永禄十二年 十一月七日 京都 在京小佐々大使館
親泰、我が家中の重き臣として、深き憂いの報せを伝えん。
去る十月三十一日、安芸郡伊尾木村にて一揆起こりて勢い強く、江川村、土居村へと広がりつつあり。
さらには、我が軍がかつて討ち取った安芸国虎の嫡男らが、一揆の背後に控えて叛徒の勢いを増しておる。
彼らの望み出す事は、次の如し。
・先の戦の触れに従い、領地を治むこと。
・安芸郡の統治は、安芸十太夫に許すこと。
・先の触れ通り、年貢を一年許すこと。
・年貢の取り立ては、四公六民とすること。
・賦役を許し、または軽くすること。
・兵の徴収は十八歳より三十歳の間の二カ年、これを常備の兵とし、俸禄も与えること。
・戦の折、先ず常備の兵より動かすこと。
親泰よ、速やかに帰城し、共にこの事態への策を練らん。
香宗我部親泰の顔色が変わった。
「安芸守殿、どうされたのだ?」
純久は尋常ではない親泰の変化に、声をかけずにはいられなかった。光秀も同様である。
「いかがなされた?」
親泰は家中の大事を知られたくはなかったのだろう。何も言わず、挨拶だけして立ち去ろうとした。
しかし、今まで親泰と純久は、三好攻めの件でなにか方法はないかと考えていたのだ。仮に親泰が今知った事が、三好攻めよりも重要だとしても、純久は知っておくべき事だと考えた。
支援の度合いは別として、ともに三好に相対するのだ。不安材料は少ないに越したことはない。
「安芸守殿、内容はわからぬが、かなりの事とお見受けする。されば、われらとしても捨て置けませぬぞ」
純久が親泰に問う。
「さよう。長宗我部家中で収まる事ならまだしも、こうして急ぎ親泰殿に知らせてくるのだ。相応の事であろう。何かあった時、それがしは知らなかった、では済まされぬ」
光秀も同じ考えである。
親泰を心配する気持ちが半分、自らの家中にかかる火の粉の心配が半分の二人である。そんな二人を前にして、親泰は考え込んでいたが、やがて意を決して話しだした。
「これは……」
純久は黙り込んだ。
まさか、殿が、殿が仕込んだのか? 純久は寝耳に水で全く知らない。一体誰が? しかし驚いている純久を横に見ながら、光秀は冷静に話しだした。
「これは、三好攻めどころではござらぬな。まず、国元に帰り委細確認して対処されるがよかろう」
「それがしもそのように思う。領内が定まらねば三好どころの話ではない。さらに……」
「さらに?」
純久の言葉に親泰が聞き返した。
「さらにこの事態が長引き、三好の者がこれを好機として、襲い来たら最も不都合にござる」
親泰は唇を噛み締め、純久と光秀はそうなった場合の対処の仕方を考えた。
「ではそれがしはこれにて失礼つかまつる」
深々と頭を下げ退室する親泰を見送る二人だけが、大使館の洋間に残り、微妙な空気が流れた。
「治部少丞殿、これはいったいどういう事でしょうか」
「日向守様、どういう事とは、それはこちらが聞きたい事にございます」
お互いを責めるわけでもなく、怒るわけでもない。探りを入れつつも確証がない。
■伊予 宇和郡 大友宗麟の本陣
伊予宇和郡の西園寺を攻めていた宗麟は、塹壕を使った陣地と援軍のない籠城を不審に思い、宇都宮の領地である長浜湊の検分を終えて帰ってきていた。
「申し上げます! 土佐、安芸郡にて一揆、一揆にございます! その勢いますます増し、安芸郡全域にわたっております」
伝令が息を切らして入ってきたのは、宗麟が重臣と陸軍の指揮官とで絵図を見ながら、攻略法を考えていた時だった。
伝令の言葉を聞き全員が沸き立った。宗麟は冷静である。
「聞くが、一揆は領民のみか? それとも誰かが扇動したものか」
「は、安芸郡の前領主、安芸国虎が嫡男、安芸十太夫なるものが旧臣を集め領民とともに安芸城を占拠、周辺の城へと歩みをすすめ、勢いは広がるばかりにございます」
宗麟は不敵な笑みを浮かべる。
「ふふふ、西園寺に手間どり思案していた時に、ちょうど良い頃合いに事を起こしてくれたものだ」
「殿、これほど早く立ち上がるとは、思いませんんだ」
道雪は思いの外早く蜂起した一揆について、少しだけ驚いているようだ。
「なあに、それだけ殿が領内でなさっている事が、今までになく領民の心に届いたという事じゃろう。あれでは、どんなに元親が善政を敷いても、隣の芝、殿が敷こうとしている芝が、青く見えるはずじゃ」
わはははは、と幕舎内に笑い声が響く。沈滞したムードには良いニュースである。戦線に直接影響はなくとも、自軍に優位な情報は士気を上げる効果がある。
もちろん、長宗我部は今は敵ではない。しかし、当時は領有を前提として出した触れである。誰にも文句を言われる筋合いはない。
「これから、どうなりましょうや」
鑑速の問いに宗麟が答える。
「普通であれば、鎮圧するであろう。しかし、ただの一揆ではない。安芸十太夫が後ろにいるのだ。前の領主は仁に厚かったと聞く。元親が苛政を敷いておらずとも、難しかろう」
「鎮圧できなければ?」
「朝廷か幕府か、または弾正忠様か。断腸の思いで頼るほかなかろうな」。
前回は戦の仲裁である。しかし、今回は領内での事。内乱の仲裁など、統治能力がないと言っているに等しい。
「お館様は、いかがされますでしょうか」
「どうであろうな。しかし、おそらくは何もしないであろう。ここで前に出れば、一揆の扇動者と疑われるやもしれぬ」
宗麟は思っている事をそのまま離した。全員が聞いている。
「安芸十太夫は独立後、服属すると申しておるのだ。なにもせずとも、安芸郡が手に入る」
■諫早城
書斎の椅子に座り、工部省の技術開発計画と、農商務省の生産高増加計画、商業促進計画に目を通していた。
自国を守り、繁栄させていくには、軍事力ばかりに頼っていてはだめである。
そこで純正は、実用品から逆算して、これを作るには何が必要で、そのためには何の学問となにが必要かを常に考えて実践していた。
「申し上げます」
「なんだ、入れ」
三河守からの報告である。すでに宇都宮の確証をつかんだのか、と思った純正であったが、別件での報告であった。
「土佐にて一揆が起こり申した。首謀者は前安芸城主、安芸国虎が遺児、安芸十太夫にございます」
「なに? 安芸といえば元親に滅ぼされた国人ではないか。それがどうかしたのか?」
三河守は収集した情報を精査して純正に伝える。
「はい、それが普通の一揆とは違い、十太夫を頭にかかげてはいるものの、要求はわが小佐々家が行っている領内施策ばかりなのです」
「なに、どういう事だ?」
「はい、一揆の解散の条件に十太夫の領主就任を求めている他に、連中が求めているものがいくつかあります」
「なんだ」
「それは触れがどうの、といって、四公六民や賦役の廃止、軍役の上限を設けては俸禄の支給など、殿が領内で行っている事と同じなのです」
「触れ?」
「はい、なんでも土佐の海沿いの城を占拠した際、出されたもののようにございます」
もちろん、純正は知らない。
「なんだそれ。まあ良い、われらが困る事ではないし、捨て置こう。それより九州を早めに仕置をせねばならん。返事がまだ全然届いておらぬのだ」。
「はは」
三河守は、継続して伊予の警戒と証拠あつめを命じられ、音もなく出ていく。純正は再び計画書と報告書の山に目を通す。
しかし、このただの一揆。純正がそう思っていた一揆が、やがて瀬戸内、畿内を巻き込んだ騒動の発端となるのであった。
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