第132話 『薩摩からの手紙。ゴムと隼人と産物方』(1851/2/3) 

 嘉永四年一月三日(1851/2/3)




 師走の候、丹後守殿(大村純顕)におかれましては益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。※下に超訳あり。

 未だ見知らず(会った事もない)、また申し入れず(手紙のやり取りもない)候といえども、先般、御家中が一力にて(独自に)蒸気船を造り上げ、見事に大阪まで航行されたと聞き及び候間そうろうあいだ(聞いているので)、まずは一筆にてお祝い申し上げ候。

 しかして(という事で)御家中の匠の技に感銘を受けた次第にて、ぜひともわが家中より人を遣り、御家中の技を学ばせて頂きたくお願い申し上げ候。

 不躾ぶしつけな願いと存じ候得共そうらえども、蒸気の力にて海上を自在に航行致す蒸気船は、以後我が日ノ本を大いに栄えさせる技と考え候間、何卒お聞き入れ頂きたく、御願い申し上げ候。

 我が家中においても蒸気缶の研究を行い候得共、未だ途上にて候。

 御家中におかれては、れまで帆船を用いて航海の術を研鑽けんさんされてこられたと聞き及び候間、此れを機に蒸気船の製造をはじめ、その他の洋学や技を学ばせて頂ければ幸いに存じ候。

 寒さ厳しき折、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げ候。

(会った事もないし、手紙を交わした事もないけど、蒸気船で大阪までいったと聞いたので、まずお慶び申し上げます。ついてはわが藩の藩士を送って技術を学ばせたいので、どうかよろしくお願いします。不躾なお願いだとは思いますが、蒸気船は必ず将来の日本に役立つ技術です。どうかお願いします。うちでも作ってますが、まだ出来上がってません。一緒にその他の学問も勉強させてください)

 恐々謹言

 薩摩守 花押

 十二月二日

 大村丹後守殿




「と、来て居るぞ。従四位下薩摩守様から、従五位下のわしに、こうまで低く出られては、断る訳にはいくまい。のう、次郎」

「は。左様にございます。薩摩守様は英邁えいまいなお方と聞き及んでおります。これを機によしみを通わし、昵懇じっこんにして損はないと存じます」

「次郎よ。そなたまた何か悪巧みを考えて居るのではないか? 分かりやすく顔にでておるぞ」

「ご冗談を」

 わはははは、と笑いが起きた。島津斉彬の他に、伊予宇和島の伊達宗城、長州の毛利敬親など西国諸藩からの手紙もあり、島原や平戸、五島福江の書状もあった。

 ……佐賀鍋島は、ない。




 ■大村藩 精れん

 理化学・工学研究室の実験室で、佐久間象山はブツブツブツブツ言いながら思索にふけっていた。

 目の前には、数多くの実験器具と、ゴムの切れ端が散乱している。

「先生、これまでの実験では、酸化マグネシウムや生石灰を用いて、ゴムの性質を改善することができました」

 機材を運びながら上野俊之丞が言った。
 
「されど、未だ完全な解決には至っていない。硝酸による方法も、ゴムの安定化には十分ではなかった」

 杉亨二は実験用のゴムのチューブを30cm程度に切りながら付け加える。

 佐久間象山は次郎の勧めで大村藩に来て以降、いくつかの分野を掛け持ちで研究していたが、その中でもゴムとスクリューの研究は喫緊の課題であった。

 ゴムは温度変化で性質が大きく変化するなどの問題があり、象山は様々な物質を用いて実験を行っては一定の成果を得ていたが、完全な解決には至っていなかったのだ。

「わしは、硫黄がゴムの物性を変化させる可能性があると考えている」

 象山は語りだした。
 
「硫黄ですか?」

 俊之丞が驚いた様子で尋ねたが、象山は軽くうなずいて続ける。
 
「左様。硫黄は他の物質と反応して性質を変化させることが知られている。水銀と混ぜれば辰砂しんしゃになり、鉄とも反応して火打ち石の材料になる」

 俊之丞と亨二は象山の説明に聞き入る。象山は偏屈なところはあるが、群を抜いて優秀なのである。1日、また1日と知識の吸収量が尋常ではない。

「先ほども言うたが、我らはこれまで、酸化マグネシウムや生石灰を用いてゴムの性質を改善しようと試みてきた。硝酸を用いた法でも一定の成果を得たが、まだ完全な解決には至っていない……」

 二人に語りかけながら、象山は慎重にゴムと硫黄を量り、鉄鍋に入れた。

 彼は鍋を熱し、ゴムと硫黄が溶け合うのを観察した。しばらくすると、鍋の中のゴムと硫黄が反応し、黒い塊となって固まり始めた。

「これは驚くべき変化だ!」

 象山は興奮した様子で叫んだ。

 象山は、ゴムを『加硫』することで、ゴムの性質が大きく改善されることを発見したのだ。サンプルを作成し、その特性を詳しく調べた。

「これを……加硫法と呼ぼう。安定して、ゴムの質を変えずに保つものであるなら、開発中のゴーグルやスクリューの防水に、大きな変化をもたらすぞ!」

 象山は確信を持って言った。
 
 なにか困難にぶち当たってそれを克服したとき、科学者が発明をした時、感情が高ぶってエクスタシーを感じるというのは、これなのかもしれない。
 
「左様にございます! ゴムが安定して使えるようになれば、水を弾く布や馬車の車輪など、その使い道は無限に広がります!」

 俊之丞や亨二も興奮気味に付け加えた。

「我らの発見は、世界を変えるかもしれない。加硫法を改良し、より実用的なゴムの品を作る事が、これからの我らの使命だ」

 適塾の四人も、加硫の発見に心を躍らせた。
 
 象山の探究心と実験精神が、研究結果として現れたのだ。チャールズ・グッドイヤーが1844年6月15日にゴムの加硫の特許を取得してから、7年後の事である。

 世界初、ではないが、間違いなく歴史を変えた。




 ■伊豆国君沢郡戸田村大中島(現・静岡県沼津市)

「ん? あんた誰だい?」

 小屋の奥から出てきた船大工の上田寅吉が隼人に声を掛ける。

「ああ、これは失礼。それがし、こう言う者です」

 隼人は名刺を見せ、自己紹介をする。男は怪訝けげんな顔をしつつも名刺を見、隼人に言う。

「で? 肥前からいったい何の用ですかい?」

「いやあ……これは立派な、見事な船ですなあ……」

「いや、あんた。どこの誰かはわかったが、何の用かと聞いてるんだよ」

「いや実に、この考え抜かれた流線が美しい。それでいて勇ましく、海原を走る姿が目に浮かぶようだ……」

「お、おう。わかるか。これはだな……」

「ふむふむ。ほうほう……なるほど、いや素晴らしい……」

 なかなか本題に入らない。褒めて褒め上げて外堀から埋める。こんな事どこで覚えたのだろうか。さすが兄弟である。




 ■産物方

「みんないい? この前の大阪行きでわかったけど、寄港しないで大阪までいけば、石銭こくせん(港の入港料)がいらないから安くあがる。と、言うことは同じ値段で売れても利益が大きい。だからこれからは、昇龍丸をどんどん使うわよ」

 去年の3月に妊娠がわかったお里だが、まったく気にせず仕事をしている。

「お里様、お体に障ります。どうかお休みになってください。御家老様より、どうか頼むと言われております」

 周りのみんなは気を遣って声を掛けるが、お里は全くに気にしない。出産の直前まで仕事をしそうな勢いである。

「大丈夫、イネちゃんいるし、問題ないよ。さあみんな、安く買って高く売る、これが商売の基本だからよろしくね! 機帆船なら北海道までいけるし、鮭や昆布を買って売りまくるわよ~」

 北海道(松前藩)の商人とは取引がないが、これからである。

「あ、運送会社もいいかも」




 蒸気船の開発が、大きな影響を及ぼしていく。




 次回 第133話 (仮)『継電器』

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