第663話 『日ノ本大同盟の今』織田と徳川と浅井(1579/2/12)

 天正八年一月十七日(1579/2/12)

『日ノ本大同盟』

 純正が天正元年に提唱し、小佐々・織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見の七家で結成した合議同盟の事である。

 経済・技術の交流はあるが、主な目的は各国の軍事行動の可否を決定する事と、軍事行動によって得た全ての利益は合議によって分配を決定する事である。

 純正は客観的に見て、経済的・軍事的、また総合的な国力で判断しても、小佐々に攻めてくる大名はいないと判断した上で提唱したのだ。
 
 戦をなくし、協議の上で日本を治めていこうという考えである。




 ■岐阜城
 
「殿、半年前のイスパニアとの勝ち戦の後、約束通り税を含めた優遇はされておりますが、今後小佐々家といかに向き合っていかれるのですか?」
 
 光秀の問いかけに、信長は一瞬目を閉じて考え込む。
 
 正直なところ万事休すなのだ。戦う事は論外としても、やがて五年後がくる。遅かれ早かれ経済的な属国になる可能性が多分にある。
 
「小佐々家とは、今まで通り友好を保ちつつ、内に力を蓄えるのみだ。真っ向勝負は負けが見えておる」
 
「仰せの通りでございます。されどこの日ノ本に小佐々家にかなう大名はおりますまい。我ら織田家も、そう遠くない将来、小佐々家の影に飲み込まれてしまうのではないかと危惧しております」
 
 秀吉の言葉に、信長は鋭い目を向ける。
 
「わが織田が、み込まれるか……」
 
はばかりながら申し上げますと、このままでは織田家の未来が見えぬのです」
 
「相変わらず正直に物を申すな。ならば、我らも変わらねばならぬ。小佐々家に対抗するには、小佐々家以上の力を蓄えねばならぬ。外交も、経済も軍事も、全てにおいてだ」
 
「殿、それは……」
 
「わかっておる。易しい事ではない。生半可な事では能わぬであろう。そのためには、臥薪嘗胆がしんしょうたんの日々を何年も続けねばならぬやもしれぬ。わしの治世では為せぬやもな」

「「殿!」」
 
「案ずるな」

 信長は高らかに笑った。

「光秀」

「は」

「勘九郎を肥前にやってから、留学は途絶えておったろう?」

「は」

「小佐々家中の反対もあろうが、再び送れるように交渉せよ。毎年毎年、何十人何百人と送るのだ」

「猿、戻ってきた九名がおったであろう。六年前から進めておった学校の建設を領内全域に広げるのだ。小佐々の大学と同じような制度にし、藩校を高校にせよ。そしてこの岐阜城下より小学、中学を設けるのだ。講師は岐阜大学で学んだ者が何十人とおろう。その者らに教えさせるのだ。よいか」

「はは」

「すぐには無理であろうが、殖産や小佐々の商人とも粘り強く交渉を続けよ」

「はは」

 織田海軍の増強や兵器の開発に大学生や卒業生は多少なりとも関わっていたが、経済・軍事の各方面にこれまで以上に力を入れていく考えのようである。




 ■浜松城
 
「殿、先の合議所での会談で、小佐々家との関係について何か話し合われたようですが、いかがでございましたか?」
 
 本多忠勝の問いかけに、徳川家康は思慮深げな表情を浮かべる。
 
「うむ、数正と忠成から知らせを受けたが、如何いかんともし難い。小佐々家の力は誰もが知るところにて、合議大同盟とはいえ、真綿で首を絞めるように、服属しなければ銭の力で呑み込まれてしまおうぞ」

 表立ってではない。純正の意図が働こうが働くまいが、商人達は自分達のやりたいように商い、値を決め、売買するのだ。逆に純正が他の家中からの要請によって、自重を願うよう商人に呼びかけているくらいである。

 そうなる事を見越してやっているのかどうか? それは誰にもわからない。
 
「然に候(そうです)。このままでは徳川家の先は小佐々家の意のままとなりかねません」
 
 酒井忠次の言葉に、家康は深くうなずく。しかしどうする? 手立てはあるのか?
 
「その通りだ。されど今の徳川にその力はない。武田との争いも、国人の離反から国を奪われたままじゃ。北遠江は返ってきたが、奥三河は今後も厳しいであろう」
 
「ご明察でございます。ただ、そのためには我ら徳川家も変わらねばなりません」
 
 本多正信が進言する。
 
「うむ、中将殿も同じ事を考えておるようだ。織田家は再び留学生を小佐々家に送り、教育を充実させるとのこと」
 
「なるほど、教育を通じて小佐々家の知識を吸収し、内に力を蓄えると」
 
「その通りだ。我ら徳川家も負けてはおれぬ。藤右衛門(青山忠成)、ただちに交渉に入るのだ」

「はは」

「ここは中将殿と歩みを揃えねばならぬ。わしが書状を書く故、いかに小佐々に処するおつもりか、今一度確かめる」

 織田家をはじめ徳川と浅井は、同じように留学の制限を受けていたのだ。武田も同じように制限を受けていたが、人数制限のみであり、畠山は一番小国がゆえに制限の枠外であった。

 里見はそもそも留学生を送っていない。




 ■小谷城

「兄上、なにかお考えのようですね」

 弟であり長政の参謀である浅井政元が問いかける。

「いや、何事につけても小佐々の威を感じぬ事はないと思うてな。されど我らは、決して臣下ではない。浅井家は北近江に若狭、丹後、丹波北部、加えて敦賀まで治めておる。大同盟の中では中堅じゃ」

「兄上の仰せの通りにございます。されど、小佐々家の勢いは留まるところを知りません。いつ我らにも圧力をかけてくるやもしれません」

「いつ、ではない。すでに何年も前から少しずつ受けておるのだ。義兄上と内府殿は盟友ゆえ、それに従ってわれらも盟を結び、大同盟にも加わった」

「は」

「されど小佐々の新しき文物、質も良く値も安いものが入れば、民は喜ぶ。されど苦しむ者もおる」

 長政は小佐々家との経済摩擦の事を言っているのだ。

「いかがいたしましょう」

 政元は真剣な眼差しで兄、長政を見る。

「もはや、遅きに失したやもしれんが、我らは独自の道を歩まねばならない。小佐々家に依るのではなく、一力(独力)で立つ道を探すのだ」

「何かお考えがあるのでしょうか?」

 そうは言っても、具体的な策がなければ始まらない。経済的な自立など、絵に描いた餅になるのだ。

「まずは、我らの強みを生かすことだ。小浜や敦賀の港湾・海運の生業、丹波の豆や丹後の海産物など、これらの生業をさらに栄えさせ、例えば同じ干物でも丹後産の物は味が違うなど、小佐々産の物との違いを明らかにして売りにだすのだ」

「なるほど。同じ物で戦えば負けるが、違いを生み出すという事にございますな」

「左様。それから政元よ、小佐々に交渉し、中断させられておった留学生を再び送れるようにするのだ。学は世を変えるゆえな」

「は」

 浅井家でも、なんとか小佐々との経済格差を縮めようとの模索が始まった。




 次回 第664話 (仮)『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見

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