永禄七年 十月 佐賀龍造寺城
「出陣じゃ。須古城を落とす」
少弐氏滅亡後の事後処理をすばやく終わらせ、稲の刈り取りを待っての出陣である。鍋島直茂はじめ副島左近充、広橋信了、納富信景などあわせ、六千名である。
「わはははは! 平井経治などおそるるに足らん! 一気に踏み潰してくれよう! といいたいところだが、相手はあの平井経治。直茂よ、どう攻める?」
「は、今回は詭計を用いずとも問題ないかと。敵は須古城、杵島城、男島城と籠城するでしょう。これを個別にあたればそれぞれの城から挟撃され、攻略あたいません。ですからここは大町の小通り砦まで進出し、じっくり時をかけて周りの城を調略していけばいいと存じます」
「ふむ」
「周りの諸豪族もわかっているはずです。昨年我らが平井に敗れたとはいえ、大村・有馬には大勝しておりまする。されば、長引けばこちらに有利なのは自明の理。さらに、連合して援軍にきたとしても戦力にならぬよう、策を弄しております」
「ふふふ。さすがわが義弟よ」
「豪族どもはすぐに理解するでしょう。集まったとて我らに抗しえぬ事を」
「さもありなん」
「そうして、一つの城を攻めるのではなく、三つ同時に攻めるのです。さすれば敵は互いに応援あたわず、自然と消滅いたしましょう。戦の勝敗は数だけではありませぬが、数は勝つのに必要な条件なのです」
■須古城 平井家
「有馬へは使者を遣わしたな! ええい六角(六角城)や白石(島津城)はなぜ返事をしてこぬのじゃ! 我らが敗れたら、次は自分の番だという事がわかっておらぬのか!」
平井経治は龍造寺来る、の報を受けると、すぐさま川津近江守、平井刑部少輔をそれぞれ男島城と杵島城へ入れた。
迎撃の準備をするとともに、援軍要請のため多久宗利を六角・白石へ、新入道を有馬への使者としたのだった。
去年は勝てたとはいえ今回も勝てるとは限らん。むしろ状況は厳しい。有利な条件で戦を終わらせ和睦をせねば。
経治の胸に一抹の不安がよぎる。
■日野江城 有馬家
「何? 龍造寺が須古城を攻めるだと?」
「はは、平井様より昨年同様ご助力願いたい、とのご使者がまいっておりまする」
「今は、苦しいが……ここで平井が敗れれば我らに親しい勢力は完全に杵島郡から駆逐される。大村も苦しかろうが、ここはひとつ、兄弟心を同じくして事に当たらねばなるまいぞ」
苦虫をつぶすとはこのことである。
「誰か! 至急大村へ使者をだせ!」
数日後、両軍は藤津郡鹿島にて合流し、須古城救援に向かった。
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