第722話 『フェリペ二世の焦りと欧州情勢』

 天正十三年十一月十四日(1584/12/15) スペイン マドリード王宮

 スペイン王フェリペ二世は苛立ちの極致であった。

 6年前、1578年6月にヌエバエスパーニャ副王の艦隊が壊滅して以降、副王の更迭ならびに内政の拡充を行ってきた。海軍の再建を行い、再びフィリピーナ諸島の攻略へ向けて軍備を進めるはずだったのだ。

 しかし、そう上手くはいかない。

 重々しくため息をつき、マドリードの王宮の窓から外を見つめる。夕暮れの空が赤く染まり、それはまるで北方で燃え広がる反乱の炎を思わせた。

「陛下、ネーデルラントからの最新の報告です」

 側近が慎重に声をかけた。フェリペは振り返ることなく、僅かにうなずいただけだった。

「読め」

 側近はせき払いをしたあと、文書を開いた。

「南部諸州が、再び北部と合流し、反乱軍の勢力が急速に拡大しております」

「何だと?」

 フェリペが声を荒らげた。

「せっかく分断させたというのに、また一つになったというのか」

 側近は身を縮めながら続けた。

「はい。南部の主要都市でも反乱の機運が高まっており、我が軍の統制が及ばなくなっています。2年前に北部7州でネーデルランド連邦共和国を樹立しておりますが、そのまま加盟すると思われます」

 フェリペはゆっくりと机に向かい、広げられた地図を見つめた。ネーデルラント全域が今や赤く塗りつぶされていた。

「馬鹿な……16年以上にわたるこの戦いで、状況は良くなるどころか最悪ではないか」

「陛下、おそれながらネーデルランドとナバラ王アンリ四世とのつながりも無視できぬ問題かと思われます。やはりポルトガルが後ろ盾になっているかもしれない、という事も考えた方がよろしいかと……」

 縁戚であったポルトガル王セバスティアン一世は、2年前にナバラ王アンリの妹であるカトリーヌ・ド・ブルボンと婚約して結婚を間近に控えていたのだ。

 そのポルトガルは肥前国からの新しい農業技術の導入や、都市計画や鉱山などを含めた公共事業を行うことで雇用を促進し、経済的な発展を遂げていた。

 しかも肥前国からの輸入品を欧州各国に販売することで相当な利益を得ていたのだ。欧州各地で起きている食糧不足も、セバスティアンの政策によってポルトガル国内では起こっていない。




「しかも……我が帝国の財政状況は危機的だ」

 フェリペは窓から離れて机に戻ると、財政報告書に目をやった。その数字の列が、帝国の苦境を如実に物語っていたのだ。目頭を指で押さえながら、ため息をつく。側近は緊張した面持ちで主の言葉に耳を傾けた。

「新大陸からの富も、この状況を好転させるには至っていない。むしろ、物価の高騰は我々の負担をさらに重くしている」

 フェリペは立ち上がり、ゆっくりと書斎を歩き回った。

「ネーデルランドの反乱、イギリスとの対立、オスマン帝国との戦い。これらすべてが我々の財政を圧迫している」

 突然、足を止めた。目に決意の色が宿る。

「この危機を乗り越えるには、根本的な変革が必要だろう。経済の仕組みを見直し、新たな産業を育成せねばならない。貿易路の再構築も急務だ。そして」

 一瞬のとまどいの後、言葉を続けた。

「場合によっては、一部の戦線で和平の道を探ることも考えねばなるまい」




 ■イギリス ロンドン

「陛下、ネーデルランドのオラニエ公より書面が届いております」

「見せなさい」

 即位16年目を迎えた女王は、側近にそう告げてオラニエ公からの手紙を読む。




 親愛なるエリザベス女王陛下へ

 我がネーデルランドの自由と独立のための戦いは、新たな局面を迎えております。

 南部諸州が再び我々の大義に加わり、スペインの圧制に対する抵抗の輪が広がっているのです。

 しかし、スペイン王フェリペの脅威は依然として強大です。

 スペイン王の野心は我々の地を越え、貴国イングランドにも及ぶことでしょう。我々の戦いは、プロテスタント信仰の擁護という点で、貴国と目的を同じくするものです。

 これまで貴国から賜りました温かいご支援に、心より感謝申し上げます。今こそ、我々の協力関係をさらに一歩進め、より緊密な連携を結ぶ時が来たのではないでしょうか。

 スペインの経済的基盤である新大陸からの富の流れを断つことが、我々の勝利には不可欠です。この点において、貴国の海軍力と私掠しりゃく船の活動は極めて重要な役割を果たすものと考えます。

 また、ポルトガルのセバスティアン王がナバラ王家と婚姻関係を結ぼうとしている動きは、スペインの影響力を相対的に弱めるものとして注目に値します。

 この機会を活かし、イベリア半島での外交的圧力を強めることも一策かと存じます。

 我々の自由と独立の戦いは、単にネーデルランドのためだけではありません。それは、ヨーロッパの勢力均衡と自由な海上交易には必要なのです。貴国との正式な同盟関係の構築を、切に願うものであります。

 敬具

 オラニエ公 ウィレム




「策士なのか賢君なのか。これだけ長いあいだ軍を率いていると言うことは、民衆の信望もある程度はあるのでしょうね。だからこそわが国も援助をしてきたのですが……。スペインは確かに共通の敵ではあります。それに聞けば、東方の名も無き国の海軍に二度も負けたというではありませんか。そろそろ、仕掛けても良い頃あいかもしれませんね」




 イギリス・オランダによるスペイン商船への私掠行為とアルマダの海戦への道が、近づいてくる。




 次回 第723話 (仮)『肥前国(州)の貿易状況』

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