天正五年十月四日(1576/10/25) 諫早城
「そうか。織田からはそのような要望が」
純正は経産大臣の岡甚右衛門からの報告を聞いて、考え込む。
「皆、いかが思う? 織田は誠に同盟を抜けると思うか?」
「まずないでしょう」
そういうのは直茂だ。
「そもそもこの同盟は、各国の他領への討ち入りを禁じたもの。合議にて決め、勝ち戦にて切り取った所領は合議にて治むるというものにございます」
「うむ」
「それぞれの商人の商い事など、なんら関わり合いがございませぬ。同盟を抜けたとて、織田との盟が失われる訳もなく、また万が一織田が我らと袂を分かつとして、織田になんの利がござろうか」
「さよう。至極易し儀(簡単な事)なれば、考えるまでもございませぬ」
直茂に続いて官兵衛も追従する。
「南蛮の物をとってみても、初めは南蛮人から明の生糸や絹織物、南蛮産の鉄砲・火薬・毛織物、呂宋やアユタヤから香辛料や香料・革製品などを買うて販いでおりました」
官兵衛はなおも続ける。
「そのうち毛織物以外は、ほとんどわが領内で産するようになり、益も出来高も増え申した。戦道具は販いでおらねど、織田領にあるもの、似たものは、すべてわが小佐々領で産しまする」
「つまり?」
「窮するのは、今までそれを作っておった職人や諸々の民にございましょう。商人は利があれば、安く仕入れて高く売れば良いですからな」
「ふむ」
「わが領内から同等の、もしくは良い品が安く多く入ってくれば、彼らの朝夕事(生活)が成り立ちませぬ。対して領民は、安く良い物が手に入れば豊かになり、政に不足を感じる事もなくなりまする」
一部の生産業者以外は、助かるのである。
「となれば、我らを頼む(依存する)政は、治むる領主の体面というものもございましょうが、民のためを思えば抜けるという道をとる事はないでしょう。左近衛中将様がよほどの愚か者でなければ、にござるが……」
官兵衛の人を食ったような発言が、場を凍らせる。
「官兵衛どの、いささか冗談が過ぎますぞ」
宇喜多直家が苦笑いで制する。それはまるで自分の言葉だとでも言いたげである。
「(ごほん!)いずれにしましても、織田家としては四方を我が小佐々家と武田に囲まれております。さればこそ、おしなべて考えれば我らと手を組み、臥薪嘗胆の心持ちだとしても、力を蓄える事が肝要でしょう」
「しかり。越前の越後屋兵太郎や若狭の組屋源四郎など、われらに与する商人には特権を与えてはおりますが、織田家の御用商人はいささか苦労はするでしょう。されどそれも世の流れ。いつまでも優遇を続けては、われらの商人も割に合いませぬ」
直家の言葉に土居清良が続いた。
「さりとて、このままというのもいただけませぬ。織田領の職人が食うに困らぬよう、なんとか策を考えねば」
「織田領の事に、我らがそこまで口入れ(介入)する要ありや?」
「相手にとっては不本意かもしれぬが、民の不満を抑えるならば、致し方ないと存ずるが?」
「いっその事、捨て置けば良いのです」
……。
なんと、そう発言したのは尾和谷弥三郎である。
「我らは我らの民、商人、作り手を守らなければなりませぬ。それは織田領でもなく、浅井でも徳川でも武田でも、畠山でも里見でもありませぬ。小佐々の事を第一に考えねばならぬのです」
正論だ。
「織田が買わぬというのなら、それでも良いではありませぬか。内需を増やし、奥州でも朝鮮でも琉球でも呂宋でも、買い手をみつけて販げば良いのです。なにをおもねる要がありましょうや」
これもまた、正論である。販路がなくなれば、探せばいいのだ。
「幸い、羽州の大道寺は盟約に加わったばかりですが、そこに売りましょう。さらに伊達・蘆名・葛西・南部・大崎・安東などの奥州の諸大名も色よい返事と聞いております。各地に作業場をつくって民を雇えば運ぶ料もかからず、三方よしとなりましょう」
純正はじっと考えている。
「では……織田家には小佐々の商人から仕入れ、取り決めた値で売るようにすれば損はでぬであろう。また弥三郎が言うように、織田も領内に作業場を作るよう勧めよ。銭については……」
「それはいらぬ心配かと存じます。堺の会合衆でも紅屋宗陽などは金貸しを生業としております。商人同士で貸し借りをさせ、またこちらの商人からも貸し付けをすれば、心配いらぬかと」
純正の発言に庄兵衛が答えた。
「ふむ、そうであるな。我らに寄らねば(依存しなければ)ならぬよう、仕向けて……いや、そうせずともいずれなるか。そのように勧めてみよ。それでもし断るなら、弥三郎の言うとおりにするとしよう」
正直なところ、堺の会合衆といっても、史実と違ってそこまでの力を持っている訳ではない。
堺が信長の管理下にあるとはいえ、南蛮品(現在はほぼ小佐々産)は平戸道喜・神屋宗湛・島井宗室・仲屋宗悦の九州四傑からの仕入れである。
南蛮との貿易で財をなした四家であったが、その財力にものを言わせて、小佐々領産となっても幅を利かせていて、取扱量の上位は変わらない。
純正は、これで織田家や浅井・徳川が離れていっても仕方ないと考えるようになってきた。いずれはこうなるだろうと、予測はしていたのだ。
個人的には信長も長政も、家康も嫌いではない。
しかし、国を守るとなれば話は別だ。領内の不利益になるようなら、妥協点を見いだし、それでもダメなら、仕方がない。
岡甚右衛門は、小佐々側の返事と提案内容を持参して、実務者会談へ進むのであった。
次回 第628話 『明とスペインの共同戦略。小佐々戦、開戦までのリミット』
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