第130話 『条件』(1850/12/2) 

 嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間

「なに? では何を望むのだ?」

 正弘が聞く。

「御老中様、我が家中といたしましては蒸気船の技を供し、その代わりに『大船建造の禁』を廃して頂くことを求めております」

 次郎左衛門の言葉に正弘は内心驚いたが、すぐに落ち着いて答えた。

「な! はは、ははははは。大船建造の禁を廃して欲しいとな。これは無理難題というもの」

 次郎左衛門は冷静に反論した。

「それは、如何いかなる理由でも無理という事でしょうか?」

 正弘は慎重に答える。

「まあお待ちなされ。この儀については他の老中とも相談し、合議の上で決するといたそう。されどいずれにしても、ただちに廃するというわけにはいかぬ。まずは試しとして、この禁を廃す事をはかろうと思う」

「試しに、でございますか?」

 次郎左衛門が聞き返した。

「さよう。つぶさには、以下の題目を満たすことを求める」

 正弘は紙を取り出し、条件を読み上げた。純顕や次郎が言ってくるだろうと考えて、前もって準備していたようだ。

「まず第一に、蒸気船の建造と運用について、以下の詳らかな報せの書を定期的に提出すること」

 正弘は続けて条件を説明した。




 ・蒸気船の設計図および製造工程の詳細、主要部品の調達状況および進捗状況、建造に関与する技術者および職人の名簿。
 
 ・蒸気船の航行ルートおよび運航スケジュール、燃料消費量および補給状況、航行中のトラブルや事故の詳細な記録。
 
 ・建造および運用にかかる経費の内訳、蒸気船を使用した場合の経済効果や節約額、収益があればその詳細。
 
 ・幕府から監視役を派遣し、蒸気船の建造および運用の現場を定期的に視察させる。監視役には、技術の進捗状況ならびに安全性を確認する権限を与える。

 等々この他にも多岐にわたった。




 次郎左衛門は深く息を吸い込み、確認した。

 馬鹿げた話だ。なぜ収益まで記さねばならぬのだ。建造と運用の費用はわかる。航行のルートやスケジュールなどまで必要なのか? しかも監察官だと? 詳細な報告を書いて痛くもない腹を探られるのはゴメンだ。

「なるほど、御公儀のお考えはよくわかりました。されどあまりに制約が多すぎます。ここまでせねばならぬのなら、大船建造の禁は許していただかなくても構いませぬ」

 正弘は驚き、次郎左衛門を見つめた。

「待て、次郎左衛門、許すと言うておるのだ。公儀としては構えて(慎重に)処さねばならぬのだ。何が不満なのだ」

 次郎左衛門は冷静に答えた。立て板に水のようだ。

「まず、詳らかなる報せを出すにも拘らず、御公儀からの目付を常に置かれるなど、我らに信なきと仰せと同じかと存じまする。我らは長崎の警固の為、天下国家の為に努めておりますのに、これならば禁を解いてもらわなくてもよい、という考えに至りましてございます」

 正弘はうなずき、理解を示した。

「確かに、解せる。されど公儀としては、そう易き事ではないのだ」

「さればこそ、幕閣の方々とよくよく吟味の上、お決め下さるようお願いいたします。此度の儀は一旦白紙に戻し、我らはこれまで通り進めさせていただきます」

 正弘は自分の失言に後悔した。ここであの条件を出すべきではなかったのだ。条件を出したからこそ、白紙に戻そうと言い出したのだ。
 
 来年の三月までは江戸にいる。その間に交渉し、納得させるべきだったのだ、と思った。

「……あい分かった。大村御家中の考えを尊重しよう。此度は一旦終わりとする。蒸気船の建造も航行も違法ではない事であり、公儀としてはその事実を受け止める。大村家中の努力と技術に敬意を表しつつ、今後も互に協力していこうではないか」

「はは」

(互に協力、ねえ……)

 純顕と次郎左衛門は平伏し、退座した。




「次郎よ、これで良かったのか?」

「良いのです殿。蒸気船を用いるは許しを得たも同然にございますれば、これで日本全国津々浦々、どこへでも行けまする。海路が大阪までと定められしは参府のみにございます。それに大船建造の禁は、五百石までにございますが、荷船は除く、と言質を得たも同然。誰はばかることなく、船を走らせられまする」

「まったく、お主の悪知恵には頭が下がるわ」

「お褒めに預かり光栄にございます」

「ぬかせ」

 わはははは、と二人の笑い声が響いたが、阿部正弘には聞こえなくなってからであった。




 ■大村藩

 ライケンが来日して二年が経っていたが、次郎はライケンに帆船の運用と蒸気機関の運用を訓練してもらっただけではなかった。川棚海軍伝習所では、当然の事ながら測量術も教える。

 大村湾と西彼杵半島、そして平戸藩や福江藩、島原藩の協力を得て、近海の海図を作っていたのだ。すでにおおよそ出来上がっている。長崎は天領であったし、佐賀藩の領地である島しょもあった。

 天領である長崎の沿岸部の測量は、特に問題は無かった。何と言っても長崎奉行とはズブズブなのだ。自由化によって数多く訪れるようになったオランダ船もあり、町民も驚かなくなっている。

 しかし、佐賀藩の天領であった香焼島や伊王島、沖ノ島や高島、端島などの測量は最後であった。佐賀藩も洋式の小型の帆船を建造して運用をしていたが、川棚型よりかなり小さい。

「Idioot! Ik heb je herhaaldelijk gezegd om te reciteren! We varen alleen op deze kalme golven, maar als we eenmaal op open zee zijn, kunnen we je niet meer horen. Onthoud, één verkeerd commando kan onmiddellijk tot de dood leiden!(馬鹿者! 復唱しろと何度も言っているだろう! 今はこの穏やかな波の上でしか船を動かしておらんが、外洋に出れば声も聞こえずらくなるのだ。命令一つ間違えば、即、死につながる事を忘れるな!)」




「おい、ありゃあ噂の大村家中の帆船じゃねえか?」

「ああ、違えねえ。うちの殿も蘭癖で有名だが、大村様も相当だな」

「馬鹿、そこじゃねえよ。見ろ、あのでかさを。この船の何倍ある? それにの間、蒸気船なる船を造ったらしいぞ」

 御座船飛龍丸と川棚型、そして昇龍丸は、大阪から戻ってきていた。たまたま今回は点検整備中であり、測量は既存の帆船(寄港中の捕鯨船)で行っていたのである。

「蒸気船? なんだそりゃあ」

「なんでも蒸気の力で船が動くらしい。風がなくてもがなくても、動くようだ」

「ははははは! 何を馬鹿な事を! そんなことがあるわけがない。もし出来るなら、我が家中でも話に上がっておるだろうよ!」

「……」




 次回 第131話 (仮)『北海道と大阪とゴムのその後』

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