元亀元年 九月二十五日
発 純久 宛 総司令部
秘メ 織田軍 一揆勢ヲ 五ツノ城二 追ヒ詰メリ 砲撃後 敵降伏ヲ 申シ出ルモ許サジ
兵糧攻メノ模様 殲滅モ近シ 浅井軍 丹後ニテ 加佐郡竹野郡ノ国人 刻ヲ同ジクシテ蜂起
一色勢ヲ追イ詰メリ 秘メ ○九二一
(信長も、長政も、よくやってるなあ)
浦上宗景から会談の要請をうけ、利三郎を派遣した純正は、大使館からの定時通信に目を通しながら考える。
信長はこの調子だと年内に一揆を制圧するだろうか? 長政もいずれは丹後を制圧するだろう。
信長は後顧の憂いを断ち、長政は勢力を拡大する。次は何もなければ朝倉攻めか? 今回は石山本願寺は様子見なのか?
いや、三好がこちらについた事で動けないのか。もし動くとすれば、義昭が信長と対立してからになるのだろうか?
毛利で純正を牽制し、三好を攻める。そして動きを封じて武田で挟撃するのか? 松永弾正や若江三好義継はどうなのだ?
発 総司令部 宛 純久
秘メ 公方様ノ 様子ハドウカ 武田 上杉 北条 毛利ヘ 文書ヲ送リタルヤ 今年ヨリ来年ノウチ 大キク 情勢ガ動ク 恐レアリ
一層ノ 情報収集ヲ 求ム 秘メ ○九二五
■讃岐国 小豆島 小海城山城(おみじょうやまじょう)
小海城山城は讃岐国(おおよそ香川県)にある小豆島北岸の、北浦の湊の東に位置する海岸沿いの小山にあった。
眼下に小島を臨むが、城と言うより砦というのが似合うほどの小城である。
「初めてお目にかかります。それがし、浦上帯刀左衛門尉様(宗景)が家臣、明石伊予守行雄と申します」
三十代半ばの壮年の男性はヒゲを生やし、実年齢よりも上に見える。
「それがし、近衛中将様が家臣、小佐々治部少輔(利三郎)にござる」
双方の挨拶が終わったところで、本題に入る。九月も末、涼しくなってもいいころなのだが、室内はある種の熱気さえあった。
「こたびは会談の機会を設けていただき、かたじけのう存じまする。さて、さっそくにございますが、先日いただいた書状の件にございます」
「はい」
利三郎は短く返す。
「これはいったい、どういう事なのでしょうか。播磨、備前、美作の国人を従える、という事ですが」
行雄は柔和な表情だが、感情を表に出していないのがわかる。初対面の会談である。ポーカーフェイスで正解だ。
「どうもなにも、そのままの意味にござる。山陽では備中以西、山陰では伯耆以西は毛利が統べております。ゆえに領国内ではあらそいもござらぬ」。
行雄は、それで? という表情だ。
「朝廷も幕府も、この乱れた世を憂いておられます。東は織田弾正忠様がおられるとして、丹波、但馬、播磨、因幡、美作、備前はいまだ混沌としております」
しばしお待ちを、と行雄が利三郎を遮った。
「今、織田弾正忠様とおっしゃったのですか?」
「いかにも」
利三郎は即答する。
「これは異な事を承る。弾正忠様は公方様を奉戴し、畿内随一の大名と考えるが、いまだ北には朝倉、東には武田に上杉、そして北条と大国がございますぞ」
「はい」
利三郎は気にもとめない。
「弾正忠様がそれらを切り従えて、日ノ本の東を統べるというのですか」
「無論です。あのお方はわが主君にならぶ希代の英雄。切り従えるか、方法はわかりませぬが、近い将来統一いたしましょう」
利三郎は『当然、朝廷と幕府の名の下に』と加える。
自信たっぷりの発言に驚いた行雄だが、発言の意図を探ろうと考えている。
「なに、それがしが今申し上げたことは、こたびの会談にはなんの関係もござらん。聞かれたので答えたまでにて、返答はいかに」
利三郎は淡々と会談を進めようとする。
「お待ちを。急な事にてすぐに返答はいたしかねまする。それがしは中将様の真意を知るべく、ここに参ったのでございます」
「真意、ですと?」
「要するに、ありていに申せば、降れという事なのでしょう? 宇喜多を切り離し、小佐々家中の軍門に降れと」
「ははは、軍門に降るとは物騒ですね。なにも戦をして降伏させるわけではありませぬ。われらの庇護のもと、戦もなく平和に領国を治めてくだされ、と言うておるのです」
にこやかに返す利三郎。
「しかし、従えという事はそういう事にござりませぬか? 知行はどうなるのです? われら以外の国人、江見や後藤、原田などはどうなるのです?」
「これを」
利三郎はそう言って諸法度にある『大名国人仕置き例』を見せた。
「これは、禄を銭で支払うという事でしょうか? そんな事……武家にとって知行がどのようなものか、おわかりでしょう?」
「無論、承知しております。それゆえ全てではござらん。例えば、四国で言えば、長宗我部や河野、一条も知行は残っております。あとは出来高にて、銭で俸禄を支払っております」
「それは……誠にござるか? それでは利三郎殿、利三郎殿はいかほどの知行なのですか?」
「それがしでござるか? それがし、親族衆ではござるが知行は微々たるものゆえ、申し上げませぬ。しかしながら、渉外の役目全てを取り仕切っておる故、一千石ほどでござろうか」
たった一千石? 行雄はそう思ったのだろう。九州や四国を統べる500万石超えの小佐々家の重臣、しかも親族衆ともなれば、5万や10万の知行があってもおかしくはない。
※1貫=1,000文=12万円で計算。1貫=2石計算で、1,000石=500貫=6,000万円。大使の給料+外務大臣の給料。
そして渉外という国の命運を左右する重要な役目なのだ。もっと優遇されているはずだ、と。
「ははは、少ないとお思いか? 確かにこれまでの常識で考えれば、二、三万石か五万石ほどはあるかと考えるかもしれませぬな」
行雄は見透かされているようで居心地が悪そうだ。
「しかし仮に五万石あっても、実入りは二万石。そこから家臣の俸禄をはらい、家族を養い、領内で必要な全ての物事を執り行う。しかも年貢は毎年しっかり入るかわからぬ」。
行雄は理解しようと試みている。今まで聞いた事がないやり方だ。
「家臣一人が年に一石の米を食べるとお考えください。飢饉だろうが豊作だろうが、食べる米の量は変わりません。多少我慢できても食べぬ事はできぬでしょう」
徐々に言わんとしている事がわかってきた。家族を養う事を含めての、要するに世帯所得が五百貫(現在価格で6,000万円)ということだ。
家臣という概念はあるが、自分の私的な家臣というより、純正の家臣である。俸禄は純正が小佐々領の歳入から支払う。
会社の社長が純正で、渉外部長が利三郎、家臣は部下で会社員という感じだ。
大友や島津、伊東や一条などの大きな知行を残しているところは、過半数(100%)の株と議決権、経営権を純正が握っている系列企業といえばいいだろうか。
「その点この千石、いや五百貫といった方がいいですな。毎年必ず入ってきます。今まで殿が約束を違えた事はありませぬし、家族を養う以外には、使い道は自由にござる」
しかも知行地はどこを貰うかで変わってくる。
石高は多くても荒地が多く、領民も少なければ実入りは少ない。その点銭なら、日ノ本どこでも一貫は一貫だ。
「正直なところ、考え方次第でござる。しかしながらこの方法で、実入りが少ないなどと不平不満を言う者はおりませぬ。自らのやるべきお役目に専念でき、しかも成果がでれば歩合もある」
行雄は考えている。土地すなわち領民であるという事。
そしてそれは、軍事力にそのまま直結する。特に兵農分離が進んでいないこの時代ではなおさらである。
多くの土地を持つ者が富み栄え、より多くの兵を持つ事ができる。
ある意味現代日本の、バブル期の土地神話のようなものかもしれない。すべてではないが、盲信的に土地の価値を信じる、という点では共通している。
「……では具体的に、中将殿(純正)はわれら浦上にはどれほどの知行を、とお考えなのでしょうか」
行雄は不安げな表情を見せまいと、必死で隠しているようである。
「そうですな、浦上御家中の高は、備前美作の直轄地で十二、三万石とお見受けするがいかに?」
「はい、おそらくは」
「ではいくつかありますが、ご不安なら最初はそのまま本領安堵でいかれればよろしい」
「それでよろしいのですか?」
「かまいませぬ。ただし、他の国人衆は浦上の庇護下ではなく、この小佐々の庇護下になり申す。おそらく中小の国人は俸禄を選びましょう。実入りが大きいですからな」。
「……」
行雄は考えている。もちろん国元に帰って主君に話し、判断を仰がなければならない事案である。しかしその前に自分なりの結論を出しておきたかった。
当然ながら国人にも選んでいただきまする、それから……と利三郎は続ける。
「これまでと変わらぬ故、追加の俸禄はさほどありませぬ。領内の事はご自身でやりなされ。小佐々からの賦役はありませぬが、軍役はそれ相応にございます」
利三郎は、知行が減るにつれ、仕事の成功報酬が増えるという説明も加えた。
最初は本領安堵の大名もいたが、小佐々家中の大名はほとんどがこれに移行している。知行地を少なく、そして銭での実入りを多く。
そう説明した。
固定給が減る代わりに、歩合の比率が増えるような感覚である。仮に同じ売り上げでも、インセンティブが10万から50万の開きがあるような状態だ。
「なるほど、わかり申した」
行雄は忘れぬように紙に内容を記す。最後の確認をして部屋を出ようとするが、ああそれから、と利三郎に呼び止められた。
「どのような決断をされようとも構いませぬが、ひとまず条件を受け入れて本領を安堵させ、周りの国人とも連絡を密にして、いざという時には、という浅はかな考えだけは、止めておきなされ」
行雄の体がわずかに震えたのを利三郎は見逃さなかった。
「わが主君は家臣から『甘い』と言われるほど寛大であるが、裏切り者には一分の情も持ち合わせておらぬ故、浦上の名はこの地から消え失せまするぞ」
利三郎は笑ってはいるが、目の奥では行雄の一挙手一投足をとらえていた。
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