永禄十二年 十月 土佐 安芸郡 とある農村
作業の合間に休憩しながら、農村で男性が会話をしている。
「おい、聞いたか。阿波を攻めるってんで、またわしらを足軽に取り立てるらしいぞ」
吾作である。
「なんてこった、またか? この前の一条攻めからまだ日が浅いというのにな」
次郎兵衛は吾作の言葉に反応する。
「まったくだ。おい、あの触れはどうなるんだ?」
甚右衛門は同意するとともに、気になっていた事を口にした。
触れ、とは小佐々が対長宗我部戦で、安芸城や奈半里城を艦砲射撃で攻撃し、一時占拠していた時に告知していたものである。
小佐々軍としては領民鎮撫のため、今後の統治のために出した触れであった。
「そんなもんなしじゃろうて。殿さんが変わってそうする言うてたが、また変わったじぇねえか」
「わしらにしたら誰が殿さんでも変わらんが、そいでも安芸の殿さんは良かったのう……」
「そうじゃのう。ほんに、心のやさしい殿さんじゃった」
「おお、そのことなんじゃがの、聞いたか」
再び吾作である。
「何をじゃ」
「千寿丸さまじゃ」
「だから吾作よ、千寿丸様がどうしたんじゃ」
「生きておるらしい」
「ほんとかそりゃ!? 先の長宗我部との戦で、殿さんは死んで、千寿丸様も逃げる途中で落ち武者狩りにあったと聞いたぞ」
安芸城が長宗我部に攻められた際(小佐々と一条が長宗我部を攻める前)の事である。
城主である安芸国虎は、自分の命と引き換えに家族と家臣の助命を嘆願。元親はそれをのんで城は開城、国虎は自刃した。
ところがそこであってはならない手違いが起き、逃走中の息子千寿丸一同は、襲われて命を落としたのだ。
それを聞いて元親は激怒したようだが、起きてしまった事はどうにもならない。
しかし、である。
「生き延びておったらしい」
「なんてこった……しかし、それはほんに良かったのう。して、それがどうしたのじゃ」
「やるようだ」
「だからなにがじゃ。お主はいつも言葉が足らぬ」。
「殿様がなくなり、黒岩様、野根様、畑山様もお亡くなりになったが、そのご子息たちは生き延びられた。千寿丸様も元服して、今は十太夫様と名乗られているようだ」
吾作は妙に饒舌で、事情通だ。
「吾作よ、お前ずいぶんと物知りじゃねえか。いったいどうしたんだ」。
全員座って話をしていたが、吾作はすっと立ち上がり、納屋へ向かう。納屋から出てきた吾作はなにかを腰にぶら下げている。
「お前、こりゃあ刀じゃねえか。そりゃわしらはいつも、準備はしておるが、まさか……」
「そうじゃ、わしは千寿丸様のもとへ向かう」
二人は吾作の顔を見て言葉を失う。吾作は本気であった。
■京都 在京小佐々大使館
「なんとか、おとりなしいただけないでしょうか」
純久に頭を下げているのは、香宗我部親泰である。元親の弟で一門衆にして、重大な責任を負って大使館に来ている。対するのは大使の純久だ。
小佐々家当主弾正大弼純正の叔父であり、外務省の実質ナンバー2。
朝廷、幕府、中央の外交に関しては全権大使となる時もある。
その純久を前にして、親泰は長宗我部に対する三好攻めの命令を考慮してほしいと願いでているのである。
「安芸守殿、頭を上げてくだされ」
純久はそういって親泰の手をとり言う。
「ささ、どうかお座りください」
二人がいるのは洋間である。実は純正に次ぐ南蛮かぶれ(?)の純久は、お忍びの大使館から正規の大使館になった時、洋間も作ったのだ。
威厳を持たせるには和室の謁見の間がいいが、気さくに話すなら洋間の方がいい。信長や義昭、また二条の義兄、関白晴良が来た時などは席次が面倒くさくなる。
しかし信長も晴良も、あまりきにしない。それでも相手は立てる。義昭は権威主義者だから、少しだけ面倒だ。ともかく親泰を座らせ、話を聞く。
「それではまずは、さきの戦につきまして、和平の申し出を受けていただき、誠にありがたく存じます」
「ああ、その件は、それがしは直接関わっておらぬゆえ、お気になさらず」
「はは、さらに御内書にて申し付けられた三好攻めのこと、我が身の力ではとても立ち向かう訳には参りません」
純久は黙って聞いている。
「弾正大弼様よりの兵糧矢弾の援助は重ねて感謝しておりますが、軍勢の数において、三好は我々をはるかに上回っております」
確かに土佐半国の長宗我部と、讃岐阿波と淡路の三好を比べれば、倍以上の差がある。三好は五十五万石、長宗我部は、二十五万石にも満たない。
「何か他の策がない限り、このままでは攻め立てるのは厳しいと存じます」
親泰の言葉を聞いて純久は納得する。
「さようでございましたか、実はその三好攻めに関しては、わが小佐々家中も難儀しておりましてな。島津が降伏したとは言え、いまだ仕置きも終わっておりませぬゆえ」
暗に、三好攻めなどには関わっていられない、という意味の事をいったのだ。
島津を下した、という事は九州を制したという事になる。親泰は小佐々の勢いの強さに驚きを隠せない。
「われら家中も領内をまとめ、豊かにせねばならぬ時期、三好攻めはわれらの願いなれど、今少し猶予が欲しゅうございます」
「そうですね。それはわが家中も同じ。今は中央より足場、南方を固めたいのが本音にござる」
実際に純正は、中央の政権に興味はない。足場を固め、東南アジアや南蛮との交易を盛んに行って、産業・科学・文化を振興する事が優先なのだ。
それに予土戦役はいずれ収まり、九州も落ち着くだろうが、スペインの脅威がそこまで来ている。
コンコンコン、ノックの音がした。
誰だ? 重要な案件ゆえ誰も通すなと言っておいたはずだ。純久は考えたが、ノックの主を無視するわけにもいかない。
「はい、どうぞ」
「やあ、治部少丞殿、ここにおられましたか」
なんと間が悪い、明智光秀である。
「これは日向守様、本日はどうされたのですか」
光秀案の三好攻めである。もっとも発案者が誰なのかは親泰も純久も知らないが、織田家中から出たことは間違いない。
「いやいや、何ということはございませぬ。それがし、朝廷や幕府と織田家を結ぶ役割も担っておりますゆえ。おや、安芸守どのではござらぬか。いかがなされた」。
「これは日向守様、その節はご尽力いただき、かたじけのうございました」
「いやいや、なんのあれしき」
二人共顔は笑ってはいたが、内心はどうかわからない。
しかし長宗我部にしてみれば、光秀や親類の斎藤利三のおかげて織田家にツテができ、和議の仲介役となってもらったのは事実である。
「それなんですが、日向守様」
純久は、これ以上二人が話すと場が変な空気になると思ったのだろう。自分から話題を切り出し、うまくまとめようとした。
その時である。
「申し上げます! 香宗我部安芸守様はいらっしゃいますか」
三人が顔を見合わせる。
「いかがした、入れ」
純久は近習を中に入れ、話を聞く。
「四国は土佐、長宗我部家より、香宗我部安芸守様へ、火急の用件にて書状が来ております」
「それがしに?」
親泰は驚いた。自分に、しかも京都に主君の命で来ている時に火急の用件など、悪い予感しかしなかった。
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