弘化五年三月十日(1848/4/13) <次郎左衛門>
拝啓
弥生の候、兄上様におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。
さて、公儀にて藩の発展に資するべく人材招聘の旅に出ており候処、豊前の国宇佐の地に行き着き候。
当地において、兄上の仰せの賀来惟熊なる人物に会うこと能い候へども、賀来氏は宇佐郡佐田村の庄屋であり、島原の御領主様の覚えめでたく候間、松平主殿頭様のお許しなくば、我が領内にお迎えすること難し事の様にて候。
つきましては、兄上様におかれましては主殿頭様に、賀来惟熊殿の大村への招聘の儀お許しを得ていただきたく存じ候。
兄上様のご尽力なくしては、この人材招聘の件は成就し得ぬと案じ候。
何卒大村の発展のため、ご高配を賜りますよう、伏してお願い申し上げ候。
末筆ながら、兄上様のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げ候。
敬具
二月二十五日
隼人武賢
うーん、弟からこういう手紙を貰うとこそばゆいな。
しかし、まあ当然と言えば当然か。藩士ではないにしても藩主の覚えめでたい人材なら、そう簡単には藩外には出さないよね。島原藩は佐賀藩領が間にあるけど同じ長崎警固の藩だしね。
いろんな支援をしたり人材交流をやっていくのもいいかもしれない。あ、そういえば大村藩は次の純熈の代で外国との戦争を想定して平戸藩と同盟を結ぶんだよね。
じゃあ別に平戸・福江・大村・島原で同盟組んでも問題ないか。佐賀は鎖国藩だからな。諫早平野がじゃまだけど、船で往来できるならいいか。
火薬の原料の硫黄も手に入るし、福江と平戸は捕鯨の件で仲良くしておいて損はないな。
前略
先日の書状確かに拝受し候。賀来惟熊氏の件詳しく述べられたるを読み、大村の発展のために必要不可欠の人材であることは疑いの余地なきものと存じ候。
この件は我が責を以て殿に上書申し上げ、主殿頭様に我が殿の意趣が伝わるよう動く所存に候。その間お主はくれぐれも失礼のなきよう心されたく存じ候。
なお、お主は宇和島へ赴き、件の人材に会うよう命じ候。大村の発展のために、人材の確保に努めるは我らの務めに候。
末筆ながらお主のご武運を祈念いたし候。
草々
三月十日
次郎左衛門
■玖島城
「次郎よ、お主近ごろ少し痩せたのではないか?」
純顕はいつもの調子であったが、多忙を極める次郎達に対するねぎらいの意味も含んでいるのだろうか。
「いえ、そのような事は」
「おかげで我が領の勝手向きも良うなり、領民皆息災で嬉しい限りじゃ。然りとてそれがために、お主らが体を壊しては、本末転倒であるぞ」
「はは。ありがたきお言葉。この次郎左衛門、心に留めおき、お役目に邁進いたします」
純顕は相変わらずやさしい。
「してこたびはいかがした?」
「は。実は殿にお願いしたき儀がございまして罷り越しました」
「なんじゃ? また金の掛かる話なのか? それであればお主を信じ一任しておろう」
純顕はいたずらっぽい笑みをうかべて話す。
「否にございます。こたびはそれがしが行いたる、人材の招聘の儀にございます。その者、島原の松平主殿頭様の領内に住もうております」
「うむ」
「豊前国宇佐郡佐田村の庄屋にて賀来惟熊と申す者にございますが、御領主であらせられる主殿頭様のお許しなくば、求めに応じる事はできぬとの事」
「おお、それは殊勝な心がけよの。松平御家中の者であれば仕方のないことではあるが、庄屋の身分でそのような心がけとは。……では次郎よ。おぬしはわしに、主殿頭殿に話を通すよう振る舞ってくれと申すのか?」
「はは。恐れながらこればかりは、それがしには能わぬ事ゆえ、なにとぞお願い申し上げまする」
純顕は考えている。島原藩主の松平忠誠とは、何か直接のつながりはあっただろうか? 親兄弟の嫁ぎ先、あるいはその逆でもいいが、残念ながらない。
ただし長崎の警固と聞役を通じて、普段から付き合いはあった。藩主同士が話を通すとなると、江戸の藩邸でとなるが、それでも永田町(大村藩)と数寄屋橋(島原藩上屋敷)は2~3キロある。
「さてさて……おおそうじゃ!」
「いかがなさいましたか?」
「伝手じゃ伝手。長崎警固と聞役のつながりがあるが、それとは別に思い出した。ほれ、先に大村に来た佐久間象山という男がおったであろう?」
純顕は思い出して、いける、と踏んだのだろうか。
「象山は信濃松代であったな?」
「は」
「島原の松平家からは信濃守殿へ養子が入っていた事があったのだ。残念ながら早世してしまわれたが、その縁で信濃守殿に話を通していただければ、あるいは」
「なるほど」
真田幸貫は大村藩の支援に恩義を感じているはずだ。見返りという訳ではない。しかしそれでも、紹介して話を通す程度のことはまったく問題ないだろう。
「殿、あわせて上書いたしたき儀がございます」
「なんじゃ?」
「は。昨今の海外における情勢を鑑み、薪水給与令にて事なきを得ておりますが、いつまだフェートン号やロシア国との諍いのようなものが起こるとも限りませぬ」
「ふむ」
「その際は、われら近隣の領主が集いて処せねばなりませぬが、戦にならぬとは断言できませぬ」
「……もしや」
純顕は次郎の言葉を聞きながら、なんとなく気づいたようだ。
「そのために常日ごろより盟を結び、互に能く携えるべきと申すか?」
「はは。ご明察恐れ入りまする」
「次郎よ。お主の言いたいことは良くわかる。されど、されどじゃ。未だ御公儀は腰を上げているとは言えぬ。和蘭との交易の則(規則)を緩め、盛んに教えを請うという姿勢は見えるが、開国は祖法ゆえ難しいのだろう。今この時不用意に盟を結ばば、逆心の企みこれありと、下手をすれば改易の憂き目となるぞ。さような事、まさか次郎の口からでるとは」
……。
「とまあ、常であればそう考えもするが、次郎、お主の事ゆえ考えがあっての事であろう?」
「無論にございます。いま表だって盟を結ばば、仰せの通りとなりまする。されば、今よりもさらに盛んに商いをし、人の行き来を促すのです。さすれば互に富み、領国は栄えていかなる難事にも耐えること能うでしょう」
薩長同盟や奥羽越列藩同盟などが有名だが、大村藩も平戸藩と同盟を結んでいたのだ。また、長州藩とも同盟を結んでいる。しかし、そのどれもが尊皇倒幕の気運が高まった後である。
純顕の言うように、いま同盟など持ちかけても、同意する藩などないであろう。
しかし普段から人材の育成や交流を図って、殖産関連の知識共有など(大村藩ベース)をしていれば、実際に同盟を結ぶ段階になっても、優位に事を運ぶことができる。
「次郎よ、これは佐賀や福岡は入れぬのか?」
「佐賀は……佐賀でございますし、福岡も福岡にございますれば」
……。
「なるほど」
純顕もいちいち次郎に確認しなくても、その一言で理解したようだ。あうんの呼吸というのだろうか。両藩とも敵対関係ではないが、佐賀藩は同じ警固仲間の福岡藩と親密にしている。
それに大村藩は、表高で五島の福江藩の1万5千石についで低く2万7千石しかない。平戸藩は6万石で島原藩も6万5千石である。そこに35万石の佐賀藩や50万石の福岡藩が入ったならば、間違いなく主導権を取ろうとするだろう。
次郎はそれを危惧したのだ。
大村藩の平戸・福江・島原藩との交流は益々深まり、幕末へと向かうのである。
次回 第99話 (仮)『幕府、和蘭からの軍艦と大砲の購入が頓挫し、国産に切り替える』
コメント