第43話 『和蘭(オランダ)風説書』(1840/6/26)

 天保十一年五月二十七日(1840/6/26)

 オランダ風説書とは、鎖国中の幕府が長崎のオランダ商館長に命じて年に1回提出させたものである。
 
 当初はカトリック国であるスペインやポルトガルの情勢を知るためのものだった。

 商館長が作成したものを長崎の通詞(通訳)が翻訳して書き写したものであるが、幕末には欧米やインド、清などのアジア情勢も含まれるようになっていた。

 これに対して別段風説書、という物も存在した。

 バタヴィアのオランダ植民地政庁で作成されたもので、天保十一年(今年・1840年)から提供が開始された。
 
 これは植民地政庁が、アヘン戦争とその影響を幕府に知らせた方が良いと判断したためである。

 これも同じくオランダ語で作成され、日本語に翻訳された。
 
 情報元は中国のイギリス植民地で発行される新聞であったが、史実で言うペリー来航を知らせたのも、この風説書であった。

 その風説書に、原書を添えるように幕府から長崎奉行所に命令があった。以後は翻訳したものと、原書を添付して報告するようにとの事なのだ。
 
 誤訳を防ぐためかもしれないが、忖度による削除の可能性があったのだろうか?

 

 ■|玖島《くしま》城

 ~前略~

 於広東エゲレス国人等之阿片密売するを禁ぜん為、官府より令尹を差越して其地に貯うる所之阿片を隠不置悉皆可差出旨の厳命あり。依之是を貯うる欧羅巴人等大いに窮苦せり。

 其末於支那国都にても阿片を用うるものありと聞けば、執れも刑に行うべき旨之命令あり、其中の此命令を犯せし者は厳科に処せられ候趣に御座候。
 
 ~後略~

 天保十年六月二十四日

 ※清国の広東にてエゲレス人によるアヘン売買を禁止するために、朝廷が大臣を派遣して、貯蔵されたアヘンを差しだすように厳命があったようです。これにてアヘン売買の商人は困窮している。

 さらに、清国内でアヘンの利用者には刑が科されると発表され、厳罰に処せられる。

 

「これは昨年の六月の風説書にて、実際は一昨年の話。今はさらに進んでいるかと存じます」

「……ふむ。次郎よ、そなたはいかにしてこのような知らせを知ったのだ? 罰則は定められてはおらぬが、いたずらに外にもらしてはならぬものであろう」

「は。仰せの通りにございます。然りながら我が藩は佐賀藩と同じく長崎の警固を仰せつかる藩にござれば、フェートン号事件のような事を再び起こしてはなりませぬ。それゆえお知らせしたのでございます」

「うむ」

「そもそも一年遅れの異国の知らせを幕府が知り、その後の命によって動いていては、後手後手に回ってしまいます」

「うむ、さもありなん」

「恐れ入りましてございます」

 次郎は手に入れた風説書を写し、それを持って登城したのだ。

 今日は通常の十五日ではない。
 
 それでも新たに長崎のお慶から知らせがあり、自らの歴史知識と照らし合わせ、報告した方が良いと判断したからであった。

 風説書は本来、厳重に保管され機密文書とされていたが、史実でもペリー来航の情報は漏れていたようである。
 
 お慶がどうやって手に入れたかは知らないが、生きた情報であった。

 さすがに一般庶民は知るべくもない情報であるが、長崎の出島に出入りできる人間が知っていてもおかしくない情報である。

「して次郎よ。お主はこれを読んでいかに思う?」

「は、されば申し上げまする。こちらはおそらくバタヴィアのオランダ政庁から発行されたものかと存じますが、その情報がいずこから持ち込まれたかによって違うかと存じまます」

「と、いうと?」

「は。わが国との交易の具合を左右する一大事にございますれば、嘘を書くことはないかと存じます。されどそれがしがカピタンならば、あえて自国の不利になる知らせは書かないかと」

「うむ。何を載せるかは自由であるからな。載せてないからと|咎《とが》める事はできぬ」

「左様にございます。ただし、それがしが気になるのはそこではありませぬ」

「なんじゃ?」

「三十二年前に起きたフェートン号事件の事でございます」

「うむ、エゲレスの船がオランダ船と偽って長崎に来航した儀であるな」

「は。まず、このような事が起きますれば、オランダにとっては一大事、エゲレスと戦になってもおかしくない程の事にございます」

「うむ」

「それが戦にもならず、何事もなかったかのようにあの事件以降オランダ船は来航しましたが、エゲレスの国力や国情、そしてオランダとの関係などは書かれておりません」

 次郎は、あくまで推論として考えうる事を話した。

「つまり?」

「は。オランダには以前ほどの勢いがないのではないか、という事を推察いたします。他国の交易を邪魔するような事をエゲレスが起こしたにもかかわらず、争いにもならず、話題にもあがっておりませぬ」

「ふむ」

「書きたくない、書いては国益に反する事柄が起きていると考えるのが自然かと存じます。エゲレスの支那における広東での新聞が手に入れば良いのですが、さすがに難しゅうございます」

「そうであるな。オランダも自分たちを信じられぬのか、という風に思うであろうし、こちらはオランダを経なければ情報を得ることができぬゆえ、痛し|痒《かゆ》しといったところか」

「はは。然ればオランダの国力が低下し、相対してエゲレスや他の国の力が強まっているという流れと考えるのが肝要にございます」

「うむ」

「さらには、おそらく清とエゲレスとの間に戦が始まるかと存じます。清国はわが国と違い交易を行っているといっても、広東に限っており、朝貢のような形をとっておりますれば、エゲレスにはさして利はありませぬ。それゆえアヘンの密売にて利を得ようとしているが、清国側は認めない。エゲレスは武力をもって清に認めさせようとするでしょう」

「そなたは……清国が負けると思うのだな」

「は。十中八九負けましょう。勝てるはずがありませぬ」

「その先は……|如何《いか》なる有り様になるであろうか」

 次郎は少し間を置き、理路整然とゆっくり話し始めた。

「されば、戦に勝ったエゲレスはアヘンの貿易を認めさせるでしょう。その上で広東をはじめとした複数の港の開港、そして割譲を迫るかと存じます。エゲレスが勝ったとなれば、フランスやロシア、アメリカなどの国々が、清国というまんじゅうを|喰《く》らうがごとく、|蝕《むしば》んでいくでしょう」

 その次は、と次郎は続けた。

「この日本にございます。異国船打払い令はほどなく廃止されるでしょう。そして元の薪水給与令が発布されるかと存じますが、我が藩はまず、他藩に先駆けて近代化を進めるべきかと存じます」

「うむ……あい、わかった。頼むぞ、次郎。入り様な事があれば遠慮なく申すが良い」

「ははあ」

 純顕はいつになく真剣で、話をする次郎も真剣であった。

 

 次回 第44話 『高島秋帆、西洋軍備についての意見を上書』

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