安政五年二月七日(1858/3/21) 江戸城
「いらぬいらぬいらぬ。然様な事、いちいち朝廷に勅を仰いでなんの為の公儀にござろうか、すべて公儀が決め、のちに知らせればよろしいのです。そもそもその知らせる事すらせずともよい。天子様より政を預かっておるのは公儀なのですぞ 」
阿部正弘の没後に老中に復帰した松平忠固は、そう言って気勢をはく。
忠固は生粋の開国論者であり、積極交易派であった。
今回の条約締結においても中身は別として、複数の開港を念頭に置き、朝廷の勅許などなくとも開港を行い、富国強兵を進めようとの考えなのだ。
「まあまあ伊賀守殿、貴殿の考えはもっともなれど、物事には順序がござろう。確かに公儀が政を預かっているとしても、この儀は天下の一大事にござる。公儀の意向を朝廷に伝え、勅許をいただいて万難を排してこそ、障りなく開国もできようというもの」
堀田正睦が開国派の同士として迎えて復職させた忠固であったが、正睦にとっては性急にすぎるきらいがあったのだ。
事実、次郎の働きもあって、史実とは違い今世の朝廷は、孝明天皇をはじめとして開国に否定的ではない。
ただ、国民に害のないように慎重に事を運ぶことを望んでいたのだ。現時点で条約の内容やその経緯は公式・非公式(次郎経由)にかかわらず朝廷に知らされており、何も問題がなければ賛成の意向であった。
要するに国民に利はあっても害なく、そして朝廷を尊ぶ姿勢をみせれば、なんの問題もなかったのである。正睦はそれを知っていたからこそ、いずれ開国するとしても急ぐべきではないと考えていたのだ。
堀田正睦は無論の事、井伊直弼ですら、勅許必要派であった。
タウンゼント・ハリスは長崎の開港と管理貿易までこぎつけたものの、イギリスはもとよりロシアやオランダと早く並ぶために、管理貿易の年数やその他の開港地に関する新たな条約締結に意欲的であった。
「ともかく、交易に関する条約は長崎において管領しつつ行うと米利堅国とは結んだゆえ、そのつぶさなる旨を知らせねばならぬ事と、後は英吉利、仏蘭西、魯西亜、和蘭と全ての港で自由なる貿易の条約を結ばねばならぬゆえ、勅許を、少なくとも内諾を得なければ先にすすまぬ。それゆえ、上洛してまいろうかと考えておる」
そう言って正睦は忠固をなだめる。
史実とは違って和親・通商条約は段階的に結ばれている。次郎の工作もあって朝廷からは大きな反発もなかった。そのため、勅許を得て調印するかしないかは、あまり問題ではない。
問題は勅許を受けずに調印すると、攘夷派の良い攻撃材料となるという事だ。朝廷を蔑ろにしているだの、専横だのと言われかねず、政権運営に支障をきたすと正睦は考えたのだ。
「……よろしいのではないかと存じます。では上洛のうえ、天子様ならびに朝廷の方々にもとくと得心していただき、国事に相対するといたしましょう」
「うむ」
(備中守殿……老中再任の恩はあれど……ぬるすぎる。少し、考えねばならぬな……)
■京都
条約の勅許とあわせて、正睦が気になっていることがあった。外交では開国路線であるが、国内では将軍継嗣問題があったのだ。正睦は斉昭と外交問題で対立しており、その息子である慶喜も気に入らなかった。
国家権力のトップである将軍を好き嫌いで選ぶのはどうかと思うが、とにかくそういう意味も含めて、正睦は南紀派の徳川慶福を推薦していたのだ。
しかし、バランスが必要である。朝廷は一橋びいきとまでは行かなかったが、どちらかというと一橋派が多かった。
「斯くの如く条約調印と相成りましたが、我が国に害なすものでは決してなく、今後英吉利、仏蘭西、魯西亜、和蘭とも同じ条約を結ぶ事となりまする」
正睦は御簾の奥にいる孝明天皇に向かい平伏して発言する。
右手には関白の鷹司政通、下座には岩倉具視がいた。
本来岩倉家は羽林家の家格を有していたが、分家のために当主が叙任される位階・官職は高くなかった。しかし鷹司政通の改革により、朝廷内は実力重視の気風となり、孝明天皇にも認められて、参列していたのだ。
「今ひとつお願いがございます」
「なんであろうか」
鷹司政通が答えた。
「只今、公儀においては公方様の後継につきまして談合しております。公方様の後継につき様々なるところより御助力の願いがくるかと存じますが、天子様におかれましては、なにとぞ誰にも御助力せぬと、お約束いただきたく存じます」
しばらくの沈黙の後、御簾の奥の孝明天皇が政通に合図を送る。
「お上におかれては、然様な事は十分に心得ておる。諸法度にもあるように、公儀のなす事にはよほどのことがない限り、何も仰せにはならぬとの仰せじゃ」
「はは、有り難きお言葉にて、この正睦、身命を賭して国事にあたりますことをお約束いたします」
堀田正睦はさらに平伏し、内裏を後にした。
■江戸城
「かかる国家危急の際には老中首座とて自在に政を行う事は難しく、ここは大老職をおいて、某含め老中が一丸となって事に当たりたく存じます」
「うむ、然様か」
時の将軍家定は、無表情で答えた。
「して、誰を大老とするのだ?」
「は、某は越前松平家中、松平春嶽公こそがふさわしいと考えております。英明にして豪胆、外国の事情にも通じ家格も申し分ございませぬ。彼の者が大老となりますれば……」
「大老は井伊じゃ。彦根の、井伊掃部頭がよかろうと考える」
正睦は耳を疑った。確かに井伊直弼は開国派ではあるが、従前どおり譜代大名中心で幕政を進めるべしと考えていたからだ。これでは間違いなく衝突が激化し、紛糾する事になる。
「公方様、お待ちくださいませ。この儀は慎重に論議せねばならぬ事と存じます。大老は上様につぐ権を持つもの故、いったん決めてしまえば簡単にはそう物事を覆す事能いませぬ」
正睦はくい下がり、家定の決定を覆そうとするが、逆に逆鱗に触れた。
「何を申すか! それでは春嶽も同じではないか。春嶽が良くてなにゆえ掃部頭が悪いのだ? 掃部頭が春嶽に劣っていると申すのか?」
「とんでもございませぬ! 然様な事はございませぬ!」
大老井伊直弼の就任は、正睦が上洛中にすでに松平忠固や水野直央によって工作され、決まっていたのだった。史実と変わらず、大老へ就任することとなった直弼は、いったいどのように舵取りを行うのであろうか。
次回 第219話 (仮)『南紀派の開国・攘夷、一橋派の開国・攘夷』
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