天正元年(1572)九月二日 甲斐 躑躅ヶ崎館
「わしは、其方達あっての武田じゃと思うておる」
武田家第十七代当主で、甲斐源氏二十代目である武田勝頼は、重臣を前にそう言った。
馬場美濃守(信房)に山県三郎兵衛尉(昌景)、高坂弾正(昌信)や内藤昌豊(修理亮)などの四天王をはじめ、秋山伯耆守(虎繁・信友)を含む重臣らである。
傍らには武藤喜兵衛と曽根虎盛がいる。
「昨年小佐々と結び、織田徳川との和睦もあいなった。五万貫の借銭とはなったものの、領内の治においては川や湊をしつらえ、海山川の産物と新たな金山(各種鉱山) を探り当てようとしておる」
全員が勝頼を見ている。
「人は城、人は石垣。父信玄の教えは変っておらぬ。甲斐は貧しく、そのため信濃を取った。それでも足らぬゆえ軍を繰り返し、駿河遠江、そして三河へと進んだのじゃ。これも間違ってはおらぬ。されどいつかは取り難くなり、取れぬ時がやってこよう」
……。
「そうなった時に、他国に攻められ踏みにじられる事のなきよう、国を強くするのだ」
やがて宿老の馬場信房が口を開いた。
「御屋形様、われら領内を治むる事、下知に従い粛々と進めております。いささかの疑いも存念もございませぬ。然れど三年の後、いや、有り様によっては早まるかもしれませぬが、そうなった時、つぎはどこと軍になりましょうや?」
「ふむ」
勝頼はチラリと武藤喜兵衛、曽根虎盛の二人を見た。
「今、わが武田は小佐々と盟約を結び、織田徳川とは和睦をして、言うなれば小佐々大盟約の一翼を担っておる……」
その時、ふっ……っと失笑が起きた……ような気がした。誰もその事を指摘する者はいなかったが、勝頼はその失笑さえも自らの不徳と抑えこんだのだ。
なにかしら、家臣団の中で不満がでているのか?
家臣の顔色をうかがってばかりでは統治はできないが、然りとて無視もできまい、後で喜兵衛らと協議しよう。
そう勝頼は考えた。
「まず、二年後にこの大盟約を抜けて軍をしかけることは、ない。よほど小佐々の治が瓦解し、織田との盟約が雲散霧消となれば考えねばならぬが、今は考えられぬ。ゆえにもし、わが武田の所領を拡げるならば、東もしくは北となろう」
満座がざわついた。
「そは、上杉や北条と軍をする、という事にございましょうや?」
「そうなるであろうが、そはもしもの話じゃ。なんの大儀も名分もなく軍などできぬ。然りとて、備えは要るであろう」
家臣達の目に輝きが宿る。
軍、という言葉を聞いて、自らの居場所を再び見つけたかのようである。
人を殺すのが好きとか嫌いという概念ではなく、自らの存在意義、家を保ち大きくするための手段としての軍である。
その状況に安心し、同時に不安も覚える勝頼であったが、すべての家臣の要望を叶える事などできるはずがない。
「上杉は、先の小佐々との軍に負け、越中を失った。越後においても下越で蘆名や伊達に虚を突かれ、揚北衆はもはや謙信公に今までのようには従わぬであろう」
「ならば……」
高坂弾正が発言しようとしたが、馬場信房が止めた。
「然りとて、その弱きをついて攻め入るは軍の定石なれど大儀なし、と?」
「左様。謙信公とは三月に手切れをいたし、権中納言様の意に沿うよう、荷留をいたした。おそらく上杉に討ち入るなら、今が最もよき機とは考える。考えるが……未だ三年は経ってはおらぬ」
「難しいところではありますな。大儀はつくればよろしいが、領内の治に努めよとの先代の御意趣もありまする」
信玄は病気と銃創の治療のため隠居療養中である。命に別状がないまで回復はしたものの、一切を勝頼に任せ、事後報告のみ聞いている。
「謙信公は荷留をされたゆえ、われらに討ち入る大儀はあれど、力がございませぬ。下越がすべて従ったとして、以前のような勢いはございますまい。北の脅威はないゆえ、攻め入る要はなしかと存じます」
信房の発言に反応するように、喜兵衛(真田昌幸)が発言した。曽根虎盛もうなずいている。
「ひとつ、よろしいか」
あえてそのまま発言せず、許可を申し出たのは四天王のひとり、山県昌景である。
「御屋形様。失礼、先代の屋形が仰せの三年は治に努めよという言葉を、よくよく考えてみたのです。然れどそれは、上杉と小佐々が争う前のこと。織田徳川と小佐々の威を踏まえ、背後に上杉と北条があったゆえ、うかつに外に討ち入らず(攻め込まない)、力を蓄えよと仰せでございました」
昌景は勝頼に話し、全員に語りかけるように目を向けた。
「しかるに今、上杉はかような有り様にござる。今討ち入らずして、いつ討ち入るのでございますか?」
状況がかわり、上杉の脅威はもはやなくなったため、今が好機だというのだ。
「……ふむ。三郎兵衛の言やよし」
昌景を含め、古参の重臣達は一瞬わずかに色めきだった。武藤喜兵衛と曽根虎盛は黙っている。
「然れど、然れどなにゆえ、権中納言様が謙信公と争うのか? なにゆえ我らと盟を結び、織田徳川との間を扱うた(調停した)のか? それを考えれば上杉に今討ち入るなどできぬ」
この言葉に昌景は聞き返した。四天王の他の三人も同じ気持ちであったろう。
「そは何故にござろうか?」
「まずはじめに、小佐々は上杉と境を接していなかった。ゆえに争う由もない。されど織田とは盟を結んでおるゆえ、謙信公が越中を抑え能登を降し、加賀まで討ち入れば、いずれは織田とともに争う事となったであろう」
勝頼の言葉を全員が黙って聞いている。
「そうなれば潜んでいた反織田の勢も息を吹き返し、反旗を翻すであろう。これは小佐々にとってもよろしくはない。逆に、織田がこのまま北上し、加賀越中を抑えるとなったならばいかがする?」
「上杉との軍は必定となりましたでしょうな」
馬場信房が答えた。
「うむ。そうして軍をすれば、一度や二度は謙信公が勝つやもしれぬ。然れど此度のように、いずれは負ける筋もあった。小荷駄の事もあるし長軍は能わぬ。織田は雇いの兵が多いゆえ、刻を気にせず軍が能う。加えて、我らと織田は和睦をしたゆえ、織田はそこにしか活路を見いだせぬであろうから、必ずや軍となった」
「すなわち?」
「織田が越後を統べるとなると、力のつりあいが崩れるのだ。それすなわち、権中納言様がもっとも望まぬ事である」
満座の中には頭をひねるものもいれば、じっと勝頼を見ている者もいる。様々だ。
「考えてもみよ。何故、権中納言様はわれらと盟を結んだのだ? 小佐々になんの利があるのだ?」
「……遠交近攻、にござるか?」
曽根虎盛が発言した。喜兵衛はニヤリとしている。
「その通り。わしは考えたのじゃ。直に利はなくとも、我らと結ぶ事で、織田が東へ威を延ばす事を封じたのではないか? とな」
「なんと、それでは権中納言様はわれらと手を結ぶことで、織田の勢いを削ごうとしたのでしょうか?」
信房の質問に勝頼は答えた。
「つぶさには違う。削ぐというより、織田と武田、そして上杉と北条の四者が釣り合ってこそ、という事であろう。図らずも軍となってしまい、上杉の勢いが弱まったが、そこに我らが討ち入り勢いを増せば、中納言様の意に反し、われらが邪魔になるやもしれぬ」
「然れどそれでは、いちいち小佐々の顔色をうかがわねば、何も出来ぬ事になりませぬか? われらは盟を結んだとはいえ、服属した訳ではございませぬぞ」
そのとおりだという声があがるが、勝頼は然にあらず、と遮った。
「ゆえに誰もが得心いたす、特に中納言様が得心いたす名分が要るのだ。今はない。それよりも北条よ」
「北条? ……にございますか?」
「虎盛よ、話すが良い」
「はは」
曽根虎盛は北条陣営の近況について話しだした。
「南蛮人じゃと?」
南蛮人とはなんぞや?
という者が多い中、相模国へ畿内から南蛮人が向かっていた事を虎盛は説明し、また最近は、別の南蛮人を相模の三崎城周辺で見かけたと報告したのだ。
「南蛮と言えば西国であるが、この知らせを受けた時はわしも驚いた。これは織田、いや……中納言様へ確かめねばと思ったのじゃ。もし南蛮人が北条と接し、商をしているとなれば、北条の勢が強まるやもしれぬとな」
しいん、と静まった中、勝頼は締めくくった。
「虎盛、中納言様に確かめてまいれ。皆の者、よいか。上杉には、話したように今は討ち入らぬ。それよりも北条をつぶさに調べ、より一層力を蓄える事が肝要じゃ。よいな」
「「「ははっ」」」
小佐々との盟約と支援により将来は明るかったが、勝頼は北条の不気味な動きによって、暗雲が立ちこめる可能性を示唆したのである。
次回 第581話 織田信長&徳川家康&浅井長政の野望(長くなったら分割します)
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