天正九年六月二十七日(1580/8/7)
「内大臣である」
純正の前に三人の使者が、時を同じくして訪れていた。もちろんまったくの同時ではない。
渡島国(北海道・渡島半島)の蠣崎若狭守季広、陸奥西部の大浦(津軽)右京亮為信、羽後の安東中務侍従愛季のそれぞれの使者である。
蠣崎季広は、純正が行った知内、瀬田内以北の開拓とアイヌとの直接交易によって大打撃を受け、交易所にやってくる商人もいなくなる状況だったのだ。
季広は新たな市場の開拓や独自ブランドの確立、物流と流通の改善や経済の多角化を模索した。
しかし蠣崎氏を通さずにアイヌの商品が大量に市場に出回る、という状況が変わるわけもなく、ここに服属に近い願い出をする他なくなってきたのだ。
随分と頑張ったな、と純正は思った。
大浦為信も同様である。それまで津軽海峡を挟んだ蝦夷地と津軽半島・下北半島の間では交流が盛んに行われ、特に津軽半島北西部の十三湊は交易拠点として栄えていたのだ。
しかし、純正の北海道開拓によって一変した。蠣崎氏と同様である。
アイヌにしても、蠣崎氏が(売れないから)買わないので交易が成立しない。別に蠣崎氏や大浦氏の交易権が公式に不可侵であったわけでもなく、純正に抗議しようにも、その論点がずれていたのだ。
自由に交易を行って何が悪い?
しかも交易相手は、蠣崎氏が相手にしていたシリウチ(現上磯郡知内町)一帯に居住するアイヌの首長チコモタインと、セタナイ(現久遠郡せたな町)一帯に居住する首長ハシタインではない。
同じ商品を供給する第三者だ。純正にしてみれば、文句を言われる筋合いはない。
羽後の安東愛季に関して言えば、蠣崎氏を支配していた、と言えばそれが全てを物語る。年代とともにその影響力は低下するが、安東氏もまた、純正のアイヌ交易により大打撃を被っていたのだ。
経済的基盤を失う事は死に等しい。それを得んがために他領に侵攻しては勢力を拡大するのだ。そのための軍資金も捻出できず、八方塞がりで純正に使者を遣わしたと言う事になる。
純正は驚いた。
というより、大日本国政府(大同盟)構想を打ち立ててはいたが、それ以前から北条や奥州の諸大名に大同盟への加盟を打診していたのだ。てっきり加盟の申し出かと思ったら、服属であった。
日ノ本大同盟への加盟打診は以前から行っていたが、好感触ではあった。しかし各々が独立独歩を目指しており、遠く離れた中央での事である。
アイヌ交易もなんとか凌いでいたのだ。
松前、大浦、安東の三家はいま一歩踏み出せず、機を逸したと思ったのだろう。
上杉が敗れたのは数年前だが、さらに北条も敗れたと聞き、遅れて加入するよりは、という事で服属を申し出てきたようだ。
それに、大日本国政府の樹立は発議したものの、まだ正式に決議されていなかったのだ。断る理由はない。政府だろうが肥前国だろうが、結局は松前、大浦、安東の三家にする事は同じである。
こうして松前、大浦、安東の三家は肥前国に服属し、奥州の他の大名と北条に関しては、政府の行政下に入るか敵対するか、という選択を迫られる事となる。
ちなみに肥前国は小佐々家が治める領域であり、連邦国家の州のようなものである。織田家が美濃国、徳川家が三遠国、浅井家が若狭国、房総国や能登国と呼ぶようなイメージだ。
■小田原城
「ほう……。上洛せずともよい、とな。江雪斎、如何考える?」
氏政は純正からの返書を読んで拍子抜けだった事もあるが、なにか裏があるのではないかと考えたのだ。
「されば、まずは喜ばしき事かと存じます。これを機に盛んに文のやり取りを行い、内府様と誼を通わすのも一手かと存じます」
「わしが聞いているのは左様な事ではない。純正の意図が見えぬのだ。われらは図らずとも戦を行ったのだ。それが相手から何の求めもなく、上洛をせよと命じたかと思えば、せずとも良いなど、人を喰っておるとは思わぬか」
氏政は少し苛ついているように見えた。しばらくして江雪斎が慎重に口を開いた。
「仰せの通り、意図が見えぬというのはそれがしも同じにございます。されど内府様が策を用いていると考えるならば、こたびの上洛を免ずというのは、我らの信を試しているのでしょう。我らがいかに動くかを見定めているのです」
「ふむ……。お主もそう思うか。されどその意図がいずれにしても、如何に動くか。敵意ありと見られれば再び戦となるし、下手に従えば服属の憂き目をみる……」
氏政は縁側に立ち空を見上げ、深く思案した。静寂がしばらく続いた後、再び口を開いた。
「我らは構えて(慎重に)動かねばならぬ。まずは報せを集め、純正の周りで何が起こり、何をしようとしておるのか。江雪斎、風魔衆のすべてを用いて調べ上げるのだ。一見何の関わりもないように見えても、すべて報せよ。その是非はわしが決める」
「はは。直ちに手配いたします」
江雪斎は深く頭を下げ、部屋を出て行った。氏政は再び空を見上げ、思案にふけった。
■大使館
「次の使者を入れよ」
純正の指示に従い、扉が開かれては新たな使者が部屋に入ってきた。
「それがし、佐竹常陸介様が郎党、岡本禅哲にございます。こたび我が殿は内大臣様へ誼を通わしたいと仰せになり、名代として罷り越しましてございます」
禅哲が平伏し口上を述べると純正は微笑を浮かべる。
「内大臣である。面をあげよ」
禅哲が来る前に、宇都宮国綱の使者も来ていた。両家が抱える問題と条件は同じである。
これも奥州の三家と同じく、服属の申し出であった。そして純正の大日本政府構想を知った上での来訪である。おそらく、純正は近いうちに北条を攻めるだろう、そういう打算があっての申し出であった。
北条と佐竹・宇都宮・里見連合軍が戦った際、純正が仲介に入って和睦となった。放っておけば佐竹も宇都宮も消えていたのではないか? というくらいの劣勢を、純正のお陰で助かったのだ。
しかし、その和睦を破り、北条領(旧自領)に攻めいった。
つまり、現段階で純正の心証は悪かろうとの判断で、加入ではなく服属を申し出たのだ。そして大日本政府構想のもと北条を攻めた際には、旧領の回復を意図していた。
純正にとって佐竹や宇都宮は、すでに歯牙にもかけない存在ではあったが、服属すると言うのなら断る理由もない。
しかし、要望に対しては善処する(けど確約はしない)、とだけ答えた。
純正の日ノ本大同盟から大日本政府の構想への移行に際して、関東と奥州の大名で明暗が分かれ始めた。
次回680話 (仮)『紡績機の改良・発明。人類、空へ』

コメント