第276話 『公儀への報告と対馬事件の国内後始末。くすぶっている火は収まるか?』

 文久二年三月十日(1862/4/8) 

 日魯間領土境界確定並びに対馬事件賠償条約と名付けられた長い条約は、批准日を1年後とした。それまでに賠償金の支払いや捕虜の返還、そして樺太(千島列島含む)におけるロシア国籍の民間人と兵の退去が行われる。




 ■江戸城

「大儀であった」

 大老の安藤信正は次郎の活躍を知り、ねぎらいの言葉をかけた。

「魯西亜(ロシア)との交渉、殊の外難しい局面もあったと聞き及んでおるぞ」

 信正の言葉に、次郎は深々と頭を下げた。

 正直幕府がどうこうは二の次だったが、まずは残りの8万ドルで対馬の遺族補償ができるし、諸々の補填ほてんができる。そして樺太と千島を得られたことが大きいのだ。

 もっともその価値を見いだせるのは幕閣の中でも数人であろう。

「実はの、此度こたびの仕儀においては上様も大いに気にかけられ、蔵人よ、その方にお目見えを許すと仰せなのだ」

 お目見えとは謁見の事であり、通常は旗本以上にしか許されていない栄誉である。思いがけない言葉に次郎は驚いたが、すぐに姿勢を正した。

 家茂が心優しい将軍であった事は歴史の教科書で知っている。

 たまたまではあるが、信正は家茂のこの思いを利用して次郎を取り込もうと考えていたのかもしれない。日に日に影響力を増す大村藩がこれ以上成長すれば、明らかに幕政の支障となる。

 ならなくても、無視できない存在となるのだ。




 さて、どうしたものか。

 オレはこれから京都へ向かって攘夷じょうい派の勢いを鎮めなきゃいけない。おおかた清河八郎あたりが煽動せんどうしているんだろうが、ようやく時間をかけてゆっくりソフトランディングできそうなんだ。

 ここでぶち壊されちゃたまらん。

 岩倉さんに電信を送っておいたからひとまずは大丈夫だろうが、もし、もしも……孝明天皇の心変わりなどがあれば、いや、それは大丈夫か……。




「ありがたき幸せにございます。して、その儀はいつごろになりますでしょうか」

 次郎は家茂に会いたい気もあったので、数日の間に会えるのならば謁見し、今後の事も踏まえて渡りをつけようと考えていた。家茂も和宮も若くして亡くなったが、できれば医学方の診察や治療を受けさせてあげたかったという思いもある。

「うむ、それがの。これも異例なのじゃが、その方の支度が調い次第と仰せじゃ。真に異例であるな」

「はは、然らば早々に支度いたし、参上仕りまする。加えて……」

「何用か?」

 信正は笑顔で答えた。

「は、京の屋敷からの報せにて知ったのですが、なにやら京にて攘夷派の動きが高まっている様子にございます。事が大事になる前に、何らかの差配を為された方がよろしいかと存じます。また、先頃起きました御大老様襲撃の事にございますが、一部では長州が水戸と与して起こしたと噂されているようでございますが」

 坂下門外の事件に次郎がふれたことで、場が一瞬凍り付いた。

「うむ、なにやら密約が結ばれておったという事を聞き及んでおる」

 次郎がなぜそんな事まで知っているのか、幕府の内部に情報漏洩ろうえい者がいるのか。

 信正は疑念を拭えないが、次郎の次の言葉を待った。坂下門外にて信正が襲われた件で、慎重に吟味するようにとの上書があったが、ここでも再度、次郎は念を押したのだ。

「長州は西国の大名の中でも大きな家中にございます。下手人からの自白だけで判ずるのではなく、よくよく吟味した上で長州への処遇を決めるべきかと存じます」

 要するに次郎は、邪魔な西国雄藩を取り潰せれば有利になるだろうとの幕府内の気運の高まりを恐れたのだ。そもそも長州征伐には名目があったが、今回はまだ疑惑のままだ。

「心得ておる」




 次郎は数日後、家茂と謁見するようになった。長州のことや京都の事、様々な根回しをしたことはいうまでもない。




「御大老様、如何いかがなさいますか。長州の件は……公儀にあだなす様であれば考えねばならぬかと存じますが、蔵人の言うように今は機ではないように考えます。確かに西国の諸大名の増長は目に余りますが、今はまだ、その力と公儀の力を合わせねばならぬ時かと存じます」

「うむ。そうよの……口惜しいが、今の公儀には然様な余力もあるまい」




 ■同日 鹿児島

「わしは京へ上るぞ」

 自身の息子を斉彬の後継とし、国父となった島津久光は目の前にいる家臣達にそう言った。列座する家臣たちの息が、一瞬止まる中、小松帯刀が静かに進言する。
 
「されど、公儀は決して快く思われますまい」

「帯刀、その方がそう案じるのも分かる。然れど、今こそが時じゃ」

 久光は目を細めて小松帯刀を見つめた。兄であった斉彬の遺志を継ぐという思いを達したいのだろう。

 それに正直なところ、軍事力や経済力では大村藩に勝ち目はない。大村藩と対立する気はないが、混迷する政局で主導権を握る事はできなくても、幕政改革を促すことはできる。

 今のところ斉彬が訴えてきた諸侯合議は実現されていないのだ。公武合体はなったものの、それが単に幕府の権威を復活させるだけのものであっては意味がない。

 久光は昨日届いた京都からの密書に目を落とした。

 電信は鹿児島から京都まで通じていたが、実際は大村電信公社の人間が扱うので、藩の極秘事項などは書けない。そのため鹿児島弁でごく短文を送り、後に書状で詳細を知らせるやり方をしていたのだ。

 朝廷内では尊攘そんじょう派が幅を利かせ、近衛忠煕からの書状には焦りが見受けられた。

「お言葉ですが、三百の兵を率いての上京となれば……」

 帯刀はさらに慎重に言葉を選んで進言したが、遮るように久光は答える。

「それこそが肝要なのじゃ。今、京の情勢は尊攘派が勢いを高め、わが家中を抜けた浪士どもが、万が一にでも騒ぎを起こせばいかがいたす? 公儀には警備の強化を願い出ておるが、まったく動かぬ。これはわざと浪士どもを決起させ、われらに罪を着せようとの公儀の謀やもしれぬ。そうでなくとも、自らの家中の者の不始末を公儀に預けるなど、あってはならぬ」

「然れど……それならばまず、電信にて公儀に一報を入れ、京の治安混迷極まれり、家中を脱したる者を罰するためである事を告げてからでも遅くはないかと存じます」

 帯刀は次郎を知っている。

 だから公武合体や和宮降嫁にも、おそらく次郎が関与しているだろうと考えていた。そして次郎が諸侯合議や、天皇を頂点とする尊皇の意思があることも知っている。

 対馬事件や諸々の事が重なって進んではいないが、幕府への根回しも行っているのだろうと考えたのだ。

「それでは遅いのだ」

 久光は短く言った。

「公儀は恐らく、それには及ばぬ、所司代にて処すゆえ国許を出ぬようにと言うであろう。何度となく上書した兄上でさえ叶わなかったのだ。次郎の求めに応じて取りやめたものの、何も変わってはおらぬではないか。そして達せぬまま逝去された。わしがせねば誰がやるのだ」

「然れど兵を率いての上洛は、叛意はんいありとみなされても、致し方ありませんぞ」

「ならば先触れを出せばよかろう。公儀の許しはいらぬ。準備は即刻始めよ。三月十六日を出立の日とする。まずは伏見に入る」

 久光は再び席に着くと、はっきりとした口調で言い切った。




 ■同日 山口城

 山口城。

 防御と領内の統制の面で優れているとの理由で幕府の許可も得て、萩から山口への藩庁の移設は済んでいた。

「殿、如何なさるおつもりですか? 公儀よりさきの御大老襲撃の儀、水戸とわが長州の関わりが取り沙汰されております。われらとしては寝耳に水。まったく身に覚えのないことゆえ、即刻桂と松島の両名を引き渡し、家中の潔白を示しましょうぞ」

 そういきり立って藩主敬親に声を上げるのは、椋梨藤太である。

「そうは言っても、そう簡単に家中の者を渡せようか。まずは公儀に対して坂下門外の事についての潔白を伝え、両人に詳細を聞きただすのが先でありましょう。攘夷や公儀を倒すなどもっての外、そう答えるに違いありませぬ」

 周布政之助が反論する。

 このころになると藩論は完全に開国であり、大っぴらに攘夷を唱えるのは、吉田松陰や高杉晋作が大村留学をする前に脱藩した少数の浪士に限られていたのだ。

 そこで開国は開国でも、幕府に恭順するか幕政改革を促すかの二つである。どちらも幕府を倒そうという思想ではない。




「ふむ」

 敬親は悩んでいた。




 次回 第277話 (仮)『久光の上洛と幕政改革要求』

コメント