安政五年十二月十一日(1859/1/14)
すでに第14代将軍家茂の宣下は終わっており、一橋派は名実ともに勢いを失速させていた。次郎は不時登城の罰を軽くするために、勅許を得るための工作を行っていたのだ。
九条尚忠や三条実美などの幕府に敵対的な公家に根回しを行い、十数年前から行っていた収入の低い公家への援助も増やすなど、休まる暇はなかった。
一方、勅許を得た後に江戸へ向かい使者として口上を述べる岩倉具視も、長年の功績と今回の重責において体裁を整えるために、正四位上左近衛権中将へ昇進していた。
「では岩倉様、よしなに」
雪の降り積もるなか京都御苑内にある岩倉邸での会談を終え、五条の南にある大村藩京屋敷に向かっている途中に、それは起きた。
「天誅!」
パーン!
突如として響き渡った叫び声と同時に一発の銃声が響き渡り、次郎の籠を担ぐ従者たちが足を止めた。次郎を狙った銃弾はカキンという乾いた音と共にはじかれたが、次々と刀を抜いた武士たちが現れる。
「何者だ」
次郎の声が冷たい空気を切り裂いた。
「御公儀の御政道を乱す不届き者、天に代わって成敗いたす!」
雪の中から現れた武士の一人が前に出て、刀を構えながら宣言した。同時に18名の襲撃犯は、次々に次郎の籠に向かって駆け寄っては、斬りかかって次郎の命を取ろうとする。
しかしその瞬間、整然と訓練された兵の半数が抜刀して対応し、残りは小銃を構えて部隊長の号令と共に一斉に発砲した。
ダダダダダダダダーン。
けたたましい銃声が鳴り響き、一瞬にして襲撃犯のほとんどが倒れ込み、あるいは絶命した。
「な、バカな!」
死を覚悟した首謀者とおぼしき男は、単身斬り込もうと突っ込んでくるが、結果は同じである。
部隊長の『撃て!』という号令と共に、再び銃声が鳴り響いた。首謀者の体が弾丸を受け、雪の中に崩れ落ちる。
何事もなかったかのように静寂が戻った京の街に、雪は絶え間なく降り続け、地面に広がる血の跡を徐々に覆い隠していく。次郎が籠から慎重に降り立って周囲を見渡すと、襲撃者たちの無惨な姿が目に入った。
「被害状況は?」
次郎は冷静な声で部隊長に尋ねた。
「はっ。我が方に死傷者なし。敵は七名死亡、残りの十一名は捕らえましてございます。逃げおおせた者はおりませぬ」
「よし、大儀である。屋敷へ連行し、そのまま尋問を行うのだ」
部隊長は即座に兵士たちに指示を出し、軽く襲撃者の止血処理を行って立たせる。
「彦馬を連れてきておいて良かったな。いや、実用化できていて良かった……」
次郎の言葉に、部隊長はうなづいた。
「では、直ちに京屋敷へ向かいます」
「うむ」
一行は捕らえた襲撃者たちを連れ、雪の降る中を大村藩京屋敷へと急ぐ。屋敷に到着すると、次郎は即座に行動を開始した。
「彦馬、彦馬はいるか」
「はい! ただ今! お呼びでしょうか御家老様」
日本初の戦場カメラマンとも呼ばれる上野彦馬その人である。彦馬は長崎から父である俊之丞とともに大村藩に招かれ、写真技術の開発研究とともに化学研究を行っていた。
14歳の時に父はなくなったが、同時期に精煉方に入った人材のほとんどが、多岐にわたる研究を行ったのに比べ、彦馬は写真技術一本である。
一本であったが故に信之介のアドバイスも受けつつ、世界に先駆けて携帯型のカメラの実用化に成功したのであった。
彦馬は素早く機材を設置し始め、次郎は部下たちに指示を出した。
「襲撃者どもに番号を振り、順に写真を撮る。加えて尋問も始めるぞ」
襲撃者たちは一人ずつ呼び出され、胸に番号を付けられて写真を撮影された。彼らの多くは、この不思議な機械を恐れるように見つめていた。尋問が始まると、次郎は冷静に質問を投げかけた。
「誰の命か? 当て所( 目的)は何じゃ?」
しかし、ほとんどの襲撃者は口を閉ざしたままだった。
「黙っておっても意味はないぞ」
次郎は静かに告げた。
「お主らの顔写真は既に京都中に張り出される様計らわれておる。報せを持ってきた者には、破格の褒賞を渡す支度も出来ておる。報せの中身によっては一生働かずにすむ程の金じゃ。じきに身元がわれるであろう」
実は次郎は携帯カメラが実用化されてすぐ、江戸襲撃事件の黒幕をあぶり出すために、共犯者の写真を同じように江戸市中にばらまいていた。
そして彦根藩と大坂屋、水戸の脱藩不逞浪士につながる複数の仲介者と、彦根藩家老である長野主膳の関わりを掴んでいたのだ。純顕と利純に報告したあと、さらに明らかになった。
次郎達を脅して幕政に関わるのを止めさせようとしたのだろうが、攘夷志士が暴走したのは大誤算であった。今またこの襲撃の犯人が彦根藩の関係者だったならば、これはもう黙っている訳にはいかない。
「さあ、如何いたすのだ」
「……」
「まあよい。好きに致すが良い」
■大村 精煉方 佐久間象山研究室
「亨二、ついに完成したぞ!」
「ええ、象山先生。長年の苦労が実を結びましたね」
佐久間象山と杉亨二は、作業台の上に置かれた機械を見つめていた。二人の表情には、達成感と興奮が混ざっている。亨二が機械の一部に手を伸ばし、慎重に調整を加えながら言った。
「最後の調整も済みました。これで本当に完璧です」
象山はうなづく。
「そうだな。我々が開発したダイナモの技術を応用し、全く新しい原理の燃焼機関を作り上げた。本当に良くやった」
「ええ、特に点火の仕組みには苦労しましたね」
「確かに。シリンダー内で直接ガスと空気の混合気を圧縮し、そこに火花を飛ばして爆発させる。この原理を実現するのは容易ではなかった」
「そうですね。電極の配置と電圧の制御には何度も失敗しましたからね」
「ああ、あの日々は忘れられんよ。だが、その甲斐あって、正確なタイミングで安定した点火が可能になった」
亨二は真剣な表情で付け加える。
「クランク軸の回転に合わせて点火のタイミングを制御する機構も、かなりの難関でした」
「そうだったな。然れどやって出来ぬ事はない」
「ええ。この燃焼機関は蒸気機関よりも小型で扱いやすい。工場の動力源として、あるいは船の推進機関としても大きな可能性を秘めています」
「さて、次は実用化だな」
象山は先を見据えて言った。
次郎や藩主、その弟が襲撃に遭うなどという血なまぐさい事件のなか、技術は粛々と進んでいくのである。
次回 第229話 (仮)『岩倉具視、江戸へ』
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