元亀元年 十月十四日
小会議室に案内された隆景は、様々な調度品に驚く。
壁には見たこともない絵が掛けられ、テーブルの上には何やら球体の置物がある。そして上座の席の奥には大きな振り子時計があった。
「さ、どうぞお座りくだされ。普通の茶と紅茶、これは材料は同じですが味と香りが違いまする。あるいは天竺より西から取り寄せた珈琲はいかがですか?」
隆景は恐る恐る紅茶を選んだ。
謁見を申し込んで、初対面で飲み物と茶菓子を勧めるなど聞いた事がない。まさか毒殺? いや、さすがにそれはないだろう。
謁見の間で気圧されていた隆景は、楽にしてくれと言われても、楽にできるわけがなかった。
「さて、話の続きですが、こちらにご案内したのは、毛利を許したからではありませぬぞ。何をどうしようと、毛利がわが小佐々になさった事は消えはしない」
物腰は柔らかいが、確固たる意志を感じる。
「されど無為な戦は、起こしたくないというのが本音である。いつの世も苦しむのは民であるからの。ゆえに条件を出していこうと思うが、いかに」
「はい、まずは中将様の御存念をお伺いしとうございます」
「そうであるな……」
純正はしばらく考え込み、やがて言った。
「まず、小佐々としては隠岐、邇摩郡(にまぐん)佐摩村大森の銀山(石見銀山)と仁多郡、そして美保関に宇竜浦の湊を貰い受ける」
な! 隆景の顔がこわばる。無理もない。
石見銀山と仁多郡(奥出雲の鉄)の割譲、美保関と宇竜湊の権益は、石高の少ない毛利財政の屋台骨である。
これでは毛利は、図体だけがでかく、中身がなくなってしまう。
「あわせて毛利領国の全ての湊へわれらの商船、軍船の寄港、停泊を許可して貰う。どうだ、良い条件であろう?」
「……」
「むろんわが湊へも、毛利の軍船の寄港と停泊を許す。……なんだ、不服か? うーん、困ったの。わが家中の鍋島直茂、知っておるか? 加賀守じゃ」。
「……はい。存じ上げております。元は龍造寺家臣にして、いまは中将様の懐刀とか」
「ははは、まあ懐刀と言えば、そうなるな。あやつが何と申していたと思う? 毛利は防長二ヶ国に減封とまで言っておったのだぞ」
「なにを! ……ぐっ」
隆景は我慢する。我慢、我慢だ。
「小早川殿、まず、われらが何に憤りを感じておるか、おわかりか?」
「それは、さきほど申し上げたとおり、中将様を謀って……」
「そうだ。無論、伊予戦役における兵糧矢弾や銭の浪費、そして命を失った同胞の恨みもある。しかし、なにより不可侵の盟を結んでおきながら、不義の行いをした事が許せぬのだ」
「それは、返す返すも、お詫び申し上げるしかございませぬ」
「戦国の世であるから、権謀術数、ありとあらゆる策をもって領国を大きくし強くならねばならぬ。盟約は、利害が一致してこそであるが、それならば毛利は盟を結ぶ相手として不足である」
隆景は何も言えない。
事実、戦をせずに被害が出ない事を除けば、小佐々にとって毛利と盟約を結ぶ利がない。大包囲網を敷いて、滅ぼしてしまえばいいのだ。
尼子など、支援をして切り取り勝手の触れを出せば、喜んで戦うだろう。
「その上で、良いですか小早川殿、小佐々は毛利に信を置いておらぬのです」
断言された。当然だとわかっていたが、面と向かって言われると、隆景はいたたまれなくなった。
「そのような状態で、どうやって盟約を結ぶのですか? われらの条件を呑んで敵意なき事を示し、信を勝ち取る努力をするほか、ないのではありませぬか」
純正の言う事は、いちいちもっともである。
「それとな、小早川殿。銀と鉄を奪われて、さらに美保関まで割譲するならば、領内の財の源は大いに衰える。国許が立ち行かん有様となるのでは、とお思いなのではないか?」
「それは……仰せの通りにござる」
「ふむ、やはりの。このような事はあまり言いたくはないが、少し物の見方が偏っておるのではないか」
「それは一体、どのような事にございましょうや」
「では手短に申すが、銀や鉄の鉱山は確かに重要だ美保関の権益も大きいだろう。しかし、毛利の財の源はそれだけではなかろう?」
確かに、石見銀山や美保関の権益が大きいというだけで、すべてではない。
「山陽に目を移せば小早川水軍に因島村上を従え、防予、芸予の島々に瀬戸内の半分を押さえておる」
事実、瀬戸内海は畿内と九州、四国、中国を結ぶ海運の大動脈であり、毛利の屋台骨を支えた大きな財源となっていた。
「われらが忽那や塩飽、日生や小豆島を押さえているとは言え、相当な銭になるであろう。それから山陰にしても、銭を生む湊は無数にある」
純正はニヤリと笑って話を続ける。
「例えば宇竜の南には杵築や園湊がある。斐伊川河口にあって水運の要衝と聞いておるし、奥出雲の鉄や鷺(さぎ)銅山の銅の積み出しは、宇竜でとは限らぬぞ」
唖然とする隆景をよそに、純正はさらに続ける。
「それに鉄は飯石郡でも採れる。要は自由にやってよいのだ。さらに西には鞆ケ浦に古竜に温泉津、銀の積み出しで栄えておる」
隆景は驚いた。
なぜにわが領内の事をそこまで知っておるのか、と。世鬼衆は優秀だとの自負はある。しかし、その世鬼衆からはなんの報告も受けてはいない。
「なぜ俺がこのような事まで知っておるのか、と不思議に思うておるだろうが、そのような事は些末な事よ。問題は、毛利がそれをどう活かすかによる、という事だ」
「はい」
もはや、はい、としか言い様がない。
「では、それでよろしいか? 無論即断はできぬであろうが、国許に帰り、駿河守殿(兄)と右衛門督殿(輝元)を説得なされよ。それから三村もじゃな」。
「三村、でございますか?」
「さよう、宇喜多に対して特別な怨みは抱いておらん。こたびの取り決めを進めるための一策として用いただけじゃ。だが、宇喜多を許すとすれば、三村が不満を露わにするのは確実じゃろう」
「はい、おそらくはそうなるでしょう」
「そこで、だ。近く年内にでも、瀬戸内の沿岸と山陰の大名を集めて会議を開こうと考えておる。宇喜多に三村、尼子に毛利、浦上、そして播磨は赤松に別所じゃ」
ああそれから、と純正は続ける。
「領地を巡る争いや家中同士の不和はあるものの、心の隔たりを取り払い、共に繁栄を目指そうというのが俺の考えだ」
またもや、戦国時代にはなかった発想だ。要する毛利以外は服属のようなものだが、あえて立てる、という事なのだろうか。
現代のG7やG20とは、似て非なるものだが、問題点や不平不満をあぶり出し、トラブルを未然に防ぐには役立つかもしれない。
「それから、我が家中から見届け役として大友と河野、それに三好を参加させるつもりじゃ。その前に三村と宇喜多の和議にて、三村の説得を頼みまするぞ」
「は……」
はい、と即答したいところであるが、かなりの難題である。しかし、否とは言えない。
「尼子はこちらでなんとかする。出雲伯耆の二ヶ国などと言うかもしれぬが、現実的ではない。能義郡あたりでおとしどころとするゆえ、それも踏まえて頼みまするぞ」
2人の間にしばらく沈黙が訪れた。
「いかがか?」
「はい、微力ながら誠心誠意、努めさせていただきます」
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