天正十三年十二月十五日(1585/1/15) 諫早城
大日本国と肥前国(州)とでは、経済規模がまるで違う。
厳密に言えば肥前国は小佐々州として大日本国の構成州となっている訳であるから、その肥前国の貿易収益の何パーセントかが大日本国の貿易収支となるわけだ。
もっとも国営(州営)企業が貿易をやっている訳ではないので、小佐々領以外の商人も参入は可能なのだが、中小規模の商人がおいそれと参入できるものではない。
船団が必要なのはもちろんだが、大規模な売買をするためには大量の商品が必要となるので、そのための資金も必要である。すなわち、国内である程度の資本を蓄え、さらに危険を冒して航海しても耐えうるだけの財力が必要となってくるのだ。
九州では二代目平戸道喜、神屋宗湛、島井宗室、大賀宗九、仲屋宗悦の五人が大規模に貿易を行っている。
純正が石けんの販売を始めた頃からの付き合いである平戸道喜や、大友氏が傘下に入るまでに御用商人となった博多三傑。そして豊後の仲屋宗悦である。
■堺
堺の会合衆のうち主力の納屋十人衆というのは紅屋宗陽・塩屋宗悦・今井宗久・茜屋宗左・山上宗二・松江隆仙・高三隆世・千宗易(利休)・油屋常琢・津田宗及である。
その10人が話し合っている内容は、畿内だけではなく、遠く台湾やフィリピン、ベトナムやカンボジア、インドネシアといった東南アジアの国々まで販路を伸ばし、仕入れを行って国内で販売しようという相談だ。
「宗久さん、確か……関白様とのお付き合いが一番長いのは、宗久ではありませんでしたか?」
茶を点てながら話すのは信長の覚えめでたい千宗易(64歳より利休)である。
「確かに。あれは確か関白様が初めて上洛された年、永禄十一年でございましたな」
津田宗及が補足した。
「その通りです」
「あれから十八年近く経ちました。時の流れは早いものです」
今井宗久が懐かしむように目を細めると、紅屋宗陽が思慮深げに言った。
「これだけの歳月が過ぎ、世の中も大きく変わりました。我らの商売もその都度変わり、今では……残念な事ではありますが、堺は日ノ本の商いの中(中心)ではなくなりました」
塩屋宗悦は二人の言葉に頷きながら続ける。
「然様。十八年前、我らは堺の会合衆として、日ノ本の商いの中におりました。然れど織田様の台頭とあわせて、関白様が播磨から西の西国をすべて統べ、商いの中は肥前に移ってしまいました。博多や豊後府内、薩摩の坊津など、湊町は栄える一方にございます」
事実、規模と拠点は違えど九州五傑と呼ばれる商人は、東南アジアをはじめインドやアフリカまで手を伸ばし、商業規模を拡大させていたのだ。
純正としては当初、彼らに御用商人として特権を与えつつ、金の融資を受けながら財源となる商品の販売を行っていた。しかしすでに何年も前から、純正が特権を与えなくても十分なほど巨利を得ていたのだ。
そして純正は自由経済主義へと移行した。もちろん、商人との関係は良好なままである。
松江隆仙は茶碗を手に取り、香りを楽しんでから一口すすった。その動作には、変わりゆく時代の中でも変わらない日本の伝統美が感じられる。
「我らが堺の地位が変わったのは事実でしょう。だが、それを嘆くばかりではいけません」
「おっしゃる通りです。むしろ、この変化を機会と捉えるべきではないでしょうか」
隆仙の言葉に、高三隆世が同意するように身を乗り出した。油屋常琢は窓の外に広がる堺の街並みに目をやりながら、ゆっくりと言葉を発する。
「鎮西の商人たちが活躍する今、我らにできることは何か。それを考えねばならないでしょう」
静寂が部屋を包んだ。各々が自分なりの答えを探っているようだった。やがて、宗易が静かに口を開いた。
「鎮西の商人たちが持つ航路や人脈を用いるのです。そうして我らにしかできない商いを探すといたしましょう」
宗易の言葉に、会合衆の面々は興味深そうな表情を浮かべた。茜屋宗左が尋ねる。
「我らにしかできない商い、とは?」
「例えば茶の湯の道具や、京や畿内の工芸品にございます。漆器や刀剣、織物など。他にも陶磁器がありますが、これは産地によって趣が違います。今我らは西国の商人に売っておりますが、もし彼らがそのまま南蛮へ持ち込んで売っているのなら、これはもったいない事ではありませぬか?」
宗易の言葉に山上宗二が顎に手を当て、考え込むように言う。
「……然れど、茶の湯の道具は売れぬでしょう。あちらに茶の湯の文化はないでしょうから」
宗易は静かに微笑み、茶碗を手に取る。その動作には長年の経験から来る優雅さが滲んでいる。
「おっしゃる通り、茶の湯の文化そのものを売ることは難しいでしょう。然れど、美しい茶碗や茶入れは、向こうの国でも別の用途で珍重されるかもしれません」
部屋の中に新たな可能性への期待が広がるが、津田宗及はそっと中空を眺める。
「然れど、如何にして運ぶのです? それに我々は日ノ本以外に物を売った事はありません。誰を仲立ちにするのですか?」
現在肥前国としては、富春やアユタヤ、バンテン王国とマラタム王国の他、東南アジアでは政体がある国とはほとんど交易をしていた。インドはムガール帝国ではなくトゥルヴァ朝ヴィジャヤナガラ王国と交易をしている。
ムガール帝国とも交易を試みているが、ヴィジャヤナガラ王国との交易の兼ね合いで難航していたのだ。
中東のサファヴィー朝や、アフリカ東岸ならびに西岸でも交易を行っていたが、アフリカに関してはポルトガルが抜きん出ていた。
オスマン帝国との交易は、ない。基本的に沿岸国のみである。
「そう、それが最も難し事なのだ」
会合衆の論議は続く。
次回 724話 (仮)『会合衆の世界進出と九州五傑』
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