第154話 『石油精製法その弐』

 嘉永五年十月二十九日(1852/12/10) 

 予想通り、次郎が提案して純顕が長崎奉行を通じて幕府に上書した内容は、おおむね受諾されたが、純顕の関与は却下された。当然といえば当然の結果である。

 こちらは意見を聞いただけで、幕政に参画せよという事ではない、という事だろう。




 ■精煉せいれん方 理化学・工学研究所 
 
 佐久間象山、稲田東馬、浅田千代治、松田洋三郎、長井兵庫、土屋善右衛門の6人が、ついに完成した新型蒸留装置の前に立っていた。

「諸君、我々の努力が実を結んだぞ」

 象山が静かに語った。彼の目は、巨大な4石容量の釜と、その上に設置された高さ4尺の円筒を見つめていた。

 象山お気に入りの稲田東馬が、新しい装置の特徴を指し示しながら説明を始める。

「これまでの小さな釜から大幅に容量を増やしました」

 この円筒の上部は円錐えんすい形になっており、内壁には精巧な溝を刻んでいる。留出油をより効率的に集めるためだ。

 中心軸に取り付けた旋翼が蒸留を促進し、冷却部の高さを1.2メートルにしたことで、冷却効率も向上した。

 象山はオランダから取り寄せて使用していたボーメ比重計を手に取って言う。

「この装置のおかげで、我らは油の密度をしかと測れる。これにより、一貫した質の管理が能うであろう」

 6人は装置を稼動させ、原油の蒸留を開始した。

「驚くべき結果です」

 10時間後、得られた灯油の量を確認した松田洋三郎が興奮気味に報告する。

「これまでの方法と比べて、一度に処理できる量が格段に増えました」

「そうだな」

 象山が満足げにうなずいた。

「量的な面では大きな進歩だ。品質はどうだ?」

 長井兵庫が慎重にボーメ比重計で測定を行い、答える。

「密度はこれまでの物とほぼ同じです。然れどこの装置のおかげで、常に安定した密度の灯油を得られそうです」

 6人は新たに精製された灯油のサンプルを手に取り、慎重にランプに注いだ。火を灯すと黄色がかった炎が立ち上がり、燃え続ける。

「燃え方はこれまでの物とさほど変わらぬようだ。然れど我らの新しい方法の真価は、この生産量の増加にある」

 との象山の言葉に土屋善右衛門が同意する。

「然様。これだけの量を安んじて生産できれば、この先の灯油の求めを十分に満たせるでしょう。信濃と越後の灯油も飛ぶように売れているそうですぞ」

「然もありなん。菜種より長持ちしながらも明るく、それでいて値は半分ときた。売れない方がおかしい。臭水は値崩れを起こしていると聞く。臭くて黒い煙の出るこれまでの魚油も売れまい。それに比べて我が家中は魚油を精製したものも売っておるからな」

 わはははは、と全員が笑い、研究所内にこだました。




 ■大村藩庁 次郎居室

「はわあぁぁぁ、これはなんとも、嬉しい悲鳴というかなんというか……。あ! これは殿!」

「良い良い。そう畏まらずとも。如何いかがした?」

 居室であくびをして蹴伸びしながらつぶやいた直後に、藩主の純顕からの声がけである。さすがの次郎も驚いた。

「実は殿、各藩と大阪の商人からの求めがありまして、いかに処すか考えていたところにございます」

「ほう? 如何いかなる求めじゃ?」

 次郎は少し考え、整理して話し出す。

「それが、洋式の帆船や機帆船の噂を聞いた大阪商人や、以前から求めがありました各家中からの船の発注にございます」

「なに? 船の発注とな? ……大型の帆船と機帆船か。これは我が家中の勝手向きをさらに良くする、良い話ではないのか?」

 純顕は次郎の言葉に真剣に耳を傾けながら、さらに尋ねた。

「然に候。りながら……」

「なんじゃ? 何かわずらう(悩む)事でもあるのか?」

「は……。実は船は今造っております徳行丸も二年かかります。川棚型の前身である帆船でも一年、それより小型でも半年から数ヶ月かかります。それを一体いくらで売るか? 川棚型の建造費はおおよそ二千五百両。それにに利を乗せて売ったとして三千両から三千五百両にございます。年に一隻で利は千両、あまりうま味がありませぬ」
 
 次郎は造船にかかる時間と経費について懸念を示しながら続けるが、純顕は深くうなずきながら、次郎に次の説明を求める。

「ふむ、うべな(なるほど)。つまり船の建造には手間と暇、金がかかるが、それに見合った利が少ないということか。確かにこれは大きな課題といえるな。して、如何なる策を考えておるのか?」

「は。造船にて利をあげ続けるためには、何十隻もの求め(需要)が要りまする。今のところこれは、いささか難ありかと存じます。あったとして、それに応えるならば、さらに造船所を広げねばなりませぬ」

「うむ」

「そのため我らは、造船で儲けるのではなく、船を貸し、賃料で末永く儲けるか、または運び賃にて利を得れば良いかと存じます」

 純顕は次郎の考えをじっくり頭の中で巡らせ、笑顔で言う。

「然うか。それならば、公儀からもいらぬ疑いも持たれぬの。ふふふふふ……」

「は。然様にございます」

 次郎は造船で利を得るのではなく、レンタル料や運送会社を設立して永続的な利益を得ようとしたのだ。それに、各藩や商人からの要求通り船を造って人材を派遣すれば、幕府からの追及も免れない。

 正直どうでもいいだろ! と言いたい所だが、時代が時代である。それに船を運用する人員も育っていない。各藩が要求するのはおそらく軍艦だろうから、大砲を装備してそれを運用し、船を自在に操れる人材が必要なのだ。




 亀山社中ならぬ、大村社中設立か?

 ちなみに藩主純顕は、参勤交代で前回同様昇龍丸を使って大阪まで行き、江戸へ参府する予定だ。ついでになぜ大阪までしか船で行けないのか? その撤廃にむけて話をするらしい。




 次回 第155話 (仮)『アーク灯とガス灯とランプ』

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