天保十四年六月十七日(1843/7/14) 玖島城
約150年前、元禄十年(1697)の藩の収入は銀561貫833匁8分6厘。約8,642両であった。その当時は年貢米としての収入が、約6,500両で7割以上を占めていたのだ。
そして現在、約14,500両(転生前)である。
新田開発に伴い米の取れ高が多くなったのが大きな要因だが、すでに新田にする余地は少ない。当然ながら銀納も増えているのだが、大きな問題があった。
これが藩の財政を逼迫させたと言っても過言ではない。
参勤交代である。
大村藩は長崎の警護があるため毎年の参府はなく、3年に1回の参府なのだが、参府の期間は11月(9月出発)から翌3月(4月大村到着)までの四ヶ月である。
しかしそれでも大きく藩財政にのしかかった。これは大村藩に限った事ではない。お隣の佐賀藩も同様だ。
実際に参府のある年の歳出は16,500両にものぼり、参府なしの年に予算が余っても、とんとんどころか赤字続きであった。
そのため深澤家の借財に頼るほかなかったのだ。
石けんの売り上げが、なんと貴重な事か。
高炉と反射炉の建造には、1基あたり約8,000両が必要である。
36lbカノン砲1門つくるのに、鉄が4,500kg必要であるから、最低同時稼働が1双(2炉・1炉で4.5~4.9t)なのだ。
そのため整備中でも稼働させるため、またはさらに大型の大砲を作るには、高炉4基に反射炉4基、合計8基が必要であるから、64,000両がいるのであった。
正直なところ、捕鯨船の建造や諸々の研究開発費が加算された上に、江戸での赦免活動費がばかにならない。
石けんの販売数は伸びているし、椎茸も順調だが、財政破綻は許してはならない。
ただでさえ家老の大村五郎兵衛は、以前ほどの険悪さはなくなったとはいえ、収支についてはシビアに突っ込んでくるのだ。
だから、歳入を増やさなければならない。捕鯨の利益はまだ先の話だ。塩の生産も含めて考える。
『土地豊穣にして百穀能く実り、万種植の類はやく万延す、~中略~誠に西国の福土と謂つべし』
郷村記にあるように山にはエンジュ・ツキ・モミ・サワラ・梅・ヒノキ・杉・松・楠等の良材が多く、海には真珠貝・アワビ・ハマグリ・サザエ・ニシ・カキ・マテ・ニナ・アサリ等の貝類がある。
海草で言えば、ヒジキ・モズク・海苔・昆布などの他に多数ある。石炭や砥石、陶器に炭、茶、櫨実、箸、イリコ、干鰯、雲母などを販売している。
その中で、次郎が目をつけたのが、真珠であった。
<次郎左衛門>
「よし! よしよしよーし! その通りだよ! 温故知新! やってきてよかったあ!」
俺は殖産方の役人として、密かに進めていた特産品の完成に狂喜乱舞した。
それは、『真珠』。しかも『養殖真珠』である。
日本での真円真珠の養殖は、明治26年(1893年)に三重県で御木本幸吉が始めた、というのが一般的だけど(Wikipedia)、実は大村湾ではその22年前の明治4年に開始されている。
翌年には明治天皇に献上されたので、『真珠発祥の地』とも呼ばれている。
おそらく何をもって養殖とする? の基準で変わってくると思うのだが、重要なのはそこではない。
この俺が、50年前、または25年前に成功させた事なのだ。
大村湾は真珠の養殖に最適な環境で、冬場は凍る場所もあるくらいに水温が下がる。
『穏やか、かつ水温が下がる』という条件が、真珠の層を形成するのに適していたのだ。その環境とお里の知識が役に立った。
さーて、いくらになるか?
■長崎 <次郎>
「次郎様、また何か新しい商品でも作ったのですか?」
「へえ~、それはそれは。一枚噛ませてくださいな」
俺が長崎のお慶ちゃんのところに売り込みにいったら、偶然いた小曽根屋六左衛門さんも、便乗しようと言ってきた。
「目ざといな~。二人とも本業より儲かったんじゃない? 石けん」
俺がニヤリと笑って返すと、二人とも、それはお互い様だといわんばかりに笑い出した。
「実はね、これなんだよ」
俺は包んで持っていた養殖真珠を何粒か見せた。それも大粒で、今で言うピンクホワイトで光沢があるものだ。
おそらくは最高級品だ。まじで最高~。
「これは……真珠ではありませぬか! しかもつぶが大きい。この輝きは、かなりの上物ですな」
「そうですね。ただ、大村藩の真珠は、ここ数年唐通詞の林道栄様が買い取っていると聞き及んでいます。確か……その時の値が……三百六十匁(1,350g)で銀二貫三百五十匁(36両・1文30円計算で702万)ほどだったとか」
貿易を主としている小曽根屋の六左衛門さんが驚きの声をあげると、お慶ちゃんが的確に続けた。
正直なところ、1文30円で計算しているのだが、ざっくりのざっくり、平均だ。
物価や価値観や供給量が現代とは違うから、米基準だったり人件費基準や日用品基準でかなりの開きがある。
「よくご存じですね。確かにそうです。唐通詞ですから清国への脇荷であったと思いますが、|和蘭《オランダ》へはどうか存じませぬ。また、日本で売れるかどうか……」
「「間違いなく売れます」」
二人の言葉に俺はニヤリと笑った。
「されど、道栄様が買われたのは大小様々な真珠で、すべてあわせてその量と値だと聞き及んでおります。それに真珠はそう簡単に採れるものでもございますまい? ましてやこのような大粒で上物ばかりとはいかぬかと」
六左衛門さんの不安をよそに、俺は答えた。天然の真珠は1,000個に一つ位の確率らしい。
持っていた箱から数種類の真珠を見せたのだ。
「これを、それぞれ同じ程度(三百六十匁・1,350g)ご用意できます」
「「なんと」」
「次郎様、あなた様は、なんと……そのような事ができるのですか」
「信じられませぬ」
二人とも驚きを隠せない。
「できます。で、いかほどでしょうか?」
「これほどの品ならば一粒で銀二十八匁(1文@30円で93,240円)にはなるでしょう。同じ分量ならば……三百六十匁で四百六十一両となりまする」
おおおおお! 狂喜乱舞した。
実際にどの程度売れるかは、売ってみないとわからない。そして耐久品である。石けんなどにくらべて、総売り上げや利益は少ないだろう。
富裕層、もしくは結婚などのめでたい時に売れるだろうから、利益の柱にはなる。
俺は最高級の物から甲乙丙丁戊の5段階に分け、重さによって1番重い物を同じように甲として、甲-甲、甲-乙として分類したのだ。
そして長崎からの帰り道、笑いが止まらなかった。
しかし後で、俺は真珠はいかに養殖とは言え、1~3年に1回しか採れない事を思い出したのであった。
次回 第58話 『精錬方より火術方分離、専門分野に特化する』
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