第527話 上杉領経済封鎖 すべての津、浦、湊で津留をいたす。

対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む
上杉領経済封鎖 すべての津、浦、湊で津留をいたす。

 天正元年 三月二十四日 越後 柏崎沖

 佐々清左衛門加雲少将率いる、小佐々海軍第四艦隊の陣容は次の通りである。

 旗艦 戦艦 霧島丸(500トン)
  二番艦 重巡足柄(400トン)
  三番艦 重巡羽黒(400トン)
   四番艦 軽巡阿武隈(300トン)
   五番艦 軽巡川内(300トン)
   六番艦 軽巡神通(300トン)
   七番艦 軽巡那珂(300トン)
   八番艦 軽巡夕張(300トン)

 十八日に能登の所口湊を出港した。上陸作戦ではないため海兵隊は少ないが、それでも各艦艇に臨時に編成された海軍陸戦隊と合わせ、制圧用に乗艦していた。

(陸戦隊=常時艦艇乗組みの甲板要員で、主として白兵戦、上陸戦闘。海兵隊=準海軍だが近々独立予定の上陸制圧作戦要員)

 また、先のマニラ沖海戦にて大破・中波した艦艇は次の通り。

 戦艦 金剛丸
    榛名丸
    比叡丸

 重巡洋艦 加古

 軽巡洋艦 長良
      由良

 これらの艦艇は佐世保に|曳航《えいこう》され、修理後に順次マニラへと向かった。

 |拿捕《だほ》したスペイン艦艇は艦内を日本仕様にした後、三個艦隊に分類配備されている。

 

「左四十五度水平線、艦影が複数見える」

 見張り員からの報告に司令長官の|加雲《かうん》と艦長は双眼鏡をのぞき込む。

「見張り、艦種知らせ」

 再度見張りに確認すると、徐々に大きくなってくる船団を見て、見張りが報告する。

「艦橋-見張り、戦闘艦にあらず、荷船(商船)の模様。数四」

 加雲は艦長に、商船に対して停船を命じ、接近して臨検と拿捕を命じた。

 

「親方、なにか向こうに見えますぜ」

 越後柏崎湊から、|青苧《あおそ》を原料にしてつくった越後上布を載せた船である。海路にて越前敦賀へ向かい、そこから陸路と琵琶湖の水運を使って京へ運ぶのだ。

 船員が叫び、船頭に注意を促す。

「なんだ、あれは?」

 その船の船頭は、水平線に見えるいくつもの船影を見つけて驚きの声を上げる。

「海賊でしょうか?」

「いや、この辺りに出るたあ聞いた事がない。それになんだありゃ。この道程(距離)で、でかすぎるぞ」

 船影がどんどん大きくなっていく。

 

 みるみるうちに大きくなった船は八隻あり、その全てが荒浜屋宗九郎の船より大きい。

 大きなもので十倍、小さな物でも六倍はある大型艦である。船員はおろか、船頭ですら初めてみる大型艦だ。

 ※荷船一隻が三百石計算(約45トン)

 八隻の艦隊は商船の進路を塞ぎ、妨害する。

 やがて逃げ切れないと悟った四隻は帆を下ろし、停船して加雲の指揮のもと派遣された陸戦隊によって拿捕された。

「なんだお前ら! 海賊か!」

「ひいい! 助けてください! 命ばかりは……」

 わめいて抵抗する者もいれば、命乞いをする者もいる。加雲はそれらの乗組員に危害を加えることなく、船頭と荷主を呼び、話す。

「無礼な真似をして申し訳ありません。それがし、小佐々権中納言様が家臣、佐々清左衛門と申す者。小佐々海軍……水軍のこの艦隊……兵船群の長にござる」

 加雲の言葉を聞き、連れてこられた男は落ち着いて話し出す。

「あなた方が何者かはわかりました。まず、荷と船乗りの安全をお約束ください」

「無論の事」

 ふう、と船頭は一息つき、続ける。

「わたくしは、越後柏崎にて青苧の商いをしております、荒浜屋宗九郎と申します」

 荒浜屋宗九郎は長尾景虎に仕えた商人で、柏崎の町人組織をまとめる代表者でもあった。

「あなた方は、さきほど名乗られたように、権中納言様の御家中の方ですね。なにゆえにこのような海賊のような所業をなさるのですか」

 宗九郎の言葉に、加雲も真摯に答える。

「海賊とは……確かに行いし事は同じかもしれませぬが、|本意《ほい》(目的)は違いまする」

「本意とはいかに?」

「今、越後の上杉弾正|少弼《しょうひつ》どのは|軍《いくさ》をなさろうとしております。われら懸命に越中の|静謐《せいひつ》(平穏・平和な事)を願い、扱いて(調停して)まいりましたが、ならず。こたびの荷留、津留の仕儀にあいなり申した」

「荷留……津留ですと? 手前どもの荷は越後の青苧を用いた上布にございます。青苧や上布を留めなさるので?」

「左様」

「これは異な事を仰せになりますね。上布の商いは我らのみにあらず、柏崎だけではなく直江津においても行いては、盛んに京・大坂に運んでは売っておりまする。その全てをお留めなさると? 能う訳がございませぬ」

「それが能うのでござるよ。まさに(確かに)、海を越える荷を、われらがすべて留める事は能いませぬ。然れど、越前若狭の三国湊、敦賀湊、小浜湊のいずれかの湊には入りましょう?」

「その通りにございます。手前どもは敦賀に荷を下ろします。そこから荷馬荷車にて琵琶湖へ参り、さらに水運にて大津までいき、そこから京へと向いまする」

 宗九郎の言葉を聞き終えた加雲は答える。

「そのすべての津、浦、湊で津留を致すのです。織田、浅井領は言うに及ばず、丹後もしかり。西国の湊はすべて小佐々の所領にて、越後産の産物は、すべて津留いたすのです。われらはそれが能いまする」

「……そんな、ばかな」

「それならばと能登からを|巧《たく》む(計画する)やもしれませぬが、浅し(考えが浅い)にござる。能登も同じく、所沢湊、中居湊、輪島湊をはじめ、ある限り(すべて)の湊で津留をいたす」

「な……!」

「よしんば通り抜けたとして、加賀を通らねばなりませぬ。一向宗と上杉家は長きにわたり|軍《いくさ》をしております。越後の荷とわかれば、必ずや野盗の類いにあいましょう」

 それに、と加雲は続ける。

「陸で荷を運べたとして、加賀から越前に入る荷は、留めまする。越後の荷は通しませぬ。それならば飛騨はいかに? とお考えやもしれませぬが、同じ事にございます」

 宗九郎は、顔面|蒼白《そうはく》にならずにはいられなかった。

「越中の|放生津《ほうじょうつ》で荷を下ろし、お味方の所領を通りて武田の領国飛騨に至りても、荷留にあいまする。信濃、上野も同じにござる。かろうじて上野は、北条の所領と接しておるゆえ荷留にはあわぬかもしれませぬが、手間賃はいかほどになりますやら。加えて、駿河、遠江、三河、尾張、伊勢、志摩、堺においても……」

 宗九郎に、もはや加雲の説明を聞く気力はない。

 加雲は丁重に宗九郎を船室に案内するよう指示を出し、艦隊は拿捕した荒浜屋の船を曳航して、能登所口湊へもどるのであった。

 しかし、出るのを封じられただけではない。入るのも封じられたのだ。

 

 ■第三師団、駿河 吉原の湊到着。翌二十五日出発予定。
 ■第二師団、飛騨|牛臥山城《ぎゅうがざんじょう》下 川湊着。翌二十五日出発予定。
 ■土佐軍、大津着翌日出発 二十五日着予定
 ■摂津三好軍 近江国高島郡海津より陸路にて敦賀へ 二十三日 越前敦賀発

コメント