第4話 宮の前事件と平戸の南蛮船〜永禄4年の謎に迫る〜

歴史改変は悪だけど、死ぬのはいやです。

 永禄4年4月 沢森城 自室にて 

 ※宮の前事件※
 永禄四年(1561年)八月、長崎県平戸(以降平戸と記述)に停泊中の、ポルトガル船のフェルナン・デ・ソーザ船長と16名の乗組員が平戸港宮前で殺害された事件。

 多分、商取引のトラブルが原因で起きたんだろうけど、それだけで人殺すかね? まじでこの時代怖えーわ。

 確か平戸は宣教師も厚遇して熱心に南蛮貿易で儲けていたはず。

 鉄砲や大砲も輸入していたと思う。領主の松浦隆信自身が熱心な曹洞宗信者だったこともあって、地元寺院との緊張が高まっていたのは事実。

 現にこれ以前にも、仏教徒による教会焼き討ち事件が起きている。

 この事件以降、平戸から南蛮船が消えて横瀬浦(現在の西海市西海町横瀬郷)に寄港するようになった。そりゃ焼き討ちや殺人やら、物騒すぎる。

 翌年の永禄五年(1562年)には大村純忠から、コスメ・デ・トーレス神父にポルトガル船寄港の誘いの手紙が送られている。

 よし、既定路線だな、これ。別に何もしなくても横瀬に南蛮船がくるんだから、余計な危険を冒す必要は、ない。

(でも、焼き討ちで1年しかもたないはず。くそ後藤が。今1561年ならえっと、桶狭間の翌年か!)

 さらに考えた。

(信長は本能寺の変から逆算すると、マイナス21年で27歳! ……ブツブツ……。それまでに別に無双しなくてもいいから、ときの権力者に理不尽に無視されない程度に勢力拡大して……どうやって? ……ぶつぶつブツブツ……)。

「兄上、なにしてるんですか?」

「うわへやう!」

 不意の背後からの声かけにビクッとして、日本語にならない、もはや言語ですらない。なんかの音。

「なんだ! 千寿丸! 行儀が悪いぞ! 部屋に入るときは必ず一言言うように教えられているだろう!」

 怒る、しかる、というよりバレないように取り繕って適当に喋ってる、というのが正しい表現。

 4歳年下の弟、千寿丸。別に行儀は悪くないのだが、普通に好奇心旺盛な8歳(満7歳、今後年齢は数え年で統一します)

 キラキラした目をしながら、悪ぶることもなく身を乗り出してくる。

「だって、お部屋の外から戸を開けずに、なんどもお声がけいたしました」

 千寿丸は言う。

「でもぜんぜん返事がないし。そおっと戸を開けてみると、何かを読んだり書き込んだりしながら、うーんうーんってうなってました。それでもしや、けがのせいなのかとしんぱいになったのです」

 そうだったのか。どなって悪いことしたな。この年代の子供って(自分も子供だと忘れている元アラフィフ)いい意味純粋なんだよなあ。

「うむ。そうか。兄は嬉しいぞ。千寿丸の気持ち。でも今はリハビ……いや、稽古の途中だから後でな」

 そう言って千寿丸の方に向き直ると紙を背中に回して隠す俺。

 はい、わかりました。それではまたゆうげのときに、と千寿丸は立ち上がって部屋を出ようとする。ふうーっと胸をなでおろしていると、

「ところで、みやのまえとかぽるどがるとか、永禄はわかりますけど、げんきとかてんしょうってなんですか?」

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