第264話 『列強第一位のイギリスと第二位のフランス、そして未来の世界覇権国アメリカ』

 文久元年八月十二日(1861/9/16) 横浜 某所

「な!」

 ハリスは何かを発言したいのだが、発言できず、ただ驚きの感嘆符を発したのみである。

「さて皆様、各国、様々なお考えがあるかと思いますが、我が国の要望はただ一つ。ロシアのこれ以上の横暴を許さず、今回の事変の賠償を交渉したい。その協力を4か国にお願いしたいのです」

 次郎は直前に話しかけたアメリカのハリス公使に目をやり、その後イギリスのオールコック、フランスのベルクール、そして最後に親日であるオランダのデ・ウィットを見た。

「いかがでしょう、オールコック殿。貴国は……残念ながらロシアは我が国にとって信ずるに足る国とは思えなくなってしまったのですが、他の3か国と同様、信じてもよろしいのでしょうか? それによって今後が変わってきます」

 真剣な眼差しだ。嘘やごまかしなどではない、直球勝負での次郎の発言であった。

 オールコックは拳を固く握りしめている。その拳からはかすかな震えが体中に伝わっているが、それを見せないようにしているのはさすがの百戦錬磨の外交官である。

「我が国は、日本の立場を十分理解しています。ロシアの行動は、極東の安定を損なうものと認識しております。ただ、現時点では……」

 次郎はオールコックが言いよどんだタイミングで言葉を遮った。

「現時点とは、いつ如何いかなる状況の時を意味するのでしょう。半年後も1年後も現時点では、困ります。今回の会談は全て蓄音機で記録しています。後の歴史に刻まれる言葉として、はっきりとお答えください」

 オールコックの背筋が凍りつく。イギリスにとってもロシアの脅威は明白であるが、ここで反ロシアの態度を明確にすれば4か国の旗頭にされかねない。

 かといってこの場で明確な回答を避けるのは、世界一の海洋国家としてのメンツに関わる。

「外交には段階的な手順が……」

「なるほど、段階的にですね。ではイギリスは日本側にたって、ロシアとの賠償を含めた交渉の仲立ちをしていただけると?」

 次郎は段階的だとしても、ロシアに対する賠償請求を前提とする和平を結ぶ事を着地点として、イギリスの意向を固めたかったのだ。

 オールコックは腕を組んで考え込んでいるが、やがて言葉を発した。

「賠償、となると、正直厳しいでしょう。ロシアの行いを非とし、日本の行いを是としたとしても、それを賠償につなげる事は難しい。今は日本とロシアは戦時下ではないのです。戦争に勝って賠償を請求するならともかく、是非はあっても行き違いで起きた武力衝突で、残念な事に命が失われた。被害はロシア側の方が大きい。しかも日露条約は賠償の件は触れていない」

 次郎の表情が固まったが、冷静に深呼吸をして心を落ち着かせ、発言する。

「オールコック殿。ロシアは我が国の国民を射殺しました。我が国はこれまで何度も警告を発し、極限まで我慢をしたのです。もっと早く威嚇にしろ相応の武力行使にしろ、やっていれば、死なずにすんだかもしれません。脅威の排除、ただそれを行ったのです。いずれが非か、明白ではありませんか」

 オールコックも冷静である。

「はい、明白です。再三の警告にもかかわらず、退去に応じなかったロシア側に非があるでしょう。しかし、それと賠償は別問題だということです。日露は戦時下ではありません。平時における賠償とは、損害を与えた側が、与えられた側に相応の償いをするものです。ここで冷静になりましょう」

 冷めたコーヒーをすすり、おかわりを頼む。

「日本側が受けた損害は、1名の命。これは大変残念な事であると共に、多くのロシアの将兵の命も失われた。ロシアが国際法を守らず、日露の条約も守らず日本の主権を侵害したという道義的な是非は別として、受けた損害はロシアの方が大きいのです」

 次郎は椅子から立ち上がり、部屋の中央へと歩みを進めた。両手を背中で組み、声に力を込める。

「数の問題なのでしょうか。我が国民1人の命と、主権を侵し、警告を無視して上陸を強行した者たちの命を、同列に並べるのですか」

 オールコックはコーヒーカップを置き、表情を引き締めた。瞳の奥に光るものは、同情なのか、それとも打算なのか。

「……国際法上の問題として考えましょう。ロシアが一方的に貴国の主権をおかし、あまつさえ国民の命を奪った。非はロシアにあり、被害拡大を防ぐための相応の自衛行為・・・・・・・(撃沈が妥当かは別として)は当然である。これについては、我が国のみならず、他の方も同意見である。それでよろしいかな、デ・ウィット殿、ベルクール殿、ハリス殿」

 3名ともうなずき、オールコックに同意する。

「これで我々は、特にロシアに対しては、ある意味同じ船に乗った者同士といえましょう。そこで重要になるのはロシアの思惑です。太田和殿、賠償の件を、いや賠償でなくとも、例えばサハリンの放棄など何でも良いが、ロシアがのむとお思いか?」

 次郎の鋭い視線が一瞬揺らぐ。

「ロシアにとって、我が国は……足下を見られているということですか」

「そうではありません。足下を見ているかは別として、仮に我が国が同じ事をしたとしても、ロシアは認めないでしょう。その結果どうなりますか」

 オールコックは低い声で話を進める。次郎は両手を背中で組んだまま、瞳を細めた。オールコックの言葉の裏に潜む意味を探ろうとするかのように、相手の表情を凝視する。

「戦争、ということでしょうか」

「ロシアは南京条約で清国より外満州を得、ウラジオストクという不凍港を得たのです。南下しようという野心は明らかであり、対馬の件だけで譲歩するとは考えにくい」

 オールコックの発言の後にデ・ウィットが声を響かせる。

「次郎殿、おかけになってください。ロシアは今、領土拡張に躍起になっています。極東での影響力を強めようとしているのです」

「仮にロシアが戦争もいとわない、となれば、日本はどうなされるおつもりか?」

 オールコックが冷静に、次郎に確認するかのように聞いた。次郎は椅子に腰を下ろして背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いて口を開く。

「……戦争は絶対に避けねばなりませんが、もしこのまま我が国の国民が虐げられ、財産や命が脅かされるような事があれば、戦わざるを得ないでしょう。それが例え厳しい戦いだとしてもです」

 傍らの川路聖謨にも目で合図を送り、聖謨も同意した。

「それに、我が国が負ける事は、皆さんも望まないでしょう? 現在のヨーロッパの情勢としては……」

 次郎はオールコックをはじめ全員の顔を見回して話し始める。

「5年前に終結したクリミア戦争での敗北で、ヨーロッパにおけるロシアの南下政策は頓挫しました。イギリスとフランスの国際的な発言力と影響力は高まり、ロシアは後進性を露呈して内政改革や産業革命に躍起になっている」

 話を言ったん区切り、もう一度公使達を見回した次郎に、全員の驚きに満ちた視線が刺さる。

「今我が国がロシアに負けたならば、おそらく対馬は割譲させられ樺太はロシア領となり、この極東の地でのロシアの地位と影響力は盤石となるでしょう。それを、望みますか?」

 終始中立で親日の立場のオランダ、そして欧州情勢に直接関与していないアメリカ。それとは対照的に極東での権益を失いたくないイギリスと、出し抜いて自国の利益を獲得したいフランス。

「我が国としては日本とロシアが開戦することは望ましくないし、また負けるような事があれば、極東の情勢を著しく不安定にさせる事になると考える」

 イギリスのオールコックがそう言うと、フランスの ベルクールも続く。

「我が国も同様です。このままロシアの増長が続けば極東の安寧が崩れかねない」

 安寧……ね。

 次郎は安寧とはなんぞや? と考えつつ2人の意見を聞いていた。

「オランダとアメリカは如何いかがですか?」

「基本的に両国の考えに同意します。日本を支持し、ロシアに対しては外交ルートを通じて事態の収拾をはかる努力をいたしましょう」

 デ・ウィットは予想通りの答えだった。

「我が国も賛成する。極東の不安定な情勢は我が国としても望む事ではない」

 1番日本に否定的だったハリスだが、ここにきて態度が軟化している。南北戦争の件が効いているのだろうか。次郎はそう思った。




「ありがとうございます。では各国とも、我が国を支持していただき、ロシアに対してしかるべき対応を取るよう要請していただく、不慮の事態・・・・・にならないよう、尽力していただく、という事でよろしいでしょうか」

 次郎は最終的に賠償問題も樺太の件も、具体的な事は協議せず、次回以降の個別会談に持ち込んだのだ。おそらくその段階で、各国は協力の見返りとして何らかの要求をしてくるだろう。

 それも、織り込み済みであった。

 国内的には、攘夷じょういではないにしても無法には断固たる態度をとると示せたし、諸外国に対しても、日本は言うべき事は言い、やるべき事はやる国だと示すことができた。

 ロシア側は強硬な姿勢を見せてくるだろうが、その際は日本としても対応するが、列強が親日姿勢でロシアに対処してくれれば、ロシアも馬鹿ではない。戦争にはならないだろう。

 あわよくば樺太の権益を得ることができれば、御の字である。




 次回 第265話 (仮)『イギリス』

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