第202話 『四ヶ国連合艦隊来航す』

 安政三年七月十七日(1856/8/17) 大村藩庁 

 次郎はあまりの暑さに冷蔵庫の氷を舐め、特製のゴム袋に氷を入れて頭を冷やしてふうふう言っていた。
 
 扇風機もなければエアコンもない。技術を軍事と産業に全フリしてるから、生活環境改善系の機械はちょっと遅れ気味である。

 それでも発電と蓄電は実用化されているので、近いうちに電気冷蔵庫や扇風機は完成するだろう(……と次郎は期待を込めて想像している)。

「暑い……」

 誰にキレて良いかわからない暑さへの不満が、言葉に出る。

「申し上げます!」

「なんだ!」

 汗だくだくで息を切らせながら入ってきた伝令に対して思わず怒鳴ってしまったが、すぐに謝って水を勧める。冷蔵庫に入った冷水だ。伝令は畏まって『ははあ!』と平伏して水を飲む。

如何いかがいたしたのだ?」

「は! オランダ商館より電信にて急報にございます! アメリカ・イギリス・フランス、そしてオランダの四ヶ国艦隊が、下田に向かっている由にございます!」

「何い! ?」

 オランダの参加は仕方がなかったのだろう。

 クルティウスから国情を聞いていた次郎はそう思った。他の三カ国がどう思っているかわからないが、自国だけの特権で貿易を行い、利益を得ているオランダに対して、国際社会(列強)としてはいい感情を持っていないのだ。

 そのためオランダを同席させ、同様の交易を、さらに長崎以外でもできるよう交渉するつもりだろう。

 まずは領事館の設置と関税や裁判権等の交渉となるはずだ。

 クルティウスが言っていた事がまさに起きたのだ。長年の付き合いで知らせてくれたのだろう。ある意味、幕府が収集しているオランダ風説書などより、よほど重要である。

「よし! ではすぐに海軍奉行(江頭官太夫)へ報せを送り、艦隊へ出港準備をさせよ! 俺は殿に報告をして、すぐに向かう!」

「はは!」




 次郎は今回の艦隊派遣にロシアが加わっていないことに気づいた。

 普通に考えれば列強に遅れをとらないように、同席して同じように美味い汁を吸おうとするのではないか? と。

 だがいない。

 個人で例えるならば、クリミア戦争が終わったばかりの時期に、敵であった戦勝国のイギリスやフランスと肩を並べて行動をともにしたくはないだろう。

 しかし、国家である。

 国家ならば感情で判断するのではなく、理性的に国益を考えて判断するはずだ。

 にもかかわらず、今回の来航には加わっていない。

 これは、参加してもしなくても、後から同じように条約を結んで交易ができると考えたからだろう。状況が同じであれば、他国と新たに条約を結んだのに、自国だけ結べないなど理屈が通らないからだ。

 戦争後でゴタゴタしていたのかもしれない。

 いずれにしても、五カ国ではなく四カ国だったのは、良かったと言える。




「殿、次郎左衛門、上書したき儀がございまして、参上しましてございます」

「うむ、面を上げよ」

 相変わらずやさしい笑顔で包容力のあるたたずまいだ。同い年なのに、次郎とはまったく雰囲気が違う。これは、藩主と家老だから違うのか? それとも性格の問題なのだろうか?

「如何いたした?」

 自分勝手に好き勝手にやっているように見える次郎であるが、事後報告は必ず行い、今後の方針のようなものは、その都度純あきに伝えて許可をもらっているのだ。

 具体的な内容については裁量を任せられている。

 だから他人から見れば純顕を蔑ろにしているように見えなくもないが、決してそのような事はない。次郎は常に純顕をたて、純顕は次郎に全幅の信頼をおいているのだ。

「は、先だってから申し上げておりました異国の船が、複数申し合わせて下田に向かっている由にございます。オランダも本意ではないようですが、参加するとの事。商館長のクルティウス殿より聞きましてございます」

 次郎は参加する国名や、現在わかっている情報を純顕に伝えた。

「して、如何いたすのだ?」

「は、奉行所には伝えましたゆえ、すでに早飛脚が向かっているでしょう。艦隊はおそらくオランダ艦隊と合流した後、江戸へ向かうかと思われます。飛脚が早いか艦隊が早いかはわかりませぬが、公儀はおそらく、海防掛を交渉役とするでしょう」

「ふむ」

 短くうなずいた純顕は、やわらかい微笑みを浮かべて次郎を見る。まるでもうやるべき事は決まっているのだろう、とでも言いたげだ。

「我が家中も、いくか」

「は。異国の艦隊はペリーの倍、三倍はいるでしょう。船の数も砲の数も足りませぬが、おいそれとは言う事を聞かぬぞ、という意気を相手に見せねばなりませぬ」

「……うむ。あい分かった。では、わしも行くとしよう」

「え?」

 次郎は驚いた。

 これまで純顕は大村にいて、事後報告を受けるだけだったのだ。今回に限ってなぜ自分も行こうと言っているのだろうか。

「恐れながら申し上げまする。此度こたびは異国人の数も多く、またそれを狙った不逞ふていの輩もおるやもしれませぬ。殿、危のうございます。どうか、これまで通り吉報をお待ちくださいませ」

「なんじゃ次郎、わしが行ったら邪魔なのか?」

 イタズラ好きの子供のような笑顔だ。次郎は時折見せる純顕のこの笑顔がたまらなく好きなのだ。何と表現すればいいのだろうか。殿様殿様していないのだ。

「滅相もございませぬ! それがしはひとえに殿の身の安全を案じているのでございます」

 本心だ。

 最近純顕の体調があまり良くないのと、本当に不逞の輩がいるとの話も聞いている。もちろん行くとなれば警備には万全を期すが、大村にいるより安全な事はない。

「ははは、それは有り難い。然れどわしがおった方が、お主もやりやすいのではないか? 公儀も初めてではないゆえ、陪臣であるお主の同席は認めぬやもしれぬ。……いや、恐らく認めぬであろう」

 純顕の考えは正しい。幕府としては陪臣に交渉の主導権を握られる訳にはいかず、幕府主導の交渉というのをわからせなければならない。
 
「お主が艦隊を率いてまで行くからには、何か理由があるのだろう? 異国が何を求め、条約に何を盛り込もうとしておるのか。外様とはいえ、大名格のわしがいたほうが、都合がよかろう」

 純顕が言っている事はもっともであった。

 和親条約や下田追加条約、プチャーチンとの交渉でも次郎は最前線にあったが、それは幕府が要望した訳ではない。幕府にとって無視できない存在となった大村藩の藩主、純顕がいたほうが、幕府も要求を聞きやすいだろう。

「殿のご慧眼けいがん、恐れ入りましてございます」

「ははは、世辞でも嬉しいぞ。して、いつ出立となるのだ?」

「は、海軍にはすでに出港の用意を命じましたので、支度ができましたら江頭殿から報せが届く手筈てはずとなっております」

「うむ。では、いざ参ろうか」




 大村海軍艦隊、御座船旗艦の瑞雲ずいうんをはじめとした7隻が川棚を出港した。




 次回 第203話 (仮)『通商条約の前に和親条約の改正』

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