天保十三年一月十五日(1842/2/24) |玖島《くしま》城
「おお次郎か。こたびはいかがした?」
第11代大村藩主、大村純顕は相変わらずにこやかな顔で挨拶をする。
「は。こたびは鉄を産する高炉と、その鉄をより強きものにする反射炉の建造にかかせぬ、耐火レンガの製造にめどがつきましてございます。また、こちらも欠かせぬ燃料となります、『こおくす』をつくる炉の完成のお披露目をしたく存じます」
「そうか。いよいよか」
「はは」
耐火レンガの製造とコークス炉(ビーハイブ炉)の研究と開発や建造は、2年前の天保十一年(1840年)に始めていた。
次郎はコークス製造と耐火レンガの製造では、耐火レンガの製造を重要視していた。
……こう書くとコークスを軽視していたように思われるかもしれないが、そうではない。
耐火レンガはぶっつけ本番的な要素があるという事だ。
ビーハイブ炉に関しては、すでにヨーロッパで実用化されていて、その書籍も出島から入手可能だった。
そこに信之介の知識が加わって、多少のトラブルはあったが1号炉を製造し、それにならって2号3号と複数炉を製造したのだ。
対して耐火レンガに関しては、ウルリッヒ・ヒュゲーニンの『ロイク王立製鉄大砲鋳造所における鋳造法』によって必要なレンガの量は想定できた。
ではその耐熱温度まで、どの程度窯の破壊と製造を繰り返せば到達するのか?
それが試行錯誤だったのだ。
さらにその耐火レンガが実用に耐えうるかは、実際に高炉を作って稼働させてみないとわからないのだ。それが次郎と信之介が危惧する点であった。
■波佐見村
佐賀藩領に隣接している波佐見村は、川棚川に沿って上波佐見・下波佐見に分かれていて、河口域には川棚村がある。
コークス炉建設の立地条件として窯業地であること。これにつきた。
窯の原料となる良質の粘土が産出したというのが理由の一つであるが、その材料としての木炭製造業が盛んで、前述のとおり職人が多数住んでいたという事もある。
こうした立地条件もふまえて上波佐見村にコークス炉がつくられ、あわせて次郎が奥川嘉十に命じた耐火レンガの製作炉がその南の下波佐見村に作られた。
どちらも秘密裏に建設され、全従業員に|箝口《かんこう》令がしかれて機密保全が徹底されている。
「では身分を証明するものを拝見します。その後、腰の物をお預かりいたします」
入り口には無表情の男数人が監視に立っている。同じように周囲を囲むように配置されているようだ。
「無礼者! このお方を知らぬのか! 恐れ多くも……」
「嘉十よ、このお方は良いのだ」
一門家老の大村五郎兵衛昌直が声をあげるのと同時に、次郎が言った。
「よいよい」
純顕は声を上げた家老にそう言って場を収める。
「次郎が申しておった『機密保持』の一環であろう。我が藩の技術が漏れぬようにしておるのだ。これぞ忠義ではないか」
「……ごほん。次郎殿、配下の者の管理が疎かなのではござらぬか」
「申し訳ございません」
以前なら声高に次郎を非難していた一門の大村五郎兵衛であったが、最近は実績がものを言っているのだろうか、態度が軟化している。
そしてまた次郎も、恐らくは自分を狙ったのが五郎兵衛だろうと考えていたのだが、いまだに証拠は出てきていない。
そのために推定無罪、そう考えるようになってきていた。
「では嘉十よ、案内を」
嘉十の案内で、純顕を始め次郎や五郎兵衛など数人がビーハイブ炉群を見学した。
時間的には四半刻(約30分)程度の見学であったが、次に一行は耐火レンガの製造炉群へ向かった。
作っては壊し、作っては壊しの連続で作られた大量の耐火レンガの山が、簡易な小屋に整然と積み重ねられていた。
「殿、せんだっての銃と大砲の調練ならともかく、このような物をわざわざごらんにならなくても、よろしいのではないでしょうか」
このようなもの、だと? ……!
次郎は自分の顔が引きつっているのに気づいたが、あえて口には出さなかった。やっぱり嫌みなのは変わらないのか?
そうも思った。
「五郎兵衛よ、そうではない。見よ。これらの物をつくるのにいかほどの時がかかり、いかほどの知恵と工夫が要ったか。まこと、頭の下がる思いじゃ。嘉十とやら、褒めてつかわすぞ」
そう言って嘉十を見る純顕に、嘉十は平伏した。
「そう|畏《かしこ》まらずともよい。その方らの努力によって、新しき技が生まれ、我が藩を豊かにし、ひいてはこの国を守るのだ。そうであろう、次郎よ」
「はは。仰せの通りにございます」
「殿、ひとつ問題がございます」
「なんじゃ?」
一行は工場を後にし、川棚川沿いに南下して河口域についた。
「燃料になる石炭は崎戸島(|蛎浦《かきのうら》島)で産しまする。また、炉の建造に必要なレンガはこの地でつくれまする。最後は鉄、鉄の原料のみが賄えませぬ」
そう、全てが領内で賄えるのだが、原料の砂鉄と鉄鉱石が、ない。
こればかりは他藩から輸入(移入?)するしかないのだ。
大量に砂鉄もしくは鉄鉱石が必要なのだが、大村藩では産しない。他領から買わなければならないが、慎重に事を運ぶ必要がある。
仮に高炉や反射炉ができあがって正常稼働したとしても、これが問題なのだ。
藩をあげて調査し、どこから、どれだけ、どのようにして買うのかが検討された。
■数日前 お里邸
「お里~。ちょっと聞きたいんやけど」
「なーに?」
「あのさ、鉄鉱石。まあ砂鉄でもいいんだけど(いや、いいんだろうか?)、長崎……大村藩から一番近場でどこがある?」
「ああ、鉱山ね。えーっとまず数でいうと北海道かな。約4割。それから青森に、あとは島根と鳥取。あ、これは砂鉄ね。あと鉄鉱石は北海道と青森、それから岩手と宮城、秋田・福島・栃木・群馬・福井・山梨・岐阜・奈良・和歌山・岡山・山口・徳島・高知・福岡・熊本かなあ」
「うーん、そうなると福岡か熊本だなあ。今の時代も採掘してるのかな?」
「それは私の専門外。今採掘しているなら、今の人に聞くのが早いんじゃないの?」
「……だね」
次回 第49話 『長与俊達と尾上一之進。西洋医学は大村から花開く』
コメント