永禄十二年(1569) 十月十三日 未一つ刻(1300) 内城沖 金剛丸
純正の一言で場がよくわからない雰囲気になってしまったが、もう昼である。小腹も空いたことで、昼食となった。
食事をしてコミュニケーションをとり、相手との親和度を高めるという心理テクニックがある。しかし純正は、ただお腹がすいただけである。別に意識はしていない。
小佐々家中の人間だけ食べるとなんだかいやらしいので、島津にも勧めたのだ。それに腹が減るとイライラするというのは本当であろう。
イノシシ肉を調理したものと魚の料理。パンにチーズ、目玉焼きや新鮮な果物、野菜やワインも出した。胡椒その他のスパイスもふんだんに使ってある。
ワインを見た義久たちは仰天したが、血ではなくブドウから作った酒だと説明した。
(なんだこれは? 胡椒ではないか! あの胡椒をこんなにもふんだんに使うのか?)
各人用に小さな胡椒の瓶が置かれている。その他の香辛料も同じだ。
(それからこの黄色いものはなんだ? 酸味があるがねっとりとした味わいで、初めて食べるぞ)
マヨネーズだ。この時代にマヨネーズはない。しかし材料さえあれば簡単につくれる。義久たちの驚きをよそに、小佐々陣営はゆっくりと食事を楽しみ、食べ終えて紅茶タイムにはいる。
島津陣営はそれどころではなかったであろうが、やがて食べ終わり、会談を再開する。
「それで三国守護であるから、肝付や伊東が勢力を伸ばしたり、伊東など勝手に守護を名乗るから成敗すると?」
純正が確認する。
「その通り、われらは何も間違った事はやっておらぬ」
義久は破れかぶれになっているのだろうか。昨夜決めた策の通りに進めるなら、卑屈になる必要はないと考えたのだろうか、純正に対する言葉遣いが対等になっている。
もっとも純正自身はそんなことは全く気にしていない。
「では、伊東や肝付に限らず、薩隅日の三国で、島津に逆らう者がいなければいいのだな」
「その通りだ」
「なるほど、利三郎書いておけ」
「ではもう一度聞くが、お主らの言う家や家門、歴史や権威でいうならば、三国守護、つまり幕府の権威は重要だという事だな? 間違いないか」
義久は、なんだ? 何を試されているのだ、何かの罠か、なんの言質をとろうとしているのだ? そう思い歳久を見る。歳久も考えているようだが、純正の真意はわからない。
警戒しながら、しっかり言葉の意味を吟味しながら聞くことになる。
「その通りだ。それゆえわれらは、名ばかりではなく実をとり従わせるために、戦をしてきたのだ」
まあ、主義主張なんてそれぞれだからな、違うから戦が起きる。純正がつぶやいたが、聞こえたかどうかは不明だ。
「なるほど、ではその代表ともいえる伊東や肝付が黙れば、文句はないか?」
「その通りだ。しかしさきほどからいったい何を言っておるのだ」。
「なに、ただの要望を聞いているだけだ。やるやらんは別だがな」。
純正は気にもとめない。
「それに、島津は十分に実を持っているではないか。伊東を敗走させ肝付を苦しめた。十分その力はある」。
義久をはじめ島津側の誰もが、純正の真意がわからない。褒められているのか、けなされているのか。
「ああ、それから島津荘というのだったか。お主らの父祖伝来の土地、名前の通りだな。八千町歩ほどの広さというが、しかしてその実態は、※不輸不入の一円荘は三千四百町だけだ」
「何をいまさら」
「そんなもの、とうの昔になくなっておる」
義弘や家久は口々に言う。伝統や権威を重んじる割に、島津に都合のいい伝統だけを守るらしい。しかし、純正は続けた。
「のこりは※半不輸の※寄郡(よせごおり)で、これがおおよそ四千八百余町。それから……それ以外の薩摩の薩摩郡、大隅の菱刈、桑原、姶良の各郡と大隅郡、確か正八幡宮領ではなかったか」
家久をはじめとした島津家中がざわめきはじめる。いったい何を始めるつもりだ、そう思っていたのだろう。
「そうだ、君ら島津が三国守護で権威と秩序を重んじるなら、俺は六カ国守護、九州探題以上だぞ」
全員がぎょっとした顔をする。
「なにがおかしい? 大友宗麟を従えているから、当然そうなる。君らより格式も実力も上って事だよな? まさか、それとこれとは違うなんて言わんよな?」
純正は利三郎に鉛筆を渡すように伝えた。そして鉛筆でさきほどの条件の紙に書き足したのだ。
一つ、島津に従っている国人衆は小佐々に服属すること。
一つ、島津は薩摩、大隅、日向の三国の領地を全て小佐々に譲渡すること。
一つ、島津は上位の官職である九州探題すなわち小佐々の命に従う事。
一つ、島津は日向、大隅、薩摩の三国守護であり、その地域の安寧に努めること。
一つ、日置郡と鹿児島郡。谿山郡と頴娃郡、揖宿郡の一部を知行とする。
一つ、一部とは、佐多と頴娃の領地以外とする。
一つ、日薩隅の三国の国人の仕置については、小佐々に一任する。
一つ、従わない国人は、守護が責任をもって討伐すること。
「もちろん、これに反対する国人は、守護として討伐してくれるんだろ? 秩序と権威が大事なら」
純正は、これで文句は言わせないぞ、と言わんばかりである。
歳久の顔がひきつった。なんだこの男は、まさかこちらの手の内を読んでいたのか? これでは国人の反乱が起きたとて、われらが討伐せねばならぬではないか。
そう瞬時に判断した。確かに面従腹背して小佐々を油断させ、自らはまったく関係ないとばかりに反乱を支援するのは、今の純正がされて一番嫌なことであろう。
攻め取った領地をどう治めるか、というのが重要なのだ。その土地に根付いている国人領主に反乱を起こされては、鎮圧もやっかいであるし、統治も難しい。
純正はそれを島津にやらせようと言うのだ。島津には最低限の力は残す。そして名ばかりの守護ではあるが、やらなければこれまでの自らの行動を否定することになる。
当然、必要であれば支援もする。要するに小佐々の体制側に組み込もうとしているのである。純正は最後通牒のようなその書面を、合意を前提に二部つくり、一部を義久に渡した。
「いいか、これが最後だからな。同意するならよし、しないなら五万の陸軍を南下させる用意がある。意味はわかるな? それから、将来的に反乱を起こしても同じ事、次はないぞ。内城下が灰燼と帰す」。
※不輸不入……税金の免除や国の役人の立ち入りを禁じる権利。
※半不輸……ざっくりいうと税金半分は国衙(国の役人)がおさめ、半分は在地の領主が納めること。
※寄郡……不入で完全に役人を締め出すのではなく、混在している場所(ざっくり領主が二人)
コメント