天正十四年五月二十二日(1585/6/19) 諫早城
100万石を超える毛利の所領の差配は簡単ではない。もちろん、前述のように警察機構は独立して各国に設置され、各郡、各村に署を置き派出所をおいて治安維持にあたっている。
しかしそれ以外は自治であり、武装を解除してはいるものの、家臣団がそのまま残っていたのである。旧来通り、毛利家から知行をあてがわれた、毛利の家臣である。
「さて、では如何ほどの所領といたそうか」
純正は戦略会議室の面々に問う。毛利家は吉川と小早川を合わせて200万石を超える。
「然れば、毛利本家は三十万石、吉川と小早川は十万石程度で宜しいかと。然すれば筆頭こそ毛利となりますが、次席は大友、三席は島津に四席は龍造寺となりまする」
戦略会議室筆頭の鍋島直茂は言った。
「これはまた、随分と削ったものよのう。全部合わせても五十万石、二割五分しかないではないか」
「然様にございます。然れど幸か不幸か、他の大名はこの十数年で本領以外は被官となっておりますゆえ、毛利が異例という有り様なのです。自ら望んで被官となるか、命じられて被官となるか。いずれにしても小佐々の家中あっての毛利の栄えにて、もし、命を不服といたすのならば、彼奴らは大いなる心得違いをしておる事になりまする」
会議衆の面々は黙るが、直茂はなかなか辛辣な物言いである。
「では、その減封、もしくは減封ならずとも転封としても、その大義名分はなんとする?」
再び純正が質問した。
「俺は毛利が服属する際、小佐々諸法度に基づいて国人もしくは大名として領国を統べるか、ふつと(完全に)所領を差し出し、その代わり禄にて召し抱えるか。はたまた談合にて定めし所領を残し、残りは出来高に応じて禄を食む事とする。これらを選ばせてきたのだ。毛利は大名として残る事を選んだ。戦をしておらぬゆえ、俺の甘さかもしれんが、それを約して服属となったのだ」
何事を為すにも理由が要る。理由もなしに制裁を行えば、ただの独裁者になってしまう。これは正直なところ、各大名の誤算と言えば誤算である。
完全に被官となったものは、小佐々により金で雇われた官吏となって、仕事として領内の経営にあたる。
そこにはやっている事は同じでも、気持ちの違いがあり、いってみれば雇われ店長とオーナー店長との違いのようなものがあったのだ。
やるべき事さえやっていれば食うには困らないし、出来高で報酬も増える。自主独立を捨てる代わりに繁栄を選んだのだ。しかし、毛利はそうしなかった。
本来ならば、繁栄までは遠く厳しい道のりになるはずだったのだが、純正は毛利を懐柔するために経済支援と技術支援を行ったのだ。
そのため小佐々の直轄地や他の大名の領地とまではいかないが、もし武装を放棄さえしなければ、軍事力は小佐々領内で無視できないレベルまで到達していただろう。
「ならば、他の大名国人から妬みや不足(不満)の訴えがあった、というのは如何にございましょうや」
黒田官兵衛が、考えた末に提案をした。
「如何なる事だ?」
純正が問うと、官兵衛は慎重に言葉を選びながら説明を始める。
「御屋形様、他の大名や国人たちの中に、毛利家を取り分きたる(特別扱いしている)のではないかとの訴えが出ているのはご存じでしょうか。この訴えを表に出さば、毛利家の持て成し(処遇)を見直す大義名分として用うる事、能うのではないでしょうか」
純正は腕を組み、官兵衛の提案に耳を傾ける。
「な! 一体誰が然様に無礼な事を申しておるのですか!」
佐志方庄兵衛は官兵衛に対して声を荒らげるが、純正はそれを手で制す。
「うべなるかな(なるほど)。然れどそれは……俺がやってきたことを、過ちであったと|喧伝《けんでん》することになるのではないか?」
一同は黙りこくった。
それは事実であり、自らの主君のとった道を誤りと認める事になるのだ。重苦しい沈黙が室内を支配する。家臣たちは互いの顔を窺い、この難題にどう対処すべきか思案している様子だ。
やがて、宇喜多直家が咳払いをし、静かに口を開く。
「御屋形様、ここは一芝居、しかも大きな芝居を打つのは如何にございましょうや」
「ほう? 如何なる芝居をいたすのだ?」
純正は身を乗り出して直家の話に耳を傾ける。
「はい、まずは真にその噂を流し、我らは誰がそれを言うておるのか探しておる事とするのです。これがまず一つ。これは嘘でも、というよりむしろ、少なからず毛利と自らを重ね合わせてそう思っている者どもを捜し出して、当人とするのです」
「ふむ」
「次に、毛利にそのまま伝わる様に致すのです。その上で御屋形様の差配として自らの非を認め、小佐々領内における差をなくすという当て所(目的)にて、毛利三家の所領の減封を申し渡すのです」
純正は直家の提案に耳を傾けながら思案する。室内には静寂が広がり、家臣たちは固唾を呑んで純正の反応を窺っていた。
「つまるところ……それでも、減封を申し渡すことには変わらぬな。いずれにしても、俺が非を認め汚れ役にならねばならぬ、という事だな。まあ、自ら招いた種ゆえ、仕方がないがな」
純正はふぅと息を吐き、納得した。
「御屋形様、こう申し上げるのも如何かと存じますが、これはいわゆる毛利に落ち度があるのではなく、小佐々、いや肥前国をまとめるために仕方のない命だと、毛利に心得てもらわねば先には進みませぬ。得心できぬとは言え、御屋形様の命に背くとなれば、成敗もやむなきかと」
「それでは意味がない」
直家の言葉に純正は釘を刺した。
「こう致しては如何にございましょうか」
発言したのは土居清良である。
「この儀とは別となるのでございますが、某の知己に、京にて大日本国の官府勤めをしている者がおりまする。その者が申すには、国やら州やら、わかり難しと言うのです」
「如何なる事だ?」
純正の問いに清良は答える。
「例えば、大日本国において我が肥前国は西日本州や加州ならびに越州越中の他いくつもの州で成り、その全てを取りまとめて肥前州としております。されど我が肥前国内の州は、例えば織田家の濃州や尾州といった州とはまったく違い、その政の権のありかたも違います。さらに肥前国の中に豊後国や土佐国など、多くの国があるのも分かり難しと存じます」
純正はじっくりと聞きながら、清良の意図するところが何かを考えている。直茂も官兵衛も、直家も同様である。
「つまりは、何が言いたいのだ?」
「そうだ、真に毛利の儀とは何のつながりもないではないか」
庄兵衛が問い、弥三郎が続く。
「まあ待て、清良よ。続きがあるのであろう?」
純正がそう言うと、ぱぁっと清良の顔が明るくなり、話を続ける。
「然様にございます。そこで例えば、分かり易しと成すために、播磨や但馬から西、長門までを中国地方といたして、国を県と称します。それを統べる官府を総督府とし、その総督を毛利となすのでございます」
清良の提案に、会議室内の空気が一変する。家臣たちの目が輝き始め、互いに顔を見合わせる様子が見られた。純正は腕を組み、深く考え込んだ表情で目をつむっている。
しばらくの沈黙の後、黒田官兵衛が口を開いた。
「うべな(なるほど)。これは単なる減封ではなく、如何に統べるか、その仕組みを新たに整えるという大義名分になり得ますな」
鍋島直茂も頷きながら言葉を継ぐ。
「確かに。毛利家にとっても、服属の際は鉄や銀山、湊の利得の権を捨ててでも、家を残すために実を捨てて名を取った。此度、肥前国内は無論の事、毛利領内も富み栄え、いま新たに中国を統べる者として総督となれば、断りづらくはなるでしょうな。此度は名をとるのだ、と」
純正はゆっくりと家臣たちに向き直り、清良に問いかけた。
「清良、その案では他の地方は如何いたすのだ?」
清良は一呼吸置いてから答えた。
「御屋形様、然れば九州は島津家、四国はもともと宗麟殿が総督となっておりますゆえ、子細なしと存じます。肥前国内すべて、印阿国や北海道国も同じにございます。これにより、より効のある政が行えると存じます」
「うむ!」
純正が膝を叩いた。
「加えて、これは某が申し上げる事ではございませぬが、御屋形様は肥前国の王にございます。堂々と、毛利にお命じ下さいませ。よもや毛利も、嫌とはいいますまい」
純正が頷いていると直家が疑問を呈した。
「然れど、新しきお役目とは言え、総督の力が強くなりはしますまいか?」
「案ずるでない。四国は宗麟がもう何年も総督をやっておるのだ。俺の意をくみ、法度に違う事なく、見事に四国を治めているではないか。権が強まり国体を危うくすることなどないであろう」
純正は笑顔で答えた。
肥前国内における統治機構の再編と、毛利への通達が始まった。
次回 第729話 (仮)『平穏無事と、相成るか』
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