第479話 曽根九郎左衛門尉虎盛、刮目して小佐々軍を吟味する

曽根九郎左衛門尉虎盛、刮目して小佐々軍を吟味する 第2.5次信長包囲網と迫り来る陰
曽根九郎左衛門尉虎盛、刮目して小佐々軍を吟味する

 元亀二年 九月二十六日 京都 上京

『小佐々家中御用達 旅の宿 酒処飯処 小佐々ノ中屋』

 そう書かれ、七つ割平四つ目の家紋が描かれている暖簾をくぐると、客でごったがえしていた。広々とした店内には大きな水槽が二つあり、淡水と海水の魚が泳いでいる。

 なんだ、これは?

 しかし九郎は、あたかも何でもないかのように振る舞い、飯屋の亭主に声をかける。

「大将! おすすめはあるかい?」

「あいよ! おすすめねえ……。まずは澄酒だろうね、ここで飲まなきゃ飯がすすまない。それから、魚であれば淡海(琵琶湖)の鯉の刺身や鮒寿司もいいね。茅渟ちぬの海(大阪湾)なら黒鯛だな。あとは……肉だな。目玉焼きや玉子焼きも、売れてるなあ」

 大将の忠兵衛は元気よく答える。

「肉! ? 都では、肉を食うのか?」

「獣肉と言っても、三種の浄肉だ。中将様が奏上して、一昨年の勅命でお許しがでてな。まあこれは人の好みにもよるが、一度食べると止められないうまさだ。三種ってえのは、あの壁に書いてあるよ」

 九郎が壁を見ると、その三種が書かれてあった。

 ・殺すところを見ていない。
 ・自分のために殺したとは聞いていない。
 ・自分のために殺したとは知らない。

 要するにここで提供される肉は不特定多数のために殺されたのだから、感謝の気持ちを込めて食べれば仏法を犯すことはない、という事なのだ。

 九郎は澄酒と、琵琶湖の鯉の刺身、それから茅渟の海で採れた魚の刺身を注文した。

 無類の刺身好きである。しかし武田は駿河を領国としているが、海沿いに住んでいないと簡単には食べられない。

「時に大将、ここ最近都はどうなんだい? 所々に屯所のようなものがあるが、かといって物々しい気配はしない。大和や河内では戦があるのに、都では噂話にしか聞かない。まるで他人事だ」

 九郎が大将に尋ねると、大将はお通しの枝豆と常温の清酒を机に置いて話し出す。

「そりゃあ中将様と、中将様から都の守りを仰せつかっている治部少丞様、それから、あのお武家様、なんと言ったかな……ああそう! 神代様だ。そのおかげさ」

 三年前の永禄十一年、京都所司代として小佐々の兵が治安を担い、検非違使も兼務する事になってから平和そのものなのだ。

 もちろん民衆の中で諍いはあるものの、所司代と検非違使が警察の代わりをしている。

 将軍義昭が挙兵する少し前に、所司代は罷免されたが、検非違使としての任務は継続中である。

 治部少丞殿、先日会ったときは武辺者の印象は受けなかったが……。そう九郎は考えたが、民衆から信頼されているのであれば、それだけではないという事だ。

 それにしても、小佐々の兵というのは珍妙な格好をしている。

 鎧は着ておらず、陣笠もかぶっていない。巨大な大砲が御所のいたるところに置かれてあり、それは都の四方にもあるそうだ。

 織田信長が伊勢を平定するときに使ったものと同じものなのか?

 騎兵は常に洛中を巡回し、異変があればすぐに付近の兵がかけつける仕組みのようだ。それでいて、まったくこちらが気圧される事はない。

 むしろ道行く民と自然に話をしている。

 

「今日(こんにち)はお役目ご苦労さまです」

「お心遣い感謝いたす。息災にござるか」

 九郎も昼間、通行人の真似をして騎兵に声をかけてみたのだが、同じように返事が返ってきたのだ。知り合いではなく誰にでもそうしているようだ。

 大使館の前にはもちろん警備の兵がいた。

 洛中を囲むように小佐々の兵が配置されてはいたが、その外郭の兵から緊急時の連絡が入っていないので、通常の警備のままである。

「今日(こんにち)はお役目ご苦労さまです」

 警備兵は会釈をする。

「近頃は寒くなってきましたね。体に気を付けてくださいね」

「お心遣い感謝いたす」

 警備兵は帯刀していない。武家ではないのか? 武家ならば帯刀しないはずがない。

 そして九郎は見たのだ、火縄のない鉄砲を。そのかわり、何やら異なるからくりが引き金の上にあった。

『間違いない』

 九郎は確信した。あのどんぐりのようないびつで溝の入った玉、小佐々のものに違いない。

 

「大将、つかぬ事を聞くが、この暖簾、武家の家紋が入っているようだが?」

「ああ、わかりますか? さてはお客さんもお武家様ですか?」

「ああ、いやいや私は単なる出入りの商人ですよ。なにやら見かけた事があるような紋でしたので」

「ああ、そうなんですか。いや何、あっしは武家でも何でもないんですがね、ひょんな事から治部少丞様とお近づきになる事ができまして、小佐々家の直営として、店を任せられる事になったんですよ」

 ……! 直営、だとう?

「大将、それは小佐々家が、商売でこの店をやっているというのか?」

「ええ、その通りです。なんでも小佐々の殿様、近衛中将様ですが、一風変わったお人のようで、あ、いやいや良い意味でですよ。商いで国を富ませる、といつも言っているようなのです」

 武家が、商人の真似事など……? わからん、得体が知れぬ。そして得たいが知れぬ者ほど、怖いものはない。これは、何としても和を結ばなければ。

 すべてが、規格外だ。

 ■翌日 大使館

「大使、小佐々中ノ屋の忠兵衛様がお見えになっています」

「おお忠兵衛が、そうか、通してくれ」

 ちょうど昼時である。この時間帯に来るという事は、昼飯持参である。

「おお、これが最近人気の握り寿司か、鮒寿司と何が違うのだ?」

「鮒寿司ほど手間暇はかかっておりませぬ。飯は酢を混ぜておりますが、ネタは生ものゆえ、塩や酢でしめる、蒸す、煮る、漬けるなどの手間をかけております」

「なるほど、どれどれ……! うまい! なんだこれは! うまいぞ! さぞ売れているだろう?」

「は、売れてはいるのですが、なにぶん醤油がまだまだ値が張りますゆえ、人気ですが、物によっては大量には売れませぬ」

「そうか。それは……では、御屋形様に量を増やし、値を下げれば飛ぶように売れる、と進言しておこう」

「ありがたき幸せにございます」

「なんのなんの……で、こたびはいかがした? まさかわしと共に寿司を食うためではあるまい?」

 純久は茶をぐいっと飲み干し、もう一個寿司を手に取って言う。

「はは、実は昨晩妙な客が来まして、中ノ屋の由来や京の様子のこと、小佐々の兵の事を根掘り葉掘り聞いてきたのです。本人は商人と言っておりましたが、まず武家の出にございましょう」

「なるほど、で、どこの家中かわかったか?」

「申し訳ありませぬ、しかしながら小佐々家中が商いに金を出している事に、大層驚いていたように見えました」

「……うむ、あいわかった。礼を言うぞ。これからもそのような者がおれば報せてくれ」

「はは」

 純正は『商い大名』と言われて久しいが、織田・徳川・浅井を含めて西国ではそう呼ぶ者はもういない。

 という事は、上杉か武田もしくは北条か、はたまた奥州の誰かか……。

 

「大使、曽根九郎左衛門尉様がお見えです」

「うむ、通すが良い」

 まるで来ることをわかっていたかのように、純久は九郎に声をかける。

「やあやあ、これは九郎殿ではありませぬか。先日の件であれば家中の大事にて、しばし時をいただきたい、と申し上げたはずですが」

 先日の口調とは打って変わって、慇懃無礼ともとれる、飄々とした態度で接する純久であった。

「それは十分に存じ上げております。その上でお願いがあり、再びまかり越しました」

 ……。

「あいわかった。話を聞こう」

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