第141話 『蝦夷地開発の上書と小曽根乾堂』(1851/11/6) 

 嘉永四年十月十三日(1851/11/6)  江戸城

「伊勢守殿(阿部正弘)、蝦夷の伊豆守殿(松前崇広)より上書が来たとか。随分と真剣なお顔でござるが、如何いかなる内容だったのでござろうか」

 牧野忠雅は、険しい顔をしながら書類を見ている阿部正弘に対して尋ねる。

「これでござる」

 正弘はそのまま忠雅に上書文を見せた。

「これは……蝦夷地の開拓の儀にござるな。二年前に松前城の改築をするよう命じておりましたが、北方の警備も命じておりますゆえ、銭がかかるのでしょう。良い事ではありませぬか」

 上書文の最初の三分の一程度を読みながら返事をしたが、正弘は更に続ける。

「良く読んでくだされ。その先にござる」

 そう言われて忠雅は最後まで読むが、あ! と声を発した後に続けて言った。

「丹後守殿の、大村家中と力をあわせ、と書いておるではありませぬか」

様」

「これは……如何いたすのですか? お許しになるので?」

「許すも何も、蝦夷地は伊豆守(松前たか広)殿の所領ですぞ。公儀が上知あげち(没収)としておりましたが、文政のみぎりに返しております。金や銀の金山ならいざ知らず、他をどうしようが口入れは出来ませぬ。それに金山が見つかった際には法のとおり知らせる、とまで申しておるのです。禁ずる由がありませぬ」

 正弘は複雑な表情を見せながら言ったが、気になるのは蝦夷地の開発の是非ではない。西の果ての大村藩の名前が、北の果ての蝦夷地開発の上書に出てきたからである。

 いったい次郎左衛門は何を考えているのか? 空恐ろしく感じる正弘であった。




 ■長崎

「では乾堂殿、自前の船をお持ちになりたい、との事かな」

「然様にございます。父は次郎様のお陰で石けんの販売では随分と儲けさせて頂きましたが、ここらで商いを広げようかと思いまして」

 小曽根乾堂(六郎太・六郎)。史実では坂本龍馬の支援者として有名だ。父親の六左衛門と次郎とは、大浦慶と同じくらいの付き合いで、石けんの販売では次郎はかなり世話になっていた。

「はて、六左衛門殿はまだ五十前。隠居するとは聞いていないが、お父上はご存じなのか?」

「はい、父も承知しております。隠居はまだ先だと考えておいでですが、私が跡を継ぐ者として、自らの力で商いを広げる術を学べと仰せでした。それゆえ意を決し、申し上げたのです」

 力強くうなずいた乾堂のその眼には確固たる決意が宿っていた。

「なるほど、然様か。然れど船を持つとなると、銭も要るし信ずるに足る船乗りも要る。そこは如何なのだ?」

「次郎様、ご心配には及びません。父の知り合いに優れた船頭と船乗りが何人かおります」

 次郎は乾堂の言葉に満足げに頷いたが、二つ質問した。

「然れど和船ならば、なにも俺に頼まなくてもよかろう。それに新しき船で何を商うのだ?」

 乾堂のビジネスプランは既に出来上がっているようだ。

「次郎様の仰せの通り、和船ならば我らで何とかなるでしょう。然れど私が求めているのは西洋式の帆船です。これによりより速く、より遠くまで商いが能い、商いの幅が広まります。そして新しき船で商うのは、石けんのみならず、薬品や織物、そして外国の珍しい品々です」

 次郎はじっと乾堂を見つめている。幕末版マネーの虎みたいな感じだろうか。(知らない人はググってね)

「なるほど。それは確かに新しい試みだな。然れどそうなると、さらに多くの銭が要るし、船の扱いや保つのも難しかろう。君はその備えがあるのか?」

 乾堂は深呼吸し、次郎の目をまっすぐに見つめた。その目には未来への大きな夢が映し出されていた。

「はい、次郎様。実はさきほど話した父の知り合いの中には、次郎様の下で西洋船の扱いに熟達した船頭や船乗りが何人もおります。彼らの助けを借りて、船を動かしていこうかと存じます。また銭に関しても……」

「ま、待て待て。君が言うのは深澤家や海軍伝習所の人間を言っているのか……?」

 乾堂は事もなげに言う。

「はい次郎様。その通りです。深澤家や海軍伝習所の方々は、西洋船の扱いに長けた者ばかりです。彼らの助けを借りて、確実に船を動かし、新たな商いを切り拓こうかと考えております。また資金面についても、石けんの売上でかなりの額を蓄えております。この計画を進めるための礎はすでに出来ていると考えます」

 金はあるが、船と人材は次郎もち、という事のようだ。いよいよプレゼンテーションである。次郎はしばらく考え込んだ。費用対効果やリスク管理……。

「なるほど、つまり金は出すから船と人員を貸してくれ、という事かな?」

「はい。有り体に申せば、そうなりまする」

「して、人はなんとかするとして、船は如何ほどと考えておるのだ?」

 乾堂は考え込み、次郎の質問に慎重に答えた。

「はい、船の購入については、予算はおよそ五千両を見込んでおります。この額は、石けんの売上で蓄えた資金の一部を充てる予定です」

「五千両? 五千両で如何ほどの大きさの船を考えて居るのだ?」

「五百石積みを考えております」

「五百石積み? なるほど。それならば四百五十石ほどの船はある。されど帆船ではなく機帆船じゃ」

 次郎は言った。

「! 次郎様、それは近頃出来たという、蒸気船にございますか?」

「然様」

「五千両でお譲り頂けるのであれば、ぜひお願いいたします!」

「いかに小曽根さんところの六郎君でも、それはちと厳しいな。いかがだ? そうだな……一万五千両として五千両は前金としてもらい、残りの一万両は稼いだ金の中から支払うというのは?」

 しばらく乾堂は考えていたが、それでようございます! と即決した。これには次郎も驚いたが、1万両はやり方によっては5年、いや3年で元がとれるだろう。

「大丈夫か? 急がなくても他に買い手はないし、六郎君以外にこの条件で売ろうとは思っておらぬ(第一今そんな考えの商人などいないだろう)。じっくり考えても良いのだぞ」

「いえ、大丈夫です。次郎様が一万五千両をひとまずは五千両と条件を出してくださったのです。ここで乗らねば商人ではありません。それに、いまこの日本で蒸気船を持つ商人は、私だけでしょうからね」




 ……商魂たくましい。

 次郎の驚きをよそに、乾堂はニコニコしながら条件を詰めていくのであった。




 次回 第142話 (仮)『商船学校と海軍兵学校』

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