天保八年 三月二十四日(1837/5/18) 太田和次郎
「はんしゃろ? なんそい?」
(反射炉? 何それ?)
ああ……それ、そっからかあ~。
『反射炉』……幕末に大砲をつくるために幕府(藩)がつくった炉。
『江川英龍』……その反射炉を造った人。
多分、そのくらいの認識。
歴史の教科書に写真と説明文2~3行程度だろう。しまった、そうだった。理工学部だから、歴史なんて受験に必要な科目っていう認識だ。
ただでさえ少ない歴史の情報量が、時と共に薄れて消えているのだ。
し、か、も、この反射炉。現存するのが韮山反射炉だから江川英龍が書かれているけど(書かれていたかな?)、佐賀藩の方が先だ! まったく。
(本当は佐賀藩より大村藩が! と言っていたのに……。○○県出身としては~が、九州出身者としては~に変わるようなもの)
いや、それは良いとして。
「いや、俺たちは大村藩を雄藩のナンバーワンにして、ペリー来航しても冷静でいられるようにしなくちゃいけない。攘夷も戊辰も五稜郭も西南戦争もない、ソフトランディングしなくちゃいけないだろ?」
「そうだな」
横でうんうん、と一之進とお里がうなずいている。
「そのためには蒸気機関はもちろんだが、それに必要なのは鋼だ。大砲はもちろん、鉄製品をつくるのには鋼がいるんだよ。今日本にあるのは銑鉄(鋳鉄?)で、硬いが脆い。向かないんだ。だからその反射炉を作る必要があるんだよ!」
「銑鉄、銑鉄、銑鉄……ね。鉄鉱石を溶解して、シリカやアルミナを除去してできた鉄で、炭素含有量が概ね4~5%と多い。対しておよそ2%前後未満を鋼と呼ぶ。炭素含有量が多ければ硬いが脆い。逆に少なければ軟らかいが粘り強く折れにくい……」
「そう! それ! それを作らなくちゃいけないんだよ。信之介! お前ならできるやろ?」
「……できん」
「は? なんで! お前天才やろ? 自分で天才って言いよったやっか(言ってただろう)! なんで出来ないんだ?」
俺は訳がわからなくなって、キレ気味に詰め寄った。
「あのさあ、なんか勘違いしとらん? おい(俺)も神様じゃなかっつぉ(ないんだぞ)。何でもできるって思われたら困る」
え! いやいやいや、ウソやろ? 信之介に出来なかったらどうするんだよ? 誰が作るんだ?
……。
「なあ~嘘だろう? そんな事言わずにさあ~。作ってよ~。なあ~本当はできるんだろう?」
……。
「ああ、あーもう! やめろ! ふん! 出来ぬ、事もない。でも理論はあっても実際に作るとなると炉の構造や材料や寸法など考えねばならぬ。到底一朝一夕でできるとは思えない」
江戸と現在(前世)がまじってるな。
「せめて今、ヨーロッパで実現しているもので、説明書のようなものがあればできると思うがな。それにしても、多分和蘭(オランダ)語だろう。翻訳せねばならぬし、俺は英語ならともかく、和蘭語はわからん」
「……あたし、わかるよ」
え? お里? ……なんで?
信之介はともかく、一之進はタイムストリッパーだという事はわかった。しかしお里は謎である。10年前に転生してきたという話は聞いたが、前世の話は知らない。
「あたし、大学で農学部専攻だったんだよね。その関係で植物学とか、あと鉱物学も多少かじってたんだ。その関係、かどうかわからないけど、ベルギーのルーヴェン大学に留学してたんだ。ベルギーの北部だからオランダ語はかなり話せるよ。あとフランス語とドイツ語も多少は」
すげー! 異世界転生の魔法じゃないけど、この時代、英語やオランダ語知ってるだけでチートじゃねえの?
今後オランダ語は減って英語が増えるけど、それでもチートだよな!
まあ俺は中学レベルの英語だけどな。
しかし、なあ。確かこの時代……。
すでに反射炉のパドル法より発達したベッセマー法が、そろそろ開発されていたような気がするが、原理はわかっても(ちなみに説明する俺が理解できん)、作るのは難しいだろうな。
まずは反射炉で実績をつまなきゃ。
・ウルリッヒ・ヒュゲーニン著『ロイク王立製鉄大砲鋳造所における鋳造法』
「しかし、お里はすごいな。俺はドイツ語はわかるが、オランダ語はさっぱりだ」
一之進がお里に声をかけ、そんなことないよ、とお里が笑う。
……ん? なんて? ドイツ語?
「一之進! お主、おまい、わい……いやお前は、ドイツ語が話せるのか?」
「ああ、ライティングとリーディングはね。スピーキングとヒアリングは、まあ、できないこともないけど、前の2つよりは劣るよ」
「なんで?」
「いや、俺医学部。医者だから。外科の。今でこそ英語が主流だけど、昔はドイツ語が主体だったんだ。そんでなぜか、現場は英語になりつつあるのに、勉強。んで留学はドイツ。今思えばなんでドイツ? なんだけどな。カルテとかクランケもドイツ語だぞ」
うそーん。
なんだこれ。俺以外全員チートじゃねえか? 理工学部に農学部・植物・鉱物学に医学(薬学)だって……英語にオランダ語にドイツ語にフランス語……。
神様、なんで? なんで俺だけ何もなし?
いや、いやいや! 嘆いても仕方がない!
俺には俺の、いいところがあるじゃないか! 営業で培った人脈づくりのノウハウと、超のつく歴史と軍ヲタだ。
その知識でこの先起きる事を予測して、先回りして佐賀藩に勝ち、雄藩筆頭になって幕府を先導していくんだ。
ペリーの蒸気船来航にあわせて、大村藩の蒸気船で横付けしてやる!
一行は弟子入りの藩士をつれ、一路長崎へ向かうのであった。
ちなみに来月の登城は高島秋帆との交渉で長引く恐れもあり、中止にしてもらった。石けん作りは部下に任せている。
次回 第15話 『西洋学の大家、高島秋帆との出会い』
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