嘉永二年八月十二日(1849/9/28) <お里>
6万斤は……人吉球磨茶、知覧茶、霧島茶、日向茶……九州全域で、なんとか、なんとかなった。良かった~!
残りの2万千600斤は少し待って貰ってかき集める。
そのぎ茶の増産。440haまで! このペースで注文がくるなら一気にじゃないと間に合わない! 他の産地も可能な限り増産する! 様子見なんてできない!
それから四国中国幾内まで! 金かかってもいいからあつめまくる! 一番茶と二番茶の余剰分とそれから3番茶と4番茶! 京都の宇治茶までかき集める!
「されどお里殿、産物方の長としての権を越える行いではございませぬか?」
「問題ありませぬ。御家老様は留守中の殖産、産物の事は私に一任すると仰せでございました。その御家老様は殿に勝手向きの一切を一任されております」
……でも、作付面積広げたって、生産者人数が足りない! 茶摘みと製茶を機械化しないと人力じゃ、無理。
まず、1haの年間生産量が3,589kgだから5千982斤。
1haの茶畑を維持するのに20世帯(1世帯4人)が必要として、1haあたり必要な人数は80人。
21万5千斤つくるには35.94ha。
これを維持するために必要な人数は2千875人。
……300万斤なら? ……4万人? 無理! 無理無理無理! 大村藩の人口が11万から12万だよ?
どっちにしても! 機械化! 機械化!
あーもう! 次郎ちゃんの馬鹿!
■精錬方 研究室
ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ……。
ブツブツブツブツブツブツブツブツ……。
佐久間象山は研究室で引っ張りだしてきた本を読んでは、頭をかきながら独り言をいって実験を繰り返していた。様々なオランダの本を読み、ここ大村藩に来てからも、気になる蔵書は読みまくったのだ。
しかし、ない。
冬に硬くなり、夏に粘着質になるゴムを安定化させる方法など、どこにも書いてないのだ。それもそのはず、ゴムの加硫の方法は1839年にグッドイヤーが発明したばかりなのだ。
書籍としては、まだ日本に入ってきていない。
つまり、未知への挑戦をしている。
象山は昨年末に大村藩に来てから様々な物を見てきたが、ゴムと言う物が必要不可欠だと聞いたのだ。
数ヶ月にわたって研究に没頭しており、その過程が人を寄せ付けない。あまりにも常軌を逸していたものだから、周りのみんなは心配していた。
ただ一人信之介だけは、『俺の他にもジャンキーがいるな』とつぶやいていたとか、いないとか。
「よし、今日こそは良い結果が出るはずだ」
と呟きながら、象山はゴムを熱して練り始めた。
「このゴムに酸化マグネシウムを加えてみよう」
なぜ酸化マグネシウムなのかはわからない。現代では放熱性と絶縁性にも優れており、高温下でも安定して電気を通さず、熱のみを伝えられる性質であると認識されている。
しかしこの当時の認識は、せいぜい医薬品としてである。
酸化マグネシウムをゴムに加えると、念入りに混ぜ合わせた。
「おお! これは粘り気が少なくなっているのではないか?」
象山は混合物を観察しながら、興奮を隠しきれない様子だった。ゴムと酸化マグネシウムが化学反応を起こし、白い合成物が形成されたのだ。
「これで製品化に近づいたかもしれない」
象山は希望に胸を膨らませた。
■信濃松代藩
「信濃守様におかれましては、今般、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます」
次郎は信州の油田開発と交渉のため、松代藩を訪れていた。
「おお、そなたが次郎左衛門殿か。象山から希有なる才の持ち主と聞いておるぞ」
「はは。恐れ入ります」
「地震の際の大村家の御助力、誠に痛み入った。この幸貫、感謝に堪えぬ」
幸貫は本当に感謝しており、その表情には気持ちが現れていた。
「とんでもございませぬ。我が殿におかれましては、人の道理に従ったまでと仰せにございました。こちらこそ島原の松平様への仲立ち、誠にありがとうございます」
「なんのこれしき。まだまだ恩は返しきれぬわ。……して、こたびはいかがいたした? 当て|所《ど》(目的)なくこの信州まで来るわけはなかろう?」
幸貫の顔には笑みが浮かんでいたが、次郎の人となりを知ろうとする、いたずらっぽい心も見え隠れした。
「は、こたびは三方良しのお話を持って参りました」
「三方良し、じゃと?」
「は。御家中におかれましては、生業を興して国を富ませる政を行っていると聞き及びます。そこでわが家中と手を組み、互に益を生み、かつ領民の暮らし向きも上向く事にございます」
「ほほう。そうなれば正に、三方良しであるな。つぶさにはいかなる事をするのじゃ」
幸貫は興味津々である。
「は、されば臭水にございます」
「臭水? あのような物が、売り物になるのか?」
当然の質問だろう。専ら貧しい庶民が菜種油の代わりに照明用で使っていたのだ。臭いし煙が出るので嫌煙されていた。
「は。なりまする。それがしが油問屋に聞きましたことろ、菜種の半値ほどで売られておりまして、そうなりますと一升で二百文の儲けになります。あとは如何ほど取れるかによりますが、一つの油井で一日二貫文は見越しております」
「なんと!」
幸貫は驚きを隠せない。
「さらに我が藩では臭水をろ過して、菜種と変わらぬようにする術を調べておりますれば、いずれ益も倍、二倍になりまする」
次郎のプレゼンは続く。
次回 第118話 (仮)『そのころの幕府と薩長土肥と他の藩、そして加賀の大野弁吉』
コメント