天保七年 十二月五日(1837/1/11) 太田和村 (次郎目線)
さて、灰はタダだ。無尽蔵にある。
あ、待て。確か肥料にも使っていたな。その辺の調整は後から考えよう。
大量に使って農業に影響が出るのはまずい。まず儲かるか儲からないか。原価を計算して売価から粗利を出そう。
灰は無視したとして、ひとまず菜種油。これがいくらかだが……。
「おっちゃん! 今は油いくら?」
海岸沿いにある小さな町、というより店や旅籠がいくつかある程度。まさに村だな。その名も太田和屋の主人に聞く。
ここでの油の原価(売価・仕入れ値)が、江戸や大坂とどれくらい違うかは、行ってみなければわからないが、いろんな理由で値段が高いのだろう。
流通量は少ないが産地に近い。流通量は多いが産地より遠い。……圧搾技術や様々なものが影響しているのかもしれない。
「おお、こりゃあ若様。そうですな……今は一升で三百三十五文(@30円で1.8ℓが10,050円)ほどになりますかね。いっときより安くなりましたが、まあ、売れ行きはぼちぼちです」
文献で、確か元治元年(1864)の宿屋の支払い帳に『油二斗七升(48.6ℓ)に金三両一分三朱(23,203文)支払う』とあったけど、一升で859文の計算になる。
爆発的な値上がりだ。たぶんペリー来航後の開国によるインフレだろう。別の文献では文化年間に400文だったから、安くなっているのだろうか。
ともかく、その油一升で何個の石けんができるか? そしていくらで売って、いくらの儲けになるか? という事だな。
「ならんやっか! なんやこい!」
(ならねえじゃねえか! 何だこれ!)
「次郎、これは……灰をふるいにかけて綺麗な粉にはしてるが、石けんとは違うだろう……」
いわゆる一之進『カズ』が言った。
「混ざって固まったね。匂いは灰の匂いと、油の匂い。石けんと言えば、言えなくもない、かな?」
お里、と呼ばれていたらしいが、例の女が愛想笑いのような顔で言う。そして……近い。なんだこの子? この距離感。うん、思い出せない。
あまりかしこまった関係は嫌なので『カズ』と『お里』にはタメ口を許可した。
最初は遠慮していたが、なんせ同い年である。特に仲間内(俺、信之介、一之進、お里)ではみんなタメ口だ。
似たような(転生者・桃李の夢・タイムストリッパー・?)境遇なので、やはり交わす言葉は少なくても、力を合わせなければ生きていけないという意識があるのだろう。
ん? そういえば一之進は『カズ』の時、何学部だったんだ? 後で聞こう。
「仕方ないだろう! 灰と油でできるって話やったんやから! 信之介の野郎、嘘ついたな」
俺が少しへそを曲げていたところに、遅れて信之介がやってきた。
「ん? 何やこい(これ)? 貴重な油を灰に混ぜてなにやってんだ?」
信之介は、あからさまに俺に向かって言っている。三人いるが、間違いなく目が俺を向いている。
「何じゃねえよ! お前の言うとおり灰にまぜたけど、俺が知ってる石けんにならんやっか! (ならねえじゃねえか)」
……。
「当たり前。そのままでできるわけねえだろ。俺が言ったこと思い出せ」
……。
「水に溶かせばアルカリ性って言っただろ? 灰汁をつくらねばならぬ。聞いていたか?」
「いや、それはもちろん……聞いては、いたが」
正直、原価と売価の計算ばかりで、あまり覚えていない。
「その灰汁も、灰はタダだと言ったがそうではない。都心部では灰買いといって灰を集める職業もある。藍染めや酒づくり、肥料にもなるし洗濯にも使えるからな。そこから買うにしても金がかかるし、薪からなら薪代がかかる」
……。
嫌な予感がしてきた。
「ともかく、原価配分はわかるぞ」
「まじか! で、作るのにいくらかかって、なんぼの儲けになるんや?」
なんだか関西弁と混じってしまった。
「まて、必要な材料は次の通りだ」
・油220g
・水100ml
・灰汁30g
「これで石けんが3個できる。水はなくてもいいが、品質を考えるなら、入れた方がいい。そして、ここまで細かく測れないから、増やす」
・油2,200g
・水1,000ml
・灰汁300g
これで30個。
・油22,000g
・水10,000ml
・灰汁3000g
これで300個。
「つまり、油二十四升五合、水五升五合、灰汁一升六合六勺で300個の石けんができる。あとは原価計算してくれ」
「ちょっとまて、灰がタダじゃないことはわかった。で、作るとして、薪から灰汁がどのくらいできるか調べないといけないだろ? 面倒くさくね?」
「面倒だな。然れど調べねばなるまい。お主がやると決めた事なのだ、しかと責任を持って為さねばならぬぞ」
いや、だからわかってるって。急に江戸になるなよ。お袋みたいだな。
「幸い、3.5キロの灰から約7.2ℓの灰汁が作れることは実証しておる」
「なに? 実験したの?」
「……の中でな。それはもうよかろう。あとは油の値と、それから灰を作るのに、いかほどの炭や薪が要るかを調べねば」
最初の……の部分は、信之介はまだ恥ずかしいと思っているのだろう。
いいよ、信之介。俺たち4人の中ではオープンになろうよ。
「よし、それは聞き込みで調べるとして、油の値段がわかった。今は菜種油で一升三百三十五文だとさ。イワシ油なら半分から三分の一ほどらしい」
24.5×335=8,207.5文。切り上げで8,208文。これを300で割る。@27.36文。
石けん一個が28文。イワシ油でも10文だ。
米一升150文、酒1升160文、塩一升35文、砂糖一斤424文、豆腐一丁40文、卵一個7文、そば一杯16文……。
やべえなこれ。売れるのか。太田和屋主人の相場だが、地域によって変わるかもしれない。
次回 第9話 『+五万石達成!なのか? まずは藩主様から始めよう』(1837/1/21)
コメント