天正元年 四月十日 京都 大使館
「大使、関白様がお見えです」
大使館の近習が純久につげる。
「叔父上、これは……」
「うむ、昨日の和議の件に関しての事であろうな」
「……よし、お通ししろ」
ちょうど二人の時の来客であった。
純正は四六時中戦略会議室のメンバーや閣僚と一緒にいるわけではない。
戦場で戦っている兵士の事を考えれば、一瞬も無駄には出来ないと純正は考えていたが、純久がそうさせた。
叔父と甥の二人でいる、気を抜ける時間を作ったのだろう。
純正はこの世で唯一無二の存在。疲労で倒れられては家中が、いや、日ノ本が困ると考えたのだ。もちろん、叔父としての甥に対する気遣いもある。
「義父上、この頃はご挨拶に伺うことも出来ずに……」
「ああ、良いのだ良いのだ。上洛の際に挨拶に来たであろう? 十分だ。それに、妻と娘と共に息災であればなによりであるからな」
「ありがとうございます。この一件が終わりましたら、藤子と篤と共にご挨拶に伺います故。なに、それがしが京を離れて、いや文を諫早に出してから、十日もかからずご挨拶が叶いましょう」
晴良はニコニコと笑っている。
「して関白様、こたびは如何様な御用向きにございますか?」
純久が尋ねる。
「治部大丞も堅いのう。三人だけなのじゃ、義兄上でよいぞ。麻呂も純久と呼ぶでな」
「はは……」
しばらくの沈黙の後、純正が口を開いた。
「義父上、越中の儀にございますか?」
「うむ。主上のお言葉をまとめ、畠山家の越中守護としての権威で静謐となせ、と勅書として出したが、今はどのようになっておるのだ? そろそろ軍を止めては如何か? という考えも朝廷内で出ておってな」
「なるほど、打ち合いはじめて七日も経っておらぬのに、和睦とは。……謙信の手の者の仕業でしょうな」
「上杉の手の者とは? はて、さような話は聞いておらぬが、主上は成程早(なるべく早く)軍を終わらせる事をお望みなのだ」
純正と純久は顔を見合わせていたが、やがて純正が口を開いた。
「ご心配には及びませぬ。すでに和議をすすめるための使者を、畠山と軍場の大将に遣わしました。して、上杉が和睦の題目を飲まねばいかが相成りましょうや」
「そは……それこそ主上の御意趣を蔑ろにした不敬の大罪人である。勅書をもって滅せ、となるであろうな」
「それを聞いて安堵いたしました。五月に変わるまでには軍は終わり、上杉も越後に戻っておる事でしょう。そも上杉は関東管領であり、越中にはなんの関わりもございませぬ。みなし守護代など、あってはなりませぬ」
■天正元年 四月十三日 能登 七尾城周辺
琵琶湖の水運と敦賀より加賀の宮越へ船を使い、利三郎が七尾城下の畠山義慶の陣へ着いたのは、十三日の昼過ぎであった。
「はじめてお目に掛かります、小佐々権中納言様が郎党、太田和治部少輔にございます。修理大夫様におかれましては軍場においてもご健勝の事、お慶び申し上げます」
「おお、これは平九郎、いや中納言様の。畠山修理大夫である。堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。わざと(わざわざ)参ったのは……上杉の儀にござるか」
「は、あるじ中納言様におかれては、上杉からの和睦の求めに応じる御意趣にございます。されど修理大夫様の御存念ぬきには話を進められぬと仰せになり、それがしを遣わしましてございます」
義慶はそれを聞いてにこやかに笑う。
「ははははは、それは中納言様らしい。もとより、それがしに異存はござらぬ。然れど、わが能登に禍をもたらした報いは受けてもらわねばなりませぬ。それ以外には何もござらぬ」
「それは、すべてお任せになると?」
「うむ。まあ、全てではないが、中納言様のお力なくば、能登も越中も謙信にのまれていたであろう。ゆえに能登はそのまま。越中に関しては、すでにわれらが口を出せるものでは無くなっておるゆえ、ご随意に。われらは小佐々との付き合いで北海の利を得られればそれでよしといたします」
「承知いたしました。では、能登と越中から謙信の威を除いた対価として、畠山領の湊の帆別銭を廃していただきたいが、いかがでしょうか?」
「うむ、よかろう。それでなくとも様々な恩恵を受けておるし、これから更に増すであろう。帆別銭を廃すなど安いものだ。他の国の船も、商人も、品が増えれば落とす金も増えようからな」
「はは、ではそのようにいたします。越中の儀に関しては決まり次第お知らせいたします」
「ああそうだ。もう三日前になるであろうか。上杉の使者と名乗る者がきて、和議をなさんとしておるから、打ち合いを止めよと申してきた。すぐに分かったが、止めてよかったのじゃな?」
「然に候」
■四月十四日 上杉本陣
「申し上げます! 大川城をはじめ本条城や海沿いの城が、小佐々の船手によってことごとく掛かられ(攻撃されて)、数多の民が城下より逃げ出してございます!」
「なにい!」
これまで感情を表に出さず、常に冷静沈着を装っていた謙信が、はじめて立ち上がり、驚きを露わにした。
「馬鹿な! いつの話だ? 船手は帆を燃やし、動けぬようにしていたのだぞ。いずれは、と考えてはいたが、かように早く動くとは!」
謙信はドカッと床几に腰を下ろし、手を組んで人差し指を重ね、眉間に当てて考える。
「申し上げます!」
「今度はなんじゃ?」
それをそばで見ていた須田満親は、近習に怒鳴る。
「よい、満親よ。心穏やかに処さねばならぬ。……如何した?」
いくぶん落ち着きを取り戻した謙信は、ゆっくりと伝令の言上を許した。
「は、伊達勢取り掛きて(攻め寄せて)、上関城を抜きまして(攻め落として)ございます。また、蘆名勢も竹俣城を抜き、両軍まるで示し合わせるかのように、海に向けて勢を進めておりまする」
「……左様か。あいわかった。後詰めを送らねばなるまい」
「然れど御実城様、後詰めと仰せでも、向かわせる勢がおりませぬ」
「心得ておる。ゆえにここから出す。今いるこの場を死地とせねば、この窮地は救えまいて。本陣の六千を除く、放生津の兵も加えよ。一万二千にて引き返し、敵を討ち滅ぼせ。大将は繁長、本条城は……。よいか、揚北衆はすべて戻せ」
「ははっ」
謙信はそう力強く命じ、しばらくして横になった。
■越後沖 小佐々第四艦隊
「艦橋-見張り」
「はい艦橋」
「右舷九十度、敵艦、いや漁船のごとく小さい船が近寄ってくる。数一」
「長官、見張りからの知らせで船が一艘近づいてくるようです」
「なに?」
艦隊司令長官の佐々清左衛門加雲少将は、双眼鏡でその方向を見る。
「なんだ、あれは?」
同じように見ていた艦長が答える。
「あれは……使者? なにかの伝令で使者が乗っているのでは?」
二人がみていた小舟の上では、帆柱のようなものに布をくくりつけ、大きく『使』と書かれてあった。
「ふむ……よし、全艦に下命、決して攻撃するな、と」
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