金ヶ崎...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第442話 武田信玄の3つの選択肢

元亀元年 十二月二十日  甲斐の武田信玄には、どこに侵攻するか、三つの選択肢があった。一つは越後、もう一つは美濃、そしてもう一つは遠江三河である。  一つ目の越後の上杉謙信だが、昨年の永禄十二年の八月には和議が成立している。  しかし開戦の...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第440話 純正から延暦寺への手紙

元亀元年 十二月七日 諫早城  天台座主にして金蓮院准后様(比叡山延暦寺大僧正)  拝啓 寒さを感じる霜月の候、准三后様におかれましては、ご自愛いただきたく存じたてまつり候。  初めての文ならびに突如としての送文と相成りますが、何卒お許し願...
新たなる戦乱の幕開け

第397話 フランシスコ・デ・アルメイダとバルトロメウ・ディアスの驚嘆

元亀元年 四月 諫早城 「先生! お元気でしたか!」 「先生! お変わりなく!」  行く先々で海軍伝習所時代から兵学校への変遷の際に学んだ生徒が声をかけてくる。なつかしさのあまり涙を流す者もいた。  拝啓  親愛なるわが王 セバスティアン一...
新たなる戦乱の幕開け

第385話 1568年のポルトガルとフリントロック銃

遡ること一年、1568年8月 リスボン王宮  永禄十年(1567年)に派遣した第六回遣欧留学生の代表者が、ポルトガル国王セバスティアン一世に謁見した。  セバスティアン一世にとっては、日本人の留学生の使者に会うのは六回目であるが、滞在してい...
西国の動乱、まだ止まぬ

第382話 永禄十二年 十二月一日 庄内の乱、東郷の乱。

永禄十二年 十二月一日 巳の一つ刻(0900)薩摩  薩州島津家当主、※島津義虎が動いた。  南下して、二十年も抗争を続けてきた東郷氏の旧領を攻めたのだ。  東郷氏は渋谷一族の分家で、祁答院氏や入来院氏とともに島津家と戦ってきたが、すでにす...
西国の動乱、まだ止まぬ

第371話 帝への上奏、肉食文化への願いに儲け話と省庁部分改編

永禄十二年 十一月 諫早城  純正は戦に明け暮れ、というよりも南九州と四国、そして南方と広がり続ける戦線でも生活を豊かにする事を忘れない。  領民の食生活を豊かにすることが、国力アップにつながるとも考えた。  それから飲食店ビジネスの利益の...