第166話 『江戸城での弁明とプチャーチンの来航』

 嘉永六年七月十八日(1853年8月22日) 江戸城 御用部屋

「して次郎左衛門、此度こたびの江戸参府ならびに登城におよんだ儀については、あえて言うことも無いかと思うが、つくづくと(じっくりと)話してもらうぞ」

 次郎は呼び出され、江戸城御用部屋にて老中首座の阿部正弘他、五人の老中の前で弁明をする事となった。正弘は柔和な顔でやわらかく話しかけたが、他の老中達の顔は険しい。

「さて、まずは何故なにゆえ勝手にペルリと交渉に臨んだのか?」

 次郎は平伏したまま、ゆっくりと話し始めた。

「は。まずは斯様かような場にて弁明の機会を設けていただき、誠に有難うございます」

 次郎は全くそんなことは考えてもいないし、思ってもいなかったが、建前というヤツだ。こういうのを好きな人は多い。まして礼儀礼節にうるさいこの時代ならなおさらだろう。

「うむ」

「然れば申し上げます。我らが御公儀の許しも無くペルリ提督と交渉に及んだ由に御座いますが、これはひとえに一刻を争う事態であったがためにございます。メリケンの艦隊はたちまちに(突然)浦賀に現れ、加えて浦賀内海の測量を始めているでありませぬか。斯様な事を捨て置けば、わが国が危ういと判じたのでござます」

 正弘は眉をひそめた。

「然れど、然様な事様ことざまであったとしても、まずは公儀に知らせ、下知を仰ぐべきではなかったのか?」

「仰せの通りでございます。本来であれば、然様にすべきにございました。然りとて誠に一刻の猶予も無かったのでございます」

 平伏から面を上げることを許された次郎は、落ち着いて答えた。正弘と次郎のやり取りを見ていた松平忠固ただかたが厳しい口調で割って入ってきた。

「時がないからとて、然様な勝手な振る舞いが許されると思うのか」

「いえ、思いませぬ。許す許さぬの話ではなく、やらねばならぬと思うたので、やったまでにございます」

詭弁きべんを申すでない!」

 忠固に対して次郎は冷静さを保ちながら、さらに弁明を続ける。

「然ればお伺いいたします。あの場で御公儀にお伺いを立て、何日も何ヶ月も待っていたら|如何《いかが》あいなりましたか。恐らく香山殿も厳重に抗い訴えたでしょうが、メリケンが応じたでしょうか。そこまで物わかりが良いのであれば、長崎に向かっておりましょう……」

 忠固だけではなく、正弘や他の老中の顔を順に見ながら話す。

「如何でしょうか。ペルリは求めに応じなければそのまま艦隊を江戸内海に侵入させ、上陸して江戸へ向かうと言い放ったのです。然様な事が起きれば、如何あいなりましたか」

「……」

「そう成らぬよう、おしかりを覚悟で交渉に赴いたのでございます。それでもまだ、知らせて待つべきだったと仰せになりますか。もし然うなら、それがし、国許に戻って殿にそうお伝えいたします」

 次郎の言葉に老中たちは沈黙した。正弘は目をつむり、しばらく考えてからゆっくりと口を開いた。
 
「次郎左衛門、お主の言わんとすることはよくわかった。確かに事様ことざま(状況)は差し迫っており、常の手立てを踏むいとま(余裕)がなかったのかも知れぬ。然れどれでもなお、公儀を差し置いての行いは心軽し(軽率な)行いであったと言わざるを得ぬ」

 阿部正弘はわかっているのか? それともわかった上で、あえてこう言っているのか? 次郎にはわからない。

「では方々、これはこれでよろしいか」

 正弘が他の五人に同意を求めた。最初に口を開いたのは牧野忠雅である。

「確かに型破りではあるが、果として事様が悪うなるのを防いだ事は認めねばなるまい。然れど斯様な前例を作る事の危うさも考えておかねばならぬ」

 他の老中も同じような意見の中、松平乗全のりやすが最後に付け加えた。

「此度の儀は非常の際の処し方として扱い、以後の異国船処し方の範といたすべきかと存じます」




「では次郎左衛門、大村家中の戦備え、特に船手衆の備えは如何いかなるもので、如何ほどのものか」

 船手衆? ……ああ、海軍の事か。一瞬間を置いた後、次郎は答える。

「はい、まずは二千六百石船(約400t・徳行丸)が一隻、もう一隻(至善丸)は建造中にございます。また、二千四百石船が二隻(昇龍丸と蒼龍丸・360t)、そして四百五十石船(飛龍丸・67.5t)が一隻にございます。五千石や一万石の船についてはこれからにございます。また、大砲については目方は違えども一隻に付き六門備えております」

「に……二千、六百石だと……?」

 正弘が驚きの声をあげ、同じように他の老中も驚きを隠せない。それもそのはず、今の日本にその規模の大きさの軍艦などないのだ。いや、軍艦と呼べる船すらないかもしれない。

 幕府が建造していた小型の洋式帆船はあるが、沿岸警備艇レベルである。

「次郎左衛門、其れほどの大きさの船を何ゆえ造る要があったのだ? 公儀も未だ然様な大船は持っておらぬ」

 正弘の問いに冷静に次郎は答える。

「然れば申し上げます。我が家中の領国は海に面しており、古くから海防の任を担ってまいりました。此度の異国船来航を見るに、長崎に来航する和蘭船をみても、これまでの千石船程度では到底太刀打ちできぬと判じましてございます。それゆえ家中総出で大船の建造に着手した次第でございます。然れども、ペルリの船は、この六倍は御座います」

 浦賀奉行からペリー艦隊の詳細は聞いてはいたものの、次郎から再度詳しく聞くうちに、幕閣から笑顔が消えていく。

「然れど、然程の戦備えは一家中の分を超えているのではないか。他の家中への影響も考えねばならぬ」

 老中の一人が言った。

 幕府よりも大村藩を恐れ、幕府ではなく、大村藩を旗頭にするのではないか、という不安があるのだろうか。

「ごもっともではございますが、平時ならばそれで通りましょう。然れど今は有事なのです。しかも我が家中は長崎をはじめ西海鎮護の任を仰せつかっているのです。使わねばそれでよし、然れどいざというときに太刀打ち出来るよう、備える要があるのです。無論、他の家中を脅かすものでもなく、我が家中がその武をもって他を従えるなど、万が一にもあり得ませぬ」

 次郎の言葉に老中たちは深く考え込んだ様子を見せた。正弘は目頭を押さえながら、ごほん、とせき払いをしてゆっくりと口を開く。
 
「お主の言わんとすることは得心いたした。確かに今の日本には、異国に抗しうる船が大村の家中の他にはない。お主の家中の努力は賞するに値する。然れど以後は、公儀と密に手を携え、勝手に戦備えを進めることは控えよ」




「恐れながら申し上げます。その儀は、致しかねまする。先の大船建造の禁を廃していただく際、一切の際限なく造って良いと、言質をいただき、証文もございます。今となってそれを反故になさるとは、公儀の威信をおとしめる行いにございます」




 次郎の答えに、幕閣は誰も反論できなかった。




 ■長崎 奉行所

「申し上げます! 沖合に異国船が現れましてございます。今、和蘭の商館に問い合わせましたところ、オロシアの船のようでございます!」




 エイフィム・プチャーチン、四隻の軍艦を従えての長崎来航である。




 次回 第167話 (仮)『外海台場と長崎台場。プチャーチン艦隊と大村艦隊』

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