第211話 『下手人とその波紋』

 安政四年二月二十三日(1857/3/18) 大村藩庁




『天諭攘夷じょうい義の誓い』

 我ら天諭攘夷義士同盟は、ここに大村家中丹後守純顕並びにその一派に対する襲撃の所以を明らかにせん。

 の一、外との交易を推し進め、我が国の神聖なる土地をけがす者どもに天罰を下さんがため。
 
 大村家中は長崎の管理を任され、外夷との往来の窓口となりながら、その立場を利用して私利私欲を貪っている。我らはこの不埒ふらちな行為を断じて許すことはできない。

 其の二、邪悪なる西洋の技術を取り入れ、我が国の伝統を踏みにじる者どもに懲罰を与えんがため。

 大村家中が開発せし新たなる油は、我が国に古よりある油問屋の生業を脅かし、多くの商人を窮地に追い込んでいる。その上、暴利を貪り、私腹を肥やしておることは明白である。

 其の三、国を開くという公儀の軟弱なる施策に与する者どもに、我らの怒りを示さんがため。
 
 大村家中は夷狄いてき四カ国との会談に加わり、我が国の独立を危うくする施策に加担している。これは尊王攘夷の大義に反する重大な背信行為である。

 我らはこの襲撃により、大村家中並びに開国を論ずる輩に対し、その罪業の重大さを知らしめんとした。然りながら我らの意図に反し、不本意にも流血の事態となりしことは遺憾である。

 然れども我らの志は変わることなし。邪悪なる外夷とそれに与する者どもを我が国より追い払い、神州を浄化せんとする我らの戦いは、今後も続くであろう。

 天諭攘夷義士同盟




 次郎達一行は築地に停泊していた軍艦瑞雲ずいうんの艦内で応急処置をしたものの、本格的な治療をするには人員が不足していたため、一之進の進言で大村に戻ってきていた。

 襲撃から一箇月が過ぎ、三人とも重篤な事態となることなく回復へ向かっていた。

「次郎殿、此度こたびの一件、なにか思い当たる節はございますか。未だ下手人は見つかっておらぬようで」

 見舞いに来ていた海防掛総奉行の江頭官太夫が、次郎に語りかける。純顕と利純は病院の特別室だが、市井の人々とのふれあいを大事にする次郎は、あえて一般病室を使うように命じていた。

「わかりませぬ。ただ、あの後に街道沿いに何箇所も落首のような張り紙があったようで」

「然様でございますか。如何いかなる文言にございますか」

 次郎は官太夫に対して、報せを受けた声明文の内容をかいつまんで話した。

「なんと! 言いがかりもはなはだしい! 次郎殿が如何にして私腹を肥やしているというのか! すべては家中のため、加えて商人にも利のあるように取り計らっておるのに……」

 官太夫は怒り心頭だが、遠く離れた大村の地では如何いかんともし難い。いずれにしてもあの人数と火縄銃をそろえ、計画をたてたのなら、ある程度の資金力があったはずである。

 攘夷という事を考えれば、水戸藩の藩士もしくは浪士が怪しいが、油が出てきたと言う事は、声明文にもあるように灯油の販売で利益が減った油問屋の逆恨みであろうか。

 それに水戸の攘夷は、斉昭が存命だから、そこまで過激にはなっていない。……はずだ。




 ■江戸市中 油問屋 大阪屋

「なんと! それは……脅すだけでよいとしていたのに、何故なにゆえ刃傷沙汰になるのですか」

 報せを聞いた孫八はそうつぶやいた。

 松沢孫八は数代前に大阪から江戸に出てきて商売を始めており、兄はもともとの生業である生薬を扱い、弟の孫八は各種油を扱って、江戸一番の取引高を誇っていたのだ。

「それから市中で噂になっていましたが、張り紙にも油の事が書かれておりました」

「なんだと! 油の事だと?」

「はい、新しき油を市中に流して私腹を肥やしている、と」

「ばかな。やりすぎて傷を負わせた上、何故油の事など書くのだ。それでは私らが与していると言っているようなものではないか! おろかな!」

 孫八がこの事件に関与していたのは事実である。

 しかし、だからと言って商売上の問題が解決される訳でもない。安くて質の良い物、質は同じでも安い物は売れるのだ。競争に負けた商人が灯油のあおりを受けた訳だが、次郎にしてみればとばっちりである。

 それにできうる限りの譲歩はしたのだし、既述したが大阪屋の売上が元に戻るわけではない。

 どうにもならないから、せめて嫌がらせや脅しをしてやろうと考え、襲撃の計画をさる筋から聞いた際に、資金を出すことで関与しようという事になったのだ。

「御公儀の目が私らに向かわないようにしなければ……」




 ■水戸藩

 徳川斉昭は那珂湊反射炉の視察に来ていた際に、大村家中襲撃の報せを受けた。

「時に耕雲斎よ、丹後守殿の行列が不逞ふていの輩に襲われたと聞いたが、お主、なにか聞いておるか?」

 反射炉の視察を終えた斉昭は、陽の傾きかけた庭園を歩みながら、耕雲斎に問いかけた。春の柔らかな風が二人の間を通り抜け、桜のつぼみがほころび始めた枝を揺らす。
 
 耕雲斎は言葉を選ぶように僅かな間を置いた後、慎重に口を開く。

「確かに、然様な噂は耳にしております。然れどつぶさには存じ上げませぬ……」

 斉昭は立ち止まり、鋭い眼差しを耕雲斎に向けた。その視線に耐えかね、耕雲斎は言葉を濁した。

「我が家中の者が関与しているのではないかと、そのような疑いの目が向けられているようです」

「馬鹿を申せ! 確かにわしは、我が家中は攘夷攘夷と、異国に対して強く処すべしと終始一貫して公儀にも申し上げてきた。海防関与となってもそれは変わらぬ。然れど、力によって我が意に沿わぬ者どもを排す事など言語道断ではないか!」

 斉昭はそう叫んで再び歩みを進め、耕雲斎もそれに従った。

 二人の歩みは重々しく、静かな庭園の中でその足音だけが響いていた。

斯様かような蛮行、断じて許されるものではない。攘夷の名を借りて暴力に走る者たちが、我が家中にいるなどとは思いたくもない。然れど、然様な者どもがもしいるならば、見過ごすことはできぬ」

 斉昭の言葉に、耕雲斎は深くうなずいた。彼もまた、同様の思いを抱いていることを表情に表していた。




 小四郎よ、よもやとは思うが、関わってはおらぬだろうな……。東湖どのの息子らしく利発ではあるが、年若ゆえ不逞の輩にかつがれた……。

 いやいや、あるまい。いずれにせよ、確かめねばならぬな。

 耕雲斎は杞憂きゆうであれば良いが、と思った。




 次回 第212話 (仮)『築地海軍操練所』

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