第343話 肥薩戦争⑫無条件降伏か滅亡か 四百年の名門島津家の危機

 永禄十二年(1569) 十月十三日 巳の三つ刻(1000) 内城沖 金剛丸 

「それで始めましょうか」

 外務大臣の利三郎が話を進めようとする。小佐々側は純正と利三郎、鍋島直茂に尾和谷弥三郎、佐志方庄兵衛である。

 島津側は義久に義弘、歳久に家久、そして家老の伊集院忠倉だ。

 純正は横にいるが、あえて口を挟まない。内容に異議や質問があれば、都度介入していく。利三郎は薩摩、大隅、日向の三国の絵図と条件を記した紙を用意した。

「まず、最初にお話したいのが、今回の会談の目的です」

 利三郎はどのような感覚なのだろうか? 

 前回の会談とは立場が真逆になっている。しかしそんな事はおくびにもださずに、淡々と笑顔で取り仕切る。外交スマイルだ。

「それがしは前回、真幸院でみなさまとお会いし、お話させていただきました。中務大輔家久どのと伊集院どのは、初めてですね」

 五人全員が、何のことを言っているのかわからないようだ。

「それがしに、いくさを『止める必要もなければ、理由もない、そのつもりもない』とおっしゃった事です。わずか五日前の事をお忘れか」。

 家久と伊集院忠倉以外の三人は、ぐうの音も出ない。利三郎は機先を制して主導権を握ったのである。もともと小佐々が圧倒的に優位な会談である。

 それをさらに固めたのだ。

「われらは島津に対して、以下の三つの要求をします」

 利三郎は書面を広げ、順に説明していく。

 一つ、島津に従っている国人衆は解体し、小佐々に服属すること。
 一つ、島津は薩摩、大隅、日向の三国の領地を全て小佐々に譲渡すること。
 一つ、島津は小佐々に対して謝罪し、永久に敵対しないことを誓うこと。
 
 利三郎は紙を差し出した。

 島津側の五人は目を通したが、その表情は驚きと怒りと絶望とが入り交じっていた。

「これは何だ? これは和平案ではない。これでは降伏ではないか」

 最初に義弘が声を荒らげた。これは島津内で想定して、役割分担をしていた通りだ。そうだ、そうだ、と家久も同調して叫ぶ。

「そうです。これは降伏文です」。

 利三郎は冷静に答えた。最初に提示したものと全く同じである。変更はない。

「われわれは島津に対して無条件の降伏を求めています。それ以外の選択肢はありません」

「なぜだ? なぜそんな無茶な要求をするのだ? 我々はまだ戦えるぞ」

 義弘が血相を変えて反論した。

「戦えるとおっしゃいますか? それでは、この絵図をご覧ください」

 利三郎は絵図を示した。

「小佐々海軍の最新の軍艦と大砲で攻撃して、破壊した島津の城の数々です。島津領内の海沿いの城は、ほぼ。これが現実です」

 島津側は絵図を受け取り、目を通した。その表情は恐怖と無力感とが入り交じっていた。

「これは何だ? これは誠なのか? このように力強い船や大砲があるわけがない」

 歳久が呆れたように言った。内城で、家臣や領民から聞き、自らの目で見た現実であったが、まだ信じる事ができなかったのだ。

「誠です。これは事実です」

 利三郎は断言した。

「小佐々の海軍は日の本最強の海軍です。島津水軍は小佐々海軍に敵わないのです。それがわかっていないのなら、今すぐにでも試してみてください。一瞬で沈めることができましょう」。

 利三郎は挑発した。

「それでもまだ戦いますか? それとも下りまするか? お答えください」

 島津側は沈黙した。このままでは、小佐々に全てを奪われることになる。しかし、戦っても勝ち目はない。どうすればいいのだろうか?

 やはり昨日の話のように、いったんは従うフリをして、国人たちを焚き付けるしか方法がないのか? しかし小佐々のあの軍の強さは尋常ではない。

 本当に勝てるのか? 五人全員が同じ事を考えていた。

「利三郎殿、これはあまりにも厳しいのではないか? 島津家は四百年の歴史を持つ名門だ。このような屈辱的な降伏は受け入れられぬ」

 伊集院忠倉が口を開いた。彼は島津家の家老であり、家中での発言力も高い。

「なるほど。名門と三州守護の誇り、ですか」

 利三郎は冷たく言った。まったくの無表情だ。

「そうだ、これでは島津は滅ぶに等しい。島津を滅ぼすのが小佐々の望みか? 島津家を滅ぼすことで、何の得があるのだ?」

 家久が憤った。

「ひとつだけ、はっきりしている事があります。小佐々家の家訓は『降り掛かる火の粉は払いのけ、降り掛かりそうなる火の粉は滅せん』なのです」。

 状況の違いや多少の誤差はあっても、純正の基本姿勢は、この通りなのだ。しかし、周りがそれをゆるさず、戦いの中に身を投じている。

「島津が火の粉だというのか!」

 義弘が怒鳴る。これは演技なのか本気なのか、もはや誰にもわからない。

 利三郎はため息をつく。

「違いますか? 三州守護もいいでしょう。お好きになさったらいい。しかしてその後、わが領内をかすめんと兵を出さぬ証が、どこにありますか?」

 それは……と島津の誰もが反論できない。

「それをここで確約し、九州を二分して治めればよいではありませぬか」

 歳久が言う。聞こえはいい。

「はぁ~はっはっはっ」

 利三郎が高らかに笑った。

「それをそれがしに信じろと? 信じられる訳がございませぬ。もうその答えを、『その時にならんとわからん』と聞いておるのですから」

 義久が真幸院でいった、あの言葉である。

 歳久をはじめ島津側の全員が、利三郎の言葉に言葉を失った。確かに義久が言い、自分たち全員が考えていた事だったのだ。

 しかし、それが小佐々にとってそんなに重要なことだとは思わなかった。

 小佐々は島津に対して、連合を支援しているとはいえ、ただそれだけの存在であったはずだ。なぜ、こんなに執拗に島津を潰そうとするのだろうか?

「利三郎殿、それは言い過ぎではないか?」

 義久が弁明した。

「われわれはその時、提案を断っただけだ。それが脅威というのなら改め、下る事もやむなし。これからは友好を結んで行こうではないか」。

 島津家の五人のうち、本当に友好などと、誰がどのくらい考えていたであろうか。

 その時、ふああ~あ~、とあくびが聞こえた。

「もういいや。いいよその辺で、利三郎。……修理大夫よ、島津は何が一番大事なのだ? 何を望むのだ? 三州守護か? 島津にとっての名とは、家門とは?」

 純正だ。

「三州守護は当然だ。名とは世における地位や権威を示し、家門とは家の名誉と歴史を示すものである。そして家の故実や道を体現するものであるのだ」

「じゃあ、その家門や名、権威や諸々を高めて維持できるなら、問題ないって事だろ? 大隅や日向も、島津の言う事を聞けって感じなんだろうから」

 島津家側はもちろん、小佐々家側もふくめ、全員が怪訝な顔をした。

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