第247話 『変の余波』

 安政七年四月十四日(1860/6/3) 江戸城 評定部屋 

 ※永蟄居ちっきょ
 前水戸藩主・徳川斉昭

 隠居・謹慎
 水戸藩主・徳川慶篤

 ※切腹
 水戸藩家老・安島帯刀
 水戸藩京都留守居役・鵜飼吉左衛門
 水戸藩京都留守居役助役・鵜飼幸吉
 水戸藩奥右筆・茅根伊予之介

 ※斬罪
 関鉄之介・岡部三十郎忠吉・
 佐野竹之助光明……死亡を許さず。
 斎藤監物一徳……死亡を許さず。
 黒澤忠三郎勝算……死亡を許さず。
 大関和七郎増美
 森五六郎直長
 蓮田一五郎正実
 森山繁之介政徳
 杉山弥一郎当人

 ※行方不明
 広木松之介有良
 海後磋磯之介かいごさきのすけ宗親
 増子金八誠
 有村雄助
 金子孫二郎
 佐藤鉄三郎




「残りの六名をさがすのだ。多少無理を通しても構わぬ」

 大老となった安藤信正は水戸藩に対して毅然きぜんとした処罰をし、反論は一切認めなかった。

 ここで水戸派を許せば譜代筆頭である彦根藩の反発を招き、井伊対水戸の抗争に発展しかねなかったからだ。どんな理由があっても、さらに大老を殺すなど許される事ではない。

 幕府の沽券こけんにもかかわる。

「御大老様、肥前大村の太田和六位蔵人ろくいのくろうど様がお見えになっています」

 近習の報告に信正は答える。

「通すが良い」

「はっ」




 しばらくすると評定部屋に次郎が入り、平伏しつつ挨拶を述べる。

「対馬守様(安藤信正)、まずは掃部頭様の御逝去に対し、心よりお悔やみ申し上げます。掃部頭様のご逝去は御公儀にとって大いなる失であり、我ら肥前大村家中も深く哀悼の意を表します」

 次郎は一瞬言葉を切って信正の反応をうかがうが、信正は静かにうなずいている。

「加えて対馬守様が新たに大老の重責を担われましたこと、心よりお祝い申し上げます。この厳しき時に任ぜられ、誠に心強く存じます」

「蔵人殿、お悔やみとお祝いの言葉、ありがたく受け取る。面を上げられよ。確かに今は公儀にとっては厳しき時である。然れど我らは決して揺らぐことなく、国の秩序を守り抜かねばならない」

 信正は厳しい表情を崩さずに答え、次郎も深く同意を示すように頭を下げる。

「御意のとおりでございます。我が大村家中も、日本のため・・・・・に全力を尽くす所存でございます」

「蔵人殿の忠誠心、よくわかった。これからも公儀を支えてくれることを期待している」

 信正は少し表情を和らげながら言った後に続けた。

「ついてはの、少し変わった願いを聞いてほしいのだ」

如何いかなる儀にございましょうか」

 次郎は嫌な予感がした。

「うむ。公儀の臣を大村家中に遊学、という訳ではないのだが、少し違った人材を遣わしたい」

「どなた、と申しますか、如何なる人材でございますか。またその当て所(目的)は、いわゆる我が家中の知と技を学ぶためにございましょうや」

 ……。

 信正は考え込み言い方を考えているが、やがて静かに言った。

「実はの、進んで大村家中の知と技を学ぼうというものではない。つぶさに言えば水戸の藤田小四郎、加えて京都におる土佐の武市瑞山、福岡の平野国臣に久留米の真木和泉じゃ」

 信正のこの発言を聞き、次郎はあからさまに困った顔をした。

 向上心があり、目的を持った人材なら大歓迎だ。しかしいくら言路洞開といっても、藩論と真逆の攘夷じょういを唱え、その思想に心酔している者を受け入れても、混乱させるだけで何のメリットもない。

 なんとか断る方法はないものか? 

「御大老様、ご指名の方々は皆、その志の高さでは知られた方々。然れど……彼らの考えは我が家中の掟(方針)とは相容れぬものかと存じます。我が家中は開国、海外との交易を進める立場。彼らを受け入れては、領内にいらぬ戸惑いを招くのではないかと危惧いたします」

 次郎は信正の反応をうかがったが、信正はその言葉にうなずきながらも、厳しい表情を崩さなかった。

「その懸念はよくわかる。然れど今の日本にとって必要なのだ。彼の者らの激に過ぎたる考えを和らげ、開国の要を得心能わねば、国が危うい」

 次郎は深く考え込んだ後、慎重に言葉を選んで答えた。

 本当は受け入れたくはない。しかしもし受け入れなければ、井伊直弼の暗殺とは関係なく、幕府は水戸藩や攘夷派の大弾圧、万延の大獄を起こしかねない。

「御意のほど、重々承知いたしました。……ただし、来られた方々の扱いに関しては一切御公儀の差配は受けぬ事、また目付や監察の同行はお断りいたしますが、よろしいですか?」

「あいわかった」

「加えて、激派には十二分に備えるべきかと存じますが、過ぎたる取り締まりは火に油を注ぐようなものにて、慎んでいただくようお願いいたします」

「うむ」

 内乱を防いでソフトランディングでの開国が次郎の目的である。

 しかし一応、井伊直弼の暗殺はあったものの戦乱もなく条約を結んで開国となり、不平等条約でもない。

 これ、いま目的達成してない?

 そう思う次郎であったが、何やら胸騒ぎがしてならなかった。

 次郎は各国領事館、外国人居留者の外出の際の警護に十分注意するよう願いでて、江戸城を後にした。




 ■薩摩 山川港

「ですから、何度も申し上げておりますように、お乗せできません」

 港の係官は、苛立ちを隠しきれない様子で繰り返した。目の前に立っているのは、20人ほどの幕府の役人と捕吏である。

何故なにゆえだ! 先の大老、井伊掃部頭様が凶刃にたおれたのはいかな田舎の役人でも知っておろう! その下手人を探すために、我らは御公儀の命にてはるばる京大坂を越え、四国九州の西の果てまでやってきたのだ」

 田舎とか西の果てとか、いちいちかんに障る言い方である。

「わからない人達だね。そりゃあ知っているよ。然れどそれとこれは別。殿様の許しのある人でないと、渡せませぬ。渡してしまえばそれがしが罰せられる」




 これが昨日から続いているのである。




「何? それは先だって答えたはずではないか。我が家中は一切関わりなしと。その上でさらに追っ手を差し向けておるのか?」

「は。然様さようにございます」

 斉彬は考えた。

 公儀は我らを信用しておらぬ、と。もちろん琉球へ送って匿っているのは確かだ。しかしそれは脱藩の有無に関わらず責めを負うのを防ぐためであり、自衛のためのものだ。

 潔くないと言われても、潔くして無実の罪でとがを負わされてはかなわない。徳川とはそういう家だ。

「あい分かった。港の役人には、何人たりとも許しなく渡すでないと伝えるのだ」

「ははっ」

 これは今一度、皆とはかって江戸へ登らねばならぬか? 公儀内でわが力が強まれば、斯様かような事に悩まされることはあるまい。春嶽公(松平春嶽)や土佐守殿(山内容堂)、伊予守殿(伊達宗城)と報せを通わすとしよう。




 ■数日後

「もうよい! らちがあかぬ!」

 役人はそう吐き捨てて山川港を後にした。

「横田様、よろしいのですか」

「構わぬ。どうしても渡さぬと言うのならば、他の策を用うるのみじゃ」

如何いかがいたすのですか?」

「大村へ行く。彼の地ならば琉球など、簡単に渡る事ができよう。薩摩より易き事やもしれぬ」




 ■鹿児島城

「殿、なにやら長崎より、イギリス領事ジョージ・モリソンと名乗る方から文が届いております」

「何? 英吉利の領事から? いったいなんであろう?」

 内容は薩摩切子の輸入の件で、一度会って話したいとの事であった。様々な伝手を使って手紙を送ってきたのだろう。

 しかし居留地以外では不可能なため、長崎に来ていただくか、鹿児島沖で航海物資が不足したという体でどこかの港に寄港し、その際に話したいとの提案である。

「……ふむ」




 なにやら、雲行きが怪しくなっていきそうであった。




 次回 第248話 (仮)『公武合体』

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