元亀元年 十一月十五日 吉田郡山城
「本気で呑むというのか、隆景」
諫早城で純正との会談を終えて戻ってきた隆景は、輝元と元春、ならびに恵瓊ほか数人の重臣にその内容を告げた。
小佐々と四分六(毛利が四:感覚的な表現)の同盟を結ぶことを提案していたのだ。
条件は下記の通り。
・隠岐国、石見国邇摩郡(にまぐん)佐摩村にある大森の銀山(石見銀山)と、仁多郡(奥出雲の鉄)の割譲。
・美保関に宇竜浦の湊の権益を譲渡。
・毛利領国内の湊への小佐々の軍船の寄港ならびに停泊、商船の出入り自由、帆別銭の免除(軍船)。
・小佐々領内への毛利の軍船、商船も条件は同じ。
「その通りです。これはいわゆる五分の盟約にはござりませぬが、そもそも五分の盟約など、わが毛利には望めませぬ」
隆景が冷静に話を進めると、元春がやや興奮気味に反論する。
「望めぬとは言え、その条件を呑めばどうなる? わが毛利は蔵入地からの年貢は少なく、毛利の財の源は、その七割を瀬戸内の海運と銀や鉄などの山の産物に頼っているのだぞ」
隆景は、元春の言い分を全部聞こうと、黙っている。感情的になっている相手に、自分も感情的になっては水掛け論になる。収まるまで待つのが得策だ。
「その銀や鉄を奪われ、そのうえ美保関と宇竜浦だと? 年貢が半分に減るも同然ではないか。いかようにして領内を治め、いかようにして兵糧矢弾に武具、兵船を整えるのだ」
元春の言い分はもっともだが、それに対する反論は、もちろん隆景にも用意がある。
「では兄上は、どのような条件なら呑むのですか? 兵糧矢弾に武具兵船とおっしゃるが、今ならばどれほど整えられるのですか?」
元春は少し考えていたが、やがてさらに反論した。
「毛利の本家と両川で、三万、……いや、無理をすれば五万は下るまい。兵船も二、三百はゆうに準備できようぞ」
隆景はため息をついた。
「無理して、無理して五万ですか。残念な事ですが、到底敵いませぬ。小佐々の常備の兵は六万を超えますぞ。京の守りと南方の抑えに一万ほど割かれても、五万はおります」
隆景は、これで常備の兵でござる、と続ける。
「さらに戦時となれば、別で七万は出せましょう。これは、無理せず出せる兵にござる。兄上が言う無理をすれば、さらに五万、総勢十七万の軍勢で攻め寄せられるのです」
元春は黙る。
「兄上、兵船二、三百とおっしゃいましたな? 関船や小早の二、三百など小佐々も常備しておりまする。それに南蛮船が、大小あわせて三十隻以上あるのです」
兄上、と隆景がさらに畳みかける。
「鉄砲はどれほど用意できますか?」
「されば、かき集めて千挺ほどはなんとかなろうか」
隆景は、ため息をつく。
「小佐々には四万挺の鉄砲がありますぞ」
「馬鹿な! そのような世迷い言、申すでない!」
「世迷い言などではございませぬ」
隆景はあくまで冷静に返す。
「隆景よ、おぬしのさきほどからの申しよう、まるで見てきたかのような物言いではないか!」
「見てきたのです! 府内の湊で長崎で! 諫早の銭の倉に兵糧の倉! 陸兵の調練所に佐世保湊の水軍の船着き場で! 何十何百とあるかわからぬ倉が、武具に矢弾であふれておりました!」
隆景は初めて怒鳴った。
「万に一つも勝ち味はありませぬ。鉄砲にしても、何発分蓄えがあるのですか? 一斤の火薬で四十発分にござれば、それが銀二匁五分にござる。二千斤買うて銀五千匁、銭にして四百貫」
恵瓊は横で黙って聞いている。このような時に割って入るとろくなことがない。輝元も同じだ。
「買ってそろえて、しめて八万発分の火薬にござる。途方もない数の火薬に思えるかもしれませぬが、小佐々の鉄砲は少なく見積もっても四万挺。ゆうに十倍の弾と火薬はあるでしょう」
「そんな、馬鹿な……」
当初、肥前彼杵の奥野の郷にて極秘に作っていた硝石だったが、今では領内数カ所に分かれて、厳重な警備のもと製造しているのだ。
輸入しているものとあわせて、10倍近い量が調達されている。
硫黄は島原に阿蘇、そして霧島や別府に桜島、ふんだんにある。木炭も一カ所にまとまらないように生産し、足りない分は購入しているのだ。
「では兄上、兵糧を考えましょう。一人一日に五合与えるとして、五万人なら二百五十石が要り申す。銭にして三百十二貫と五百文、月に九千三百七十五貫になりまする」
※月に11億2,500万(一貫=120,000円計算)
元春は聞く。黙って聞いている。これが三合だろうが四合だろうが、そのような事は些末な事なのです、と隆景は続ける。
「一年戦を続ければ、十一万二千五百貫必要なのです。毛利にとって右から左に動かせる銭ではございますまい。それに京大坂は、小佐々と織田に押さえられております」
これが何を意味するかおわかりですか? と隆景は淡々と、冷静に話を続ける。
「商人が米を売らないという事です。さらには小浜も浅井が押さえております。伯耆や因幡、播磨や備前美作の商人が売ってくれましょうか? よしんば売ったとして、値は青天井となりますぞ」
ちなみに、と隆景は畳みかける。
「小佐々は十七万で計算すれば、米が三十万六千石いりますが、銭にして三十八万二千五百貫。米も銭も、蓄えておるのです。これほど、これほど彼我は違うのです」
しばらくの間、沈黙が流れた。誰もが、誰が沈黙を破るのか、固唾を呑んで見守る。
「では、逆に隆景に問おう。半減した年貢を、どのようにして賄うのだ?」
これについても、隆景は反論を用意していた。
「されば、数年は厳しい年月が続きましょう。しかしながら、中将殿(ここで様、と呼ぶと反感を買うので、あえて殿)いわく、銀は石見だけにあらず、と」
「なに?」
「銀だけに留まらず、金、銀、銅は周防長門でも産するという。鉄も奥出雲だけではない。毛利の領内にて、他にも鉱山は多数あると言うことにござる」
「どういう事じゃ?」
「中将殿は路頭を探るに秀でた衆を抱えており、それによって九州四国の新たな鉱山を見つけ出し、採掘を始めています。その者らが周防長門を訪れた際、何カ所も見つけたようにござる」
元春は、理解はできるが、面白くないようだ。
もちろん無能ではないし愚鈍でもない。しかし、生理的に受け入れがたいようだ。戦で負けてもいないのに、条件を呑まされる事になるからだ。
「名が大事な事、家名や武門が大事なこと、そのような事この隆景、重々承知しております。しかしまず第一は、その大事な家を残すことにござろう。武門の名折れに家名の恥、甘んじて受ければ良いのです。そのようなものは、いかようにでも挽回できまする」
……隆景の最後の一言が、決め手となった。
元春は不承不承ではあったが、受け入れ、輝元も同意した。恵瓊からは特に異論もなく、これにて毛利と小佐々の従属的同盟(四分六)がなったのである。
あわせて純正は、毛利に対して資源開発や殖産興業の援助を申し出ており、必要であれば資金の援助もするつもりであった。
確かに隆景の言うとおり、切り詰めても最初の数年は苦労する事だろう。
しかし鉱山が開発され、産業が興り産物が増えれば、やがては増収増益になる事は、元春も理解していたのであった。
コメント