第738話 『李氏朝鮮第14代国王宣祖への謁見』

 天正十六年十月一日(1587/11/1)九州地方 対馬県 厳原港

「これはこれは関白殿下、斯様かように何もないところにお越し頂き、この義調よししげ、光栄の至りにございます」

 厳原の港でそう答えるのは、対馬宗家17代当主であった宗義調である。
 
 もう何年も前に家督を養子である義智よしとしにゆずって隠居生活を送っていたが、純正が対馬に来ると聞いて出迎えに来ていたのだ。

「何を仰せか刑部少輔ぎょうぶのしょう殿、ここ対馬はわが始まりの地といっても過言ではない。もしあの時、刑部少輔殿が我らと盟を結んでおらなんだら、今の俺はないと考えています」

「これは有り難い。息子ともども、今後ともこの対馬を、よろしくお頼み申します」

 横にいるのは15代当主宗将盛まさもりの子で養子の義智がいた。宗氏とは永禄九年(1566年)より22年の付き合いだ。李氏朝鮮との交易を踏まえて利益を得るために同盟を結んだ。

 外務省の日高このむがまだ一人前になる前に、せっけんの製法を教えてしまい、父親のたすくにこっぴどく怒られていたのが懐かしい。
 
 すでにその対馬国は対馬県と名前が変わり、宗氏も領主から自治体の首長という位置付けになっていた。




 純正一行と義調と義智親子は金石城にて、李氏朝鮮との交易の近況を話し合った。

 朝鮮との交易自体は肥前国の経済産業省の管轄である。
 
 直接宗氏が差配することはなくなったが、それでも宗氏の影響力は強く、朝鮮側も昔からのしきたりで窓口に宗氏を介する事を好んでいたため、純正はあえてそれを変えなかった。

「して刑部少輔殿(宗義調)、朝鮮との交易はかわらず、障りなく行われているか?」

「は、つつがなく。それよりも殿下、諫早よりの報せが届いております」

 義調は純正の到着の前に諫早より届いた文を見せた。




 時下益々御清祥のこととお慶び申し上げ候。

 此度こたび、我斯波しば民部大輔詮直あきなお、謹んで関白太政大臣殿下に申し上げ候。

 我が奥州の地より、殿下の御威光に感服致し候間、心より服属の意を表する次第に候。永きに渡る争乱の世でありけりと存じ候得共、殿下の御英断により、平穏の時を迎えんと存じ候。

 我ら奥州の諸大名一同、殿下の御意に従い、朝廷への忠誠を誓うことをここに宣言いたし候間、殿下の御治世の下、天下泰平の実現に向け、微力ながら尽力する所存に候。

 些か遅きに失したかと存じ候得共、何卒我らの真意をお汲み取りいただき、今後とも殿下の|麾下《きか》にてご指導ご鞭撻べんたつを賜りますよう、伏してお願い申し上げ候。

 恐惶きょうこう謹言 八月廿にじゅう二日

 斯波民部大輔 詮直

 関白太政大臣殿下




「ほう……ようやく。しかも斯波詮直ときたか」

「殿下、いかがなさいましたか?」

 直茂をはじめとした閣僚と、義調、義智親子は聞いてきた。

「ふむ、奥州の東半分の大名が服属を願いでてきた」

「おお、それは重畳ちょうじょう

 義調が言う。

「これも殿下のご威光の成せる業にございますな」

「ははは、世辞を申すでない。必然の成り行きよ。遅かれ早かれこうなるとは思っておったが、伊達や最上、南部や蘆名ではなく斯波とはの……」

「仰せの通りにございますな。いまや名門奥州斯波家といっても、その実は南部の属領にございます。ここでその斯波氏をたてて文が来たということは、この文自体に格式を持たせようとの魂胆にございましょう」

 直茂が冷静に分析する。

「ふふふ、まあよい。この文の格式云々うんぬんは別として、服属をしたいと申すのなら、許せばよいのだ。これでようやく、ようやく日ノ本に静謐せいひつをもたらすことができよう。この視察が終われば、朝廷に参内し、お知らせ奉るといたそう。まあ、その前に別の者に知らさせるがな」

 ははははは、と万座に笑いが起きた。その夜、純正一行は宗親子とともに宴席となり、家族ともどもゆっくりと過ごしたのであった。




 ■朝鮮 漢陽

「柳殿、肥前国王純正が漢陽にくるとは本当ですか?」

「はい、すでに陛下のお許しを頂き、謁見の手筈てはずは整っております」

 右議政であった柳成龍は左議政をへて領議政となり、宣祖を補佐して肥前国と盛んに交易を行い、国力を増加させ、富国強兵を実現していたのだ。

「しかし、どのように謁見の場を設けるのですか? 長年日本とは秩序に基づいておりましたが、すでに交易においては対等な立場で行っております。だからこその、今の我が国の繁栄があるわけですが、陛下はご納得になったのですか?」

「ご納得になった。そもそも陛下には大いなる大志がおありで、それがためには日本の協力が是が非でも必要であった。それをご理解になり、交易を盛んに行い、今回の謁見もお認めになったのだ。何の心配もいらぬ」

 領議政の柳成龍は同僚にそう言って、純正との面談に思いをはせた。これまでの慣例を破る形での謁見となるため、その準備と意義深さに思いを巡らせていたのだ。




 数日後、純正一行を乗せた蒸気船が船が漢江沿いの港へ到着した。

「お、おいなんだありゃあ? 火事か? 煙が出ているぞ! 急げ役所に知らせるぞ」

 港で働く人夫の一人が叫んだが、あわてて港の役人が制止した。

「火事ではない。これは肥前国からの使節団が乗ってくると聞いていた蒸気船だ。煙を出して進むという噂は本当だったようだ」

 港に集まった人々は、煙を吐きながら徐々に接岸する巨大な船を目を丸くして見つめていた。蒸気機関の轟音ごうおんと、甲板で忙しく動き回る乗組員たちの姿に、誰もが驚きの声を上げずにはいられなかった。

「すごい……これが日本の……わが朝鮮はおろか、明国でも聞いた事がないぞ」
 
「あんな大きな船が、風も帆もなしに動くとは」
 
 驚きの声が次々と上がる中、純正一行が甲板に姿を現した。港の役人たちは慌てて整列し、最上級の礼儀で一行を出迎える。
 
「肥前国王様ご一行、漢陽へようこそいらっしゃいました。領議政柳成龍様が宮中にてお待ちしております」

 純正は優雅に頭を下げ、『お迎えいただき光栄です』と答えた。

 その間にも、蒸気船の噂はまたたく間に街中に広がっていった。道行く人々は驚きの声を上げ、中には走って港に向かう者もいた。純正一行は用意された駕籠かごに乗り、宮廷へと向かう。

 街路には好奇心に満ちた民衆が集まり、珍しそうに一行を見つめていた。

「領議政様、肥前国の使節団が到着いたしました。しかし、その乗ってきた船が尋常ではないとの噂で街中が騒がしくなっております」

「ほう……噂に聞いていた蒸気船か。これは後ほど陛下にお知らせし、見に行かねばなるまい。さて……その前に謁見の準備を整えようぞ」

 こうして蒸気船の到来は漢陽の街に大きな衝撃を与え、朝鮮と肥前国の新たな関係の始まりを予感させるものとなった。




「陛下、肥前国王が到着いたしました」

「うむ。丁重にお迎えいたせ」
 
 その後すぐに純正一行の到着を告げる声が響き、宮廷の扉が開いた後に純正が現れた。威厳に満ち、笑顔を絶やさない。

「陛下、このたびは謁見の名誉を賜り、恐悦至極に存じます。この上は両国の……」

 純正が挨拶を終える前に、宣祖は玉座から立ち上がり、純正に歩み寄った。その行動は領議政である柳成龍から聞かされてはいたが、居並ぶ朝廷の臣たちにとっては異様であった。

 これまで何十年も何百年も格下だと考えられていた日本の使節である。いかに国王とは言え下座にて発言の許可を得て話すべき相手だったのだ。それに対して対等に話をする。

 朝鮮にとって驚くべき変革であった。
 
「肥前国王よ、遠路はるばる私の国へようこそ」
 
 純正は深々と頭を下げる。

「陛下のお言葉、身に余る光栄でございます」

 ひとまずは『陛下』と呼び合うようにした二人であったが、謁見の間ではどうしても上下関係が生まれてしまう。そのため、宣祖と純正が上座で並んで座れるように設けられた広間へと向かった。




 広間では上座では向かって左に宣祖、そして右に純正が座ったのだが、下座の右側に肥前国閣僚、左側に朝鮮国閣僚が座った。様々な話の後、核心の話題となった。

「陛下、貴殿は明国の事をどう考えている?」

 宣祖が純正に尋ねた。

「……正直なところ、どうとも考えておりません」

 純正の答えに万座がざわつく。いや、ざわついたのは朝鮮側のみであり、小佐々側はもありなんという感じである。

「それは、具体的にはどういう意味でしょうか」

 宣祖がさらに純正の真意を質すべく質問した。

「言葉通りの意味にござる。はじめは明国とは大いに交易を行うつもりでございました。然れどご存じの通り明国は海禁政策をとっており、我が国は倭寇わこうの影響もあって、緩和されても交易は許されませんでした。そこで琉球やポルトガルの中継で明の産物を買い入れておりました」

 宣祖をはじめ朝鮮の廷臣達は、純正の話を食い入るように聞いている。

「しばらくして我が国が南方への足がかりとして台湾島を領有いたした際、念のため明国に伺いを立てたのです。然らば台湾は化外の民にて関知せぬとのこと。それゆえ草分け(開拓・開発)を致しましたるところ、後になって台湾は明国であるとの通知が来たのです。到底承服できず、また明国に頼らずとも我が国で同等の品を産する事能うようになりましたため、無体(無視)いたしました」

「それで、どうなりましたか?」

「それについては事ともせず(何ともない)、マカオの商館を撤去させるぞと脅して参りましたが、すでに商館から人は退かせておりましたゆえ、どうぞご随意にと返答し、そのままにござる」

 にこやかに話す小佐々陣営とは反対に、朝鮮側は真剣そのものである。

「その後は何もなく、そうですな……こちらとしては、わざわざ頭を下げて国交を結ぼうとは思いませんし、相手が対等な・・・付き合いを望むなら、考えなくはありませぬ」

「なんと……では我が国とは、如何いかなる付き合いで……」

「無論対等な同盟国にござる。某は今も昔も、理由もなく他国を侵略などしておりませぬゆえ。また、明国との兼ね合いで、貴国がどうしてもというなら話は別でござるが、いきなり冊封先を変えてはかえって明国を刺激いたしましょう?」

「なるほど、有り難きお申し出にございます。ではその方向で参りましょう」

「はい」




 琉球は朝鮮とは違い、同盟ではなく明の冊封からの脱却と肥前国からの冊封となった。

 しかし朝鮮の場合は明と陸続きということもあり、直接的な軍事的圧力が加わることが考えられる。そこで当面は、明に対して冊封は続けるものの、肥前国と秘密裏に強力な軍事同盟を結ぶ事となったのである。




 次回 第739話 (仮)『台湾総督府』

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