第259話 『ロシアはいいのに、日本は悪いのか?』

 文久元年四月二十二日(1861/5/31) 箱館在日ロシア領事館

「さて領事、貴国としては如何いかがなさいますか?」 

 次郎は昨日と全く変わらず、無表情で駐日ロシア帝国領事のヨシフ・ゴシケーヴィチに質問した。

「我が国としては、この事態を平和的に解決したいと考えております。しかし、軍艦の撃沈は重大な問題です。賠償を要求せざるを得ません」

 ゴシケーヴィチは一晩中考え抜いた様子で、疲れた顔をしながらも決意を固めたように答えた。

「賠償ですか……。では、昨日の議論はいったい何だったんでしょうか。貴国の行為が条約違反であることは明白です。それなのになぜ我が国が賠償しなければならないのでしょうか」
 
 ゴシケーヴィチは息を深く吸い、ゆっくりと、ゆっくりと答える。

「確かに、我が軍の行動にも問題があったかもしれません。しかし、軍艦の撃沈は極端すぎる対応だと考えています。両国の関係を考えれば、何らかの補償は必要ではないでしょうか」

「……両国の関係ですか。では最後に確認します。あの場合、我が国は如何いかなる行いをすれば良かったのですか? 領事が考える国際法に則った然るべき行いを教えていただきたい」

 次郎は一度大きく息を吸い、深く吐いた。ゴシケーヴィチは目を伏せ、思案する様子を見せた後、慎重に言葉を選んで話し始める。

「国際法に基づけば、まず外交経路を通じて抗議し、我が艦隊の退去を要請すべきでした。その上で両国間で協議をし、平和的な解決策を探るのが望ましかったと考えます」

「では、対馬領主が再三にわたり退去を求めたにもかかわらず、貴国軍艦がそれを無視したことについては如何お考えですか」

 次郎は冷静な目でゴシケーヴィチを見据え、問いかけた。
 
「現場の判断には誤りがあったかもしれません。しかし、それでも対話を続け、外交的解決を図るべきだったと思います」

「平和的解決を望み、武力に訴える事なく平和的に解決しようと我が国は試みましたが、その結果船の修理とは全く関係なく、まるで清国の香港のように借り受けを求められ無残にも死者がでましたが、それでもまだ、外敵を排除するのではなく、平和的に解決すべきだというのですか?」

 ゴシケーヴィチは顔を曇らせ、言葉を選びながら応答する。
 
「確かに、現場での行動は望ましくありませんでした。しかし、外交的解決の可能性がある限り、武力行使は避けるべきだと考えます」




「? 今なんと?」

 次郎は目を見開き、驚きの表情を浮かべた。
 
「今の発言は、いったいどういう意味でしょうか。貴国の軍艦が我が国の領土で武力を行使し、人命を奪ったにもかかわらず、我が国は武力行使を避けるべきだったと?」

 ゴシケーヴィチは言葉に詰まり、顔を赤らめながら答える。
 
「そういう意味ではありません。ただ、事態をさらに悪化させないためにも、外交的手段を尽くすべきだったと……」

 次郎は声に力を込め、厳しい口調で切り返す。
 
「外交的手段を尽くす? 我が国はすでに何度も警告を発し、退去を求めました。それでも貴国軍艦は無視し続け、さらに我が国の領土を要求するまでに至ったのです。これ以上どのような外交的手段があったというのですか?」

 ゴシケーヴィチは額の汗を拭いながら、言葉を絞り出す。
 
「例えば、両国の上層部による直接交渉や、第三国の仲介など……」

「そのような交渉にどれほどの時間がかかると思いますか? その間、貴国の軍艦は対馬に留まり続け、さらなる被害が出る可能性もあったでしょう。それにもし、対馬の領主が領民を守るために仕方なく芋崎の借り受けに応じたとしましょう。それを既成事実にして、清国における香港以上の要求をするのではありませんか? ……我が国の主権と国民の安全を守るため、即時の対応が必要だったのです」




 長い、長い沈黙が訪れた。




「もう結構です。ゴシケーヴィチ領事、あなたでは話にならないことが良くわかりました。私はすぐにでも艦隊を率いてウラジオストクへ向かう事とします。一応我が国の幕府の了解を得るために江戸まで電信にて報告し、協議の上ウラジオストクヘ向かい、貴国の軍艦が行った事と同じ事をします。良いですか、国際法に則って、外交的な交渉をしてくださいね」

 ゴシケーヴィチの顔から血の気が引き、目を見開いて次郎を見つめる。
 
「ま、待ってください! そのような行動は、両国間の関係を完全に破壊してしまいます」
 
「なぜですか? 貴国が対馬で行ったことと同じことを、我が国がウラジオストクで行うだけです。国際法に則り、外交的な交渉をすると約束しましたよね」

 次郎は冷静に、しかし鋭い視線でゴシケーヴィチを見据えた。

「しかし、それは全く違う状況です。ウラジオストクは我が国の重要な港であり……」

 次郎は腕を組み、冷ややかな声で遮る。
 
「対馬も我が国の重要な島です。貴国の行為を正当化しながら、同じ行為を我が国が行うことを非難するのは筋が通りません」

 ゴシケーヴィチは椅子に深く腰掛け、深いため息をつく。
 
「わかりました。私の発言に矛盾があったことを認めます。この事態をどのように収拾すればよいでしょうか」

「何を今さら。矛盾があるのは最初から分かっていました。我が国を未開の弱小国と侮ってのことでしょう。あなたの発言はここに全て残っているんですよ」

 次郎はそう言って一旦録音を止めさせ、昨日録音した音声を聞かせた。




 ……ここから……

「看過できないと仰っても、非があるのは貴国ですよ。度重なる警告にもかかわらず無断で測量し、無断で上陸して、無断で小屋を建て、無断で練兵場を造り、無断で野山を歩き回り、あろう事か芋崎の借り入れを申し入れ、そして警備兵を射殺した。これだけの事をして、撃沈されるのは当然でしょう」
 
「それらの行為に関しては、誤解があると思います」

「はあ、(日本語で:もういい加減にしてくれよ)では確認します。はいかいいえで答えてください」

 ~中略~
 
「それは……長期的な安全確保のための措置でした」

「長期的とおっしゃいましたね。つまり、緊急事態ではなかったということです」

「いえ、当初は緊急でしたが、状況が変化して……」

 ……ここまで……




「お聞きの通りです。ゆえに……そうですね、ここ箱館からサンクトペテルブルクまで半年以上はかかるでしょうから、それまでじっくりとウラジオストク付近の測量と上陸諸々を行いますので。異議があるなら外務大臣ゴルチャコフ殿を連れてきてください。権限のある方と話さないと先に進まない。さあ、どうぞ、急いでください」

 次郎は笑っているが、ゴシケーヴィチは訳が分からない。

 一体何が起きたのか? 

 ……しかしやがて冷静さを取り戻して叫ぶ。

「ちょっと待ってください! そのような行為は宣戦布告と見なされます!」

 次郎は冷静さを保ちながら、厳しい口調で応じる。
 
「では、貴国による対馬での行為も、我が国への宣戦布告と見なして構わないわけですね。ちなみに今回の録音記録と会議録はイギリス・アメリカ・フランス・オランダの各領事に聞いて、見ていただきますのであしからず」

 ゴシケーヴィチは顔色を変え、言葉につまりながら答える。
 
「そ、そのような……他国を巻き込むのは適切ではありません。これは日露両国間の問題です」

 次郎はため息しかでない。こうやって話しているのが時間の無駄である。鋭い視線で相手を見据える。
 
「はあ……領事、あなたは先ほど問題の解決に第三国の仲介を、と仰っていたではありませんか。昨日から言っている事が二転三転で、発言には責任を持ってくださらないと、交渉もなにもあったものではありません。それにこれは、国際法の解釈に関わる問題です。他国の意見を聞くのは当然でしょう。それとも、貴国の行為が国際社会の批判に耐えられないとお考えですか?」

 ゴシケーヴィチは顔を青ざめさせ、言葉を絞り出すように答える。
 
「私の発言に一貫性がなかったことは認めます。しかし、この問題の複雑さをご理解いただきたい。国際情勢は刻々と変化しており……」

 次郎は眉をひそめ、冷静な口調で遮る。
 
「複雑さを理由に責任逃れをしようとしているようにしか聞こえません。貴国の行動は明らかに条約違反です。これは単純な事実です」

「確かに条約違反の可能性は否定できません。しかし、我が国にも我が国の事情があるのです」

「どのような事情が、主権国家の領土侵犯を正当化できるというのですか?」

 次郎が腕を組み厳しい口調で問いかけると、ゴシケーヴィチは深いため息をつき、肩を落とす。

「正当化はできません。ただ、我が国の立場をご理解いただきたいのです」

 次郎は冷ややかな目で相手を見据え、静かに語る。
 
「理解を求める前に、まず貴国の非を認め、謝罪すべきではないでしょうか」

 ゴシケーヴィチは言葉につまり、視線を落とす。
 
「その……確かにおっしゃる通りかもしれません。・・・・・・・・本国に詳細な報告を送り、対応を協議する必要があります」

「では、そのようにしてください。いや、協議云々うんぬんより、早く全権を派遣してください。それから我々の行動は止めません。……イギリスなどは喜んで協力してくれるでしょうな」

 次郎は不敵に笑いながら立ち上がり、会談の終了を告げた。




 次回 第260話 (仮)『英米仏蘭領事と幕府』

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