第171話 『大船建造の禁の廃止と将軍家定の就任』

 嘉永六年十一月二十六日(1853年12月26日) 大村藩庁

「ようやくですな」

「ようやくにござる」

 次郎は海防掛の江頭官太夫と共にコーヒーを飲み、洋菓子を食べながら歓談している。

 そう、ついに幕府が、ついに幕府が大船建造の禁を撤廃したのだ。ペリーとプチャーチンの来航を受けて、開国やむなしとなって単独で国防が出来ないと判断したのだ。

 単独で、というよりも、実際は沿岸諸藩に大船を建造させて防備をさせる事になるので、そういう意味ではもう何年も前から単独で防備などやっていない。

 そもそも諸藩の協力なくして海防など出来ていなかったのだ。

「次郎殿、禁が廃されましたが、まずどの家中が造るでしょうか」

「薩摩でしょう」

 次郎は即答した。

「それは何故なにゆえにございますか?」

 官太夫は素朴な疑問をなげかける。隣りの佐賀ではなく、薩摩なのだ。

「まず、薩摩はすでに蒸気缶の研究を四年前から始めております。その技は他の家中と比べて一日の長がございます。佐賀も反射炉を築いては、鉄を鋳る事を成しておりますが、蒸気缶には手をつけておりませぬ」

「うべなるかな(なるほど)」

 官太夫は深くうなずきながら次郎の次の言葉を待つ。

「然れど、その先はわかりませぬ。佐賀はこの大村に、最も多くの遊学生を寄越しております。それゆえゆくゆくは、この日本でわが家中に次ぐ技を持つにいたるでしょう。いずれにしても、この禁の廃止が西洋技術の導入に大きな役割を果たす事は間違いござらぬ」

 りながら、と次郎は続ける。

「然りながら?」

「然りながら他の家中が我が家中を抜く事は、万に一つもありますまい」

「ははは! これは次郎殿、大層な自信ではありませぬか。何故そう言い閉ぢむ(断言する)のですかな?」

 次郎はニコリと笑って官太夫の問いに答える。

「反射炉を用いて鉄を鋳るにしても、蒸気缶を作り船を走らせるにしても、何をするにも銭が要り申す。鉄を鋳って大砲を造り、船を造れば強兵はなりましょうが、富国とはなりませぬ。新しき技にて銭を生まねば、回らぬのです。幸いにして我が家中では、それが能うております。ゆえにその銭を、新たな技術を生むために使えるのでございます」

 ほほう、と官太夫は頷きながら、考える。

 学者のようで商人のようでもあり、家中の行く末を明らかにして舵を握る船頭のようでもあり、政治家としての次郎の才覚を、改めて見直したのだろう。

「公儀が、浦賀に造船所をつくる由にございます」

「聞き及んでおります。ようやくでございますね。外様の家中に下に見られぬよう、大きな船……ただ、今のところは帆船でしょうが、造るでしょうね」

 官太夫が次郎に聞くと、そのまま次郎は見解を述べた。

 実は次郎はこの時既に、軍艦は700~1,000トン級の船を、商船としてお茶や石炭、石油などを運ぶ船を複数建造することを考えていた。

 輸送業や貸し船業も視野に入れていたからだ。

「それにしても、禁が廃されたとはいえ、軍船だけにございましょう? 商人が西洋式の大船を持つ事は未だ禁じられております。例の、あの川棚型は障りないのでございますか?」

 川棚型とは、もとは捕鯨帆船で外輪をつけて汽帆船となり、次郎が小曽根乾堂に請われて売却した船の事である。

「子細なし(問題なし)にござる。あれはあくまで我が家中の船、乾堂(小曽根乾堂)殿にお貸ししているだけで御座る。これから先も無数の船をいろいろな方に貸し出すと思いますが、すべて我が家中の船にて、全く障りなしにございます」

 悪代官次郎がニヤリと笑って返すと、官太夫も無言で笑った。




 嘉永六年六月二十二日(1853年7月27日)に将軍家慶が亡くなった。史実ではその時の病気をペリー来航の際の引き延ばしの理由にし、プチャーチンにはその死亡を対応の遅延の理由にした。

 しかし次郎の提案を聞いたプチャーチンは関係なく北上したので、幕閣の思惑は大いに崩れたという訳だ。新しく就任したのは、家慶の第4子であった家定である。

 家慶は子だくさんで14男13女をもうけていたが、全員が早世しており、成人まで生きたのは家定だけである。その家定も病弱であり、家慶は一橋慶喜を後継に望んだようだが、阿部正弘らの反対にあって、家定と決まった。

 家定の妻は過去に二人いたが早世しており、三人目の妻として島津家から天璋院篤姫が|輿《こし》入れする。島津斉彬は家定に篤姫を輿入れさせる事で幕府内での発言力を強め、次期将軍に一橋慶喜を推そうと計画したのだ。




 しかし、次郎はそう言った工作はまったくしていない。幕府とはつかず離れず、適度な距離を保とうというのが次郎=大村藩の基本戦略であり、権力を握ろうという野心もない。

 現実的に厳しいという理由もあるが、仮に可能だとしても、大村藩にとって利がないのだ。時間はかかるが外から圧をかけることで重い腰を上げさせる事もできるだろう。

 これがもし、分かりやすく井伊直弼のように権力を持とうものなら、それこそ刺客の的になる。そんな危険を冒さなくても、今のところ十分な技術的、軍事的アドバンテージを持っている。




「ああ、それから土佐の万次郎殿、公儀に召し抱えられたようにございますな」

「然様、万次郎殿の才覚をもってすれば、当然のことでありましょうが、さて、如何あいなるか」

「と、いいますと?」

「公儀やその上役、周りの人間がクソだからにございます」

「ははは。クソとはひどい言いようですな」

「ふん、恐らく万次郎殿はかなり重き役を仰せつかるでしょうが、周りの讒言ざんげんや諸々の弊害で、十分なお役目を果たす事は能わぬでしょう。土佐に戻っても……万次郎殿は漁師ですからね。あそこは上士だ下士だ、郷士だとうるそうございますから……。そうなればいっそのこと、我が家中で召し抱えまする。ご家族も一緒に」




 次郎は大真面目に答えた。それほど海外事情に通じ、英語を解する万次郎の存在は大きかったのだ。




 次回 第172話 (仮)『武士と町民、士官と下士官兵。身分と階級』

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