天保十四年閏九月十三日(1843/11/4) <次郎左衛門>
前から考えていて、実行に移した事がある。
信之介の負担を軽くすることだ。
現代でも言える事だけど、なんでも自分でやろうとするとパンクする。部下に任せて指導管理する方が労力も少なくて済むからね。
任せられないから(最初は部下もできないから)イライラするという人もいると思うけど、業務の量が増えてくると、いくら天才でも物量には適わない。
それに名プレイヤーが名マネージャーだとは限らないというのは、営業や経営、スポーツの世界でもある程度認知されている事実だ。
信之介は精煉方の総責任者なんだが、負担が多すぎる。いわゆる理化学研究所の所長だ。所長はもちろん研究もするだろうけど、管理とかがメインになるのかな?
だから、火術方をつくって、責任者を昭三郎にする。
これは銃火器専門ね。このラインは以前からある程度は完成させていた。そしてもう一つは、高炉と反射炉を使った大砲鋳造だ。
これを大砲鋳造方と命名分離して、それぞれに責任者を設ける。昭三郎は軍事専門だから、造った大砲は昭三郎の管理下になる。
それから……うーん、なんか、パッとしないなあ。
……。
……。
……!
そうだ! 大坂に行こう!
なんで大坂かって? からくり儀右衛門だよ!
■江戸
この年のこの月、江戸では大きな人事異動があった。
八日に老中で開国論者の堀田正睦が罷免(辞任受理)され、十一日に同じく阿部正弘が老中となって、さらに十三日には水野忠邦が罷免されたのだ。
水野忠邦の天保の改革が失敗した原因は、厳しい倹約令や上知令で民衆はもとより諸大名の反感をかった事である。
かえって幕府の求心力を失わせてしまったのだ。
水野忠邦の腹心であった鳥居耀蔵は裏切って命脈を保つが、何事もやりすぎは禁物だという事の表れだろう。
そして高野長英の恩赦が、翌年の天保十五年(弘化元年)に第11代将軍徳川家斉の3回忌をもって行われる事が決定した。
恩赦の予定日は翌年、弘化元年(1844)の一月十日である。
高島秋帆は10年の幽閉がなくなり、高野長英は赦免される。佐久間象山や江川英龍ら幕末の巨人との出会いが、時代をどう変えるのであろうか。
■玖島城下
次郎は頭を抱えていた。
捕鯨船の建造、乗組員の教育、高炉と反射炉の建造と維持、大砲鋳造のための鉄……。
江戸での赦免活動費、蒸気機関と電気の研究開発費等々……。
金がいくらあっても足りないのだ。
高炉と反射炉には4双8基で64,000両が必要だった。
しかし技師と商人に見積もらせたところ、メンテナンスの内容や期間、そして破損の度合いにもよるが、定期的な補修が必要だという。
錫・銅・銑・鉄・木材・レンガ等の資材費と人件費をあわせると、1回の補修に約9,058両が必要だとわかった。
ほぼ1万両である。しかし、必要になってからそろえるのでは遅い。
常にキープしておかなければならないお金なのだ。
36lbカノン砲を鋳造するのに鉄(銑鉄)が4,500kg必要なら、砂鉄は同量だが鉄鉱石なら7,200kgが必要になる。コークスは3,790kg必要だから、石炭は5,685kg程度必要となる。
あわせて石灰石が1,350kg必要だ。
石灰石と石炭(コークス)は領内で賄えるとしても、やはり問題は鉄である。鉄鉱石の採掘場所として候補にあがっていた萱瀬村・波佐見村・大串・戸根は鉱脈が発見された。
埋蔵量については予測が……ついたものの、実際に採掘してみなければわからない。ただしこれは採算度外視でやらなければならないし、埋蔵量が少なければ、時間もかかるだろう。
石炭と鉄、そして石灰石は人件費と設備投資費だ。
これは青天井でいくら必要なのかもわからない。明治6年に官営から払い下げされた時点で、三池炭鉱には75万円(約75万両・明治4年の1円=1両計算)の設備投資がされていた(明治政府による6年間)。
75万両……。
75万両……。
石炭で×1、鉄鉱石で×1、石灰石で×1……いったいいくらかかるんだろうか? しかし明治時代は近代化された洋式の設備を大々的に導入しているからこの費用なんだろう。
人力でいくらかかるか?
しかし石炭は燃料としても使えるし、加工してガス燃料(未開発)や暖房燃料(練炭・豆炭・炭団他)にもなる。
石灰石も建築材料や化学実験、そして石けん製造にも利用できる。
この分野で採算が取れたら、採掘事業の費用にあてられるだろう。しかし、タラレバでしかない。
ひとまず砂鉄は石見から買う事となった。芸州鉄でもいい。しかし安かろう悪かろうでは意味がない。幸いにして値段はあまり変わらないようだ。
単価が12貫2束で銀150匁なので、90kgで銀300匁(1匁=3.75g)となる。
計算すると4,500kgで銀15,000匁となって230両必要だ。鉄だけで考えると全体的に比べて安いように感じるが、火薬もいるし砲弾も作らなければならない。
ああ……そうだ。弾も鉄だ。
軍需物資というのは、金にならないが金がかかる。
続いて捕鯨船だが、木材の量=トン数で考えると65トンの船1隻でヒノキなら334両、杉なら140両必要だ。半分として237両。10隻つくるなら2,370両。
しかしこれは一頭捕れれば1,000両だ。
潤う。
今後大型化して隻数を増やすとしても、捕獲量を考えれば十分に元がとれるだろう。しばらくは乗組員の習熟も兼ねないといけないので、10隻体制で十分だろう。
今のところ大村藩の新規歳入は、椎茸と石けんの販売で13万3,562両。だがそのほとんどは、建造費と研究開発費、そしてロビー活動に費やされたのだった。
次回 第59話 『脚気の治療と可愛いハーフのお医者さん(のタマゴ)』(1844/1/31)
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