第170話 『江戸表にてプチャーチンと幕閣』

 嘉永六年十月二十六日(1853年11月26日) 佐賀城

「よし、それで大村家中とはつつがなく、渡りをつけた(交渉した)のだな?」

「はは。大村家中は既に時津から伊木力村までは完工しております。我が家中としましては、伊木力から喜々津を経て、三浦村までの五里弱(約19.2km)に敷きまする。費えは折半。そこから諫早、太良、鹿島を経て佐賀へと新たに敷きます。二十里ほど(77.4km)で千五百十七両、約二年の工期となりまする」

「よし、銭は工面せねばならぬな。それから技術者じゃが、大村家中にばかりまかせるのではなく、大学や海軍伝習所、いや、伝習所は宜しくないの。人材を同行させ学ばせるのだ。二年の内に電信の技術を修め、その後は領内に拡げるのだ」

「はは」

 長崎から大村領の浦上までは馬である。しかしそれでも最速なら5~10分、遅くとも15分で到着する。そこから電信に切り替えれば、20~30分で長崎の有事が佐賀城に伝わるのだ。

 大村藩はすでに大村湾の東岸の工事を終わらせて佐賀藩領に隣接する伊木力村までは完工している。さらに半島をぐるっとまわる敷設工事にかかっており、完工は三年後を目処にしていた。




 ■江戸城

 先月、長崎奉行所へ江戸への北上を通達したプチャーチン艦隊は、ペリーと同じく浦賀沖に艦隊を停泊させ、上陸をするために使節を派遣した。

「長崎奉行は何をしておったのだ? 刻を稼ぎ、如何いかに処するかを講ぜねばならぬと言うのに。国書が着いたのも先月の十五日ぞ」

 老中首座の阿部正弘は、あまりに早いプチャーチンの行動に驚いて、江戸詰めの長崎奉行である大沢安宅に詰め寄る。

 しかし、来たものは仕方がない。

 国書の返答について協議し、返答しなければならないが、すでに一ヶ月が経過していた。ロシア側もそれを理解しており、江戸から長崎は時間がかかり、それこそが無駄であるという理論で浦賀までやってきたのだ。

 幕府側からは全権の大目付格・筒井政憲と勘定奉行・川路聖謨、補佐に大沢安宅が当たる事となった。




 ■久里浜

「公儀大目付格、筒井肥前守(政憲)にござる」

「勘定奉行、川路左衛門尉(聖謨としあきら)にござる」

 二人は順に挨拶をするが、通訳は森栄之助で、オランダ語に訳す。役職については正式なオランダ語がないため、全権と訳した。

 プチャーチンは礼儀正しく頭を下げ、ロシア語で応答する。

「ロシア帝国太平洋艦隊司令長官、遣日全権使節大使のエフィム・ワシリエヴィチ・プチャーチンです」

 ロシア側のオランダ語通訳ポシェットがオランダ語に訳し、日本側の森山栄之助が日本語に通訳する。この二段階の通訳を経て、言葉が行き交う。

 緊張感漂う空気の中、両国の代表者たちが向かい合って席に着いた。

 プチャーチンが口を開く。

「……さて、まずはじめに伺いたい。なぜ太田和次郎左衛門殿がいらっしゃらないのですか? 長崎にて同席いただくようにお願いしたはずですが……」

「太田和殿は別の役目で既に動いておりまして、急に呼ぶことが難しいのです。我らは全権にございます。責任を持ってお話を伺います」

 ふむ、とプチャーチンは少し眉をひそめたが、すぐに表情を戻し、丁寧に話し始めた。

「では待ちましょう。そういう目的で待つのは苦痛ではありません。それに貴国では相手国を待たせるのが流儀のようですからな。我らはアメリカとは違い、貴国のルールに則って長崎に赴いたのです。にも拘わらず待たせすぎです。ニコライ・レザノフの時のように反故にされてもたまりませんので、こうしてやってきたのです」

 筒井と川路は顔を見合わせたが、戸惑いを隠せない。プチャーチンの言葉には、穏やかな口調の中に鋭い指摘と皮肉が含まれていた。




 ……しかし、なぜ太田和次郎左衛門なのだ? 長崎奉行に聞いた所では、きさくでおごるところがなく、それでいて機を見るに敏であり、先見の明がある、という。




「貴殿の心情はよく分かります。然れど、我が国の事情もご理解いただきたい」

 筒井が慎重に言葉を選ぶとプチャーチンが返す。

「事情とは?」

「我が国の内情は複雑でございます。幕府は全国の家中と助け合いながら、安定を保つために多くの事案を同時に処理しております。今は急激な変化を避けつつ、慎重に対応する必要があるのです」

 筒井が説明した。

「いや、私が言っているのはそんな事ではないのです。どこの国にも内情があるのは当然です。太田和殿がいないのなら、待つ、と言っているのです。何が問題なのですか?」

 プチャーチンは理解に苦しむかのように肩をすくめ、もう一度次郎が来るまで待つことを告げた。筒井と川路は再び視線を交わし、困惑の色を隠せない。あくまでも次郎を待つという執拗しつような要求に、事態は予想外の展開を見せていた。
 
「太田和殿をお待ちいただくのは構いませんが」

 川路が慎重に口を開く。

「その間、他の事項について意見交換をすることはできないでしょうか」

 ふう、と短くプチャーチンは溜息ためいきをした。

「……貴国は面白いですね。それとも貴殿等だけなのか。さんざん待たせた挙げ句に、私が太田和殿を待つと言えば、同席する迄の間に何らかの話をしようとする。私は何も、全権がいらっしゃるのですから、太田和殿を全権にしろとは言っていないのです。オブザーバーとして参加させてくれ、と言っているのです。何か太田和殿が同席するとまずい事でも貴国にはあるのですか?」

 川路が再び口を開いた。

「いえ、決してそうではありません。太田和殿が同席することで、より円滑な意見交換ができると考えております。ただ、現時点では太田和殿の到着に時間がかかるため、他の事項について先に進めることで、時間を有効に使いたいと考えております」

 ははははは! とプチャーチンは急に笑い出した。

「ならばなぜ長崎なのですか? 長崎は首府より遠く、幕府は意思決定に時間がかかるのに、さらに移動に時間がかかる。わざと時間がかかるようにしているのに、ここでなぜ時間の有効利用なのですか?」

「……」

「……」




 結局、次郎と連絡をとりつつ交渉を行う事となったのだが、当時次郎は蝦夷地において松前崇広と謁見し、炭鉱や油田開発の状況を視察していたのだ。

 あわせて沿岸部や千島・樺太の状況も視察している。

 クリミア戦争の英仏参戦の情報を聞いてプチャーチンが日本を発ったのは、しばらくしてからであった。




 次回 第171話 (仮)『大船建造の禁の廃止と将軍家定の就任』

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