嘉永元年十二月二十五日(1849/1/9) <次郎左衛門>
この月、幕府より鍋島直正に長崎港防備に関する最終回答が伝えられた。
直正は防備の重要性を四年前から説き、堡塁の建設を上書していたのだ。しかしその返書の内容は、同じく長崎警固を命じられていた筑前福岡藩の意向がかなり反映されていた。
ざっくり言うとこういう事だ。
『防備を強化するには通常の倍の兵力と費用が必要であり、それによって両家が疲弊する可能性があると懸念しています。そのため伊王島と神ノ島の問題については幕府が介入しない事とし、港内の長者岩と高峰に限り必要な変更のみを行うよう命じます。今回の堡塁の増強計画は一旦保留することに決定しました』
要するに幕府が援助して計画を実施したとしても全額ではないし、それによって費用もかかり維持管理にも金がかかるから両家に負担がかかる。だから保留、と。
この件では福岡藩も上書しているが、表向きは賛成しつつも、内心は躊躇しているのでは? という事がみてとれたのだ。
まーなんだろうね。俺でもやっぱり躊躇するかもしれない。金かかるからね。そんで一銭にもならないし。ただしこの決定で動いた人物がいる。
宇和島の伊達宗城だ。
もし福岡藩が幕府に願いでてそうなったのなら、佐賀藩と福岡藩との間で遺恨になると危惧して、福岡藩の黒田長溥と何度も面会して他意がない事を確かめて、再度阿部正弘に上書している。
しかし、それも否決された。
たいへんだな。直正さん。うちは1回断られているからね。長崎港内は知らんけど、大村藩領内は五カ所、折を見て建設する。しかも、鉄製の強力な(?)砲をね!
■大村藩庁
「さて、今ある大島、崎戸、池島の三カ所の炭鉱と、各所の鉄鉱石鉱山、六カ所を新しい設備投資をする際にいかほどになるか。見積もりはでたか?」
勘定奉行と作事奉行、そしてお里、採掘術の専門家と財政の専門家数名を交えての会談だ。
各々の鉱山で詳細にいくらかかるか? というものではなく、設備投資が必要な鉱山の設備は似たり寄ったりなので、概算でいくらかという会議である。
採掘による排水の汲み上げや、鉱物の運び出し、あわせて換気や照明などの設備であるが、概算が出たようだ。
「はい。まずは水車2台で1,541両、喞筒(ポンプ)が1万1,884両、巻き上げ機械が1万2千269両となり、その他諸々で合計3万2千799両となります」
勘定奉行が報告する。
安くはない金額であるが、しかもこれは坑道一つに付きの値段だから、多ければ多いほどコストがかかる。さらに排水ポンプにいたっては、事実上7~8m以上掘り進むには蒸気機関による排水が不可欠なのだ。
現在はそれ以上の深さの坑道は、手押しポンプの中継地点を設けながら作業をしている。
深くない鉱山はまだ良いが、それでも手押しポンプでは排出量に限界があるし、いずれ深く掘る。作業効率を考えれば、先行投資で設置した方がいいのは目に見えている。
「まずは儀右衛門どのが製造した蒸気機関を複数個製造し、試験的に導入して問題なければそのまま設置、必要分製造し、大型化が必要であれば、改良を加えていくとの回答でございました」
作事奉行が答えた。
「排水した水の力で水車を動かし、さらに動力に変えるという考えのもので、信之介様が新たに考案し実用化させた水車があります」
お里が続いて答えた。よく地方の田園地帯でみかける(今は見かけない?)水車ではなく、効率を重視した水車を新しく開発したようだ。信之介恐るべし。次郎は再認識した。
水流を効率よく動力に変える仕組みが施されているという。信之介はこれで初期の水力発電をつくりたいようだ。アーク灯の研究もあり、発電と蓄電に力を入れている。
勘定奉行も作事奉行も、その他の面々も、お里がここにいることに違和感を最初は感じていたが、お里は出過ぎた発言はしない。周りの人を尊重しながらの言動である。
それに優れた知識を持っているので、尊敬に値する。人当たりの良い性格が徐々に打ち解けさせたのだ。いまだ、女性が政治というか、こういった議論の場所にいる事を好ましく思わない人は多い。
幸い太田和家では次郎の父である佐兵衞武豊も、祖父である一進斎も寛容である。何も言わない。正妻のお静は、お互いが得意な事で次郎を助ければいいと考えているらしく、口を出さない。
「あい分かった。いずれ要るであろうから、予算に組み込んでおかねばならぬであろう。石油、臭水だが、これはいかほどかかろうか?」
次郎は石油の採掘にかかる初期費用と、ランニングコストが知りたいのだ。
「しつらい(設備)につきましては、上総掘りを用います。|櫓《やぐら》としつらいにて、油井ひとつにつき1両1分(1.25両)。日々の入目(ランニングコスト)につきましては人足は三、四人で足りますゆえ、諸経費を含めて月に13両ほどになり申す」
運上金は産出量によって変わってくるが、設備投資とランニングコストは変わらない。
トータルコストは産油量によって決まってくるようだ。最終的な収益予想は全国の鉱山と油田の状況で変わってくるが、おおよそ黒字で操業可能な事は見えてきた。
「あわせて……いや、これはこたびの議題ではないな」
次郎は言いかけてやめた。
金の話ではなく技術の話だからだ。信之介と相談して決めなければならないが、五教館大学の研究課題で、具体的に信之介を助け、技術革新に役立つ研究をさせようと考えていたのだ。
具体的には次の三つ。
・石油精製方法……ヤン・カレル・ファン・デン・ブルークと共に研究開発。機械油としても必須。
・缶詰製造技術……招聘した技術者と一緒に。
・焼き玉エンジンの開発……信之介が用意したざっくりとした図面とその概要や理論から。実用化されれば初期の鉱山には使えるかもしれない。
各分野で得意な者が集まって研究を行い、月に一度信之介にアドバイスを貰う。これで信之介の負担も減るし、発電・蓄電・アーク灯の研究に専念できるのだ。
さらにこれとは別に、次郎は石油の精製、機械油で思い出した事があった。
ニシン・イワシの油を精製して売った、という歴史事実の記憶がよみがえったのだ。水素と混ぜる? 何かをすれば石けんやロウソクの原料となるのだ。
これも、儲かるか? 次郎はニヤリと笑う。
次回 第108話 (仮)『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう』
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