天正六年十二月二日(1578/1/9) マニラ 小佐々軍駐屯地
「……さて、こたびの作戦目標であるが、皆も知ってのとおり、明とイスパニアの同盟が明確になった以上、機先を制してこのアジアからイスパニア勢力を駆逐する事にある」
海図を前に、全員が純正の言葉を固唾を呑んで聞いている。信長と九鬼嘉隆は、小佐々軍の軍用の専門用語で理解しにくいものはあったが、その都度確認した。
「そこでそれを完遂するために、いくつかの方法が考えられるが、皆の意見を聞きたい」
そう言って純正は考えてあった三つの案を提示した。いずれもフィリピン海域におけるスペイン勢力の殲滅が目的である。
1.各要塞を封鎖し、兵糧攻めで降伏を迫り、武装を放棄させる。
2.建設中も含め、各要塞を各個撃破し、サン・ペドロ要塞を孤立化させ、その後に無力化する。
3.総力をもってサン・ペドロ要塞を陥落させ、余勢をかって各要塞を撃破していく。
「さて、まずは陸軍、宗右衛門少将、いかがか」
「は。申し上げます。第三のサン・ペドロ要塞総攻撃は、こちらも被害が多くなりましょう。守備兵は対岸のマクタン島と同じく最も多く、千名おります。さらに城壁と火砲の備えがあるならば、我が陸軍の全兵力をもってしても、難しいかと存じます」
「うむ」
「海軍の総力をもって艦砲射撃を行うも、陸側の砲台へ損害を与えることは難しく、さらにセブ島とマクタン島との海峡入り口にあるシェル・アグアント・ラバの三つの島には台場もあり、艦艇の航行を阻んでおります」
「では初手にてサン・ペドロ要塞を総攻めするは、愚策であると?」
「は。まずは各島を個別に総力をあげて殲滅し、順に陥落させた後、最後にサン・ペドロ要塞へ向かうのが上策かと存じます」
「うむ」
確かに敵の本拠地を一気に叩くという作戦は、成功すれば早期に戦闘を終結させるかもしれない。しかし、一見理に適っているようにも見えるが、危険も大きいのだ。
「では一つ目の、各要塞を包囲し、兵糧攻めにするという策はいかがじゃ」
「は。能うかとは存じますが、なにぶんイスパニアの後詰めや、明の動きも気になりまする。わが方の失を考えるのであれば良策かと存じますが、離れた島々の事ゆえ、海軍の考えもお聞きしませんと……」
「確かにそうじゃ。勝行、いかがじゃ?」
スペインの海上戦力に関しては、確認がとれているのが3隻で、セブ島とマカオの間の通商護衛の任についている。ちょうどマカオに向かっている途中を狙うのがいいだろう。
「それがしも……おおむね宗右衛門少将の考えと同じにござる」
勝行は宗右衛門を、階級は下であるが陸軍という事と、年上という事を加味して階級をつけて呼んだ。
「敵の部隊が配されているのはセブ・レイテ・ネグロス・ボホールの四島と、セブとボホール間のネグロスの島々のうち三つ。そしてマクタンとセブの入り口の台場にござる」
勝行は海図を指さし、赤の木片をそれぞれに並べる。
「その他の島々も、呂宋島の南は敵の勢力下であると考えたほうがいい。ならば陸軍のセブ島への輸送に関しましては、現地住民の状況を考えなければなりますまい」
ルソン島でもタアル湖より南は小佐々の勢力圏外である。つまり、南下する際に原住民に見つかってしまえば、通報される、もしくは抵抗を受ける可能性があるのだ。
セブ島攻略の前に無駄な戦力の消費は避けたいところである。
「恐らくは少将も考えていたでしょうが、マニラの守備も考えると全兵力とはいきますまい。既存の守備隊を残し、二個旅団がいいところでしょう」
宗右衛門が小さくうなずく。
「となれば、まずは調略にござろう。バランガイ(バンカボート)に乗せて、密かに兵を移動させる事も能わぬではないが、時がかかりすぎる。原住民がこちらの調略に乗れば良し、乗らねば……和議が成らぬ前提ならば、時をかけてでも兵を移し、臨まねばならぬでしょう」
調略ができたなら堂々と移動し、できないなら危険を冒して時間をかけてでも、セブ島に移動してから和議(見せかけ)に臨むのがベストだと言いたいのだ。
要塞の背後には、即応できる陸軍がいなければならないのだ。それでも、要塞兵にバレる危険はある。
「島々の原住民の有り様はいかに? 調略能うか?」
純正は出席していた情報省の担当者に確認する。
「は。各島にて差はあれど、能うかと」
小佐々家に服属を願い出た部族と、そうでない部族とで明暗が分かれていたのだ。
ある島では首長とその家族や側近がスペインの支配による甘い汁を吸い、ある島では原住民とともに苦汁をなめていた。
「ふむ。いかがじゃ、勝行」
「は。それならば調略を行いて隠密裏にセブ島へ兵を移し、和議を物別れにした後に、一揆を起こさせましょう。マニラの首長らの噂は聞いておるでしょうから、障りなく信ずるかと存じます」
「ふむ」
「しかして海軍は、決められた日を以て、まずは備えの整っておらぬネグロス・レイテ・ボホールの要塞を無力化いたしましょう。その後……」
「オランゴ・バナコンの島をおとし、しかして台場に掛りてマクタン島を平定した後、サン・ペドロ要塞に総攻めを行う、と?」
勝行の言を待たずに純正は結論を言った。
「仰せの通りにございます」
「ふふ、お主、謀は好まぬと思うておったがの」
勝行は苦笑いをする。
「それは戦以外での事、人を謀るのは好みませぬが、こと戦の兵法においては詭道にござりて、なんら憚ることではございませぬ」
「さようか!」
わははははは! と万座が笑いに包まれる。二人の間柄を誰もが知っているからこその笑いである。
信長はそんな経緯をしらないので若干不思議ではあったが、このような軍議の場でも、君臣が分け隔てなく意見を言い合うことが、小佐々の躍進の源なのかもしれないと感じた。
「して、わが艦隊はいかがいたそう?」
信長の当然の質問である。
しかし、正直なところ援軍として呼んだものの、織田海軍の単独行動はすなわち、遭難に等しい。
熱帯という環境はもちろん、言葉も通じない異国の地で、しかも今の場所を知るすべがないのだから。
織田艦隊は小佐々第四艦隊の後をついてマニラまで来たのだが、当然純正はそれを予測していた。航海科員と海図、器具一式を貸し出したのだ。
旗艦に航海科員を派遣し、共通の海図をもって作戦に臨めば、少なくとも足手まといにはならない。
「いかがいたすのじゃ?」
「……」
「遊撃隊、ではいかに?」
次回 第638話 『調略、そして調略』
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